謝罪する布団の中で
パジャマのままで、祖母と居間でテレビを視ていた。藍はとっくに眠ってしまっている。翠だけが、いつまでも夜更かしをして歌番組に夢中になっていた。
「まだ寝ないのかい?」
コマーシャルになる度に、祖母が言うが、聞こえない振りをしていた。テレビにはいろいろな歌手が登場する。来年くらいに事件を起こしたり、海外の航空機事故で死亡する歌手がいる。それを教えてあげたら、祖母はどんな顔をするだろうか。
「冗談でも、そんな酷いことは言っては駄目」
そう怒るだろうか。翠にはその人たちの未来までは変えられない。悪い未来を良い未来に変えるのなら、それはするべきなのだろう。
だが、今からハルカがすることは、翠にとって悪いことになるかもしれなかった。
「お帰りなさい」
疲れた顔をして帰宅した父は、台所に現れた。翠を見て、夜更かしをして待ってくれていたのかという顔をして、少し驚き混じりで笑い掛けた。
「あのね、お父さん」
家族は揃っている。両親と祖父母。いないのは妹の藍だけだ。翠にとっては、それが一番の良いと思える顔ぶれになる。これからハルカは未来を変えようとしていたのだ。
「私たち、引越しするの?」
翠に言われて、父は母の顔を見た。話したのかという疑いの顔に変わった。母は、少しだけ首を傾げている。
「ごめんなさい。立ち聞きしたの」
誰からとは翠は言わない。そんなことは誰だと言っても、仕方ないことだと分かっている。それよりも何より、翠は立ち聞きなんてしていない。ハルカには、機知な未来のことだったから。
「私、この小学校をみんなと一緒に卒業したい」
絞り出すようにして言葉を告げた。決定している未来を捻じ曲げようとしている。両親に逆らおうとしている。実の娘ではないハルカが、実の娘の翠を演じて家族の未来を変えようとしている。
「お父さんとお母さん。それにお祖父ちゃんやお祖母ちゃんも、この小学校を卒業したから、私だってそうしたい。あいにも、そうさせてあげたい」
ずるい言い方をしている。ちゃんと調べていたことだった。両親や祖父母の過去を持ち出す周到さは、出来ることなら使いたくはない。しかし、お願いだからと話し出しても、子供が大人を説得するのには無理があった。これからも良い子にしているからとか、良い成績を取るとか言っても、翠は既に優秀な女の子だったので、交換条件を提示する方法は使えなかった。
両親と祖父母がお互いの顔を見合わせる。社会組織の中で生きている大人の都合だから、仕方がないものなのだ。そう考えていてしまって、そこに子供の社会の存在などまったく無視してしまった大人たちがいた。
「これはやられたな」
祖父が息子の肩を叩いた。溺愛している孫の願いに、一番に白旗を上げたのは祖父だった。息子にも降参をしろと促す態度を取ってくれていた。
「やはり単身赴任するのが正しい選択なのだな」
苦い顔をしてため息をつきながら、父は母を見詰めた。転勤話があった時、父はその覚悟をしていた。数年後には戻って来られる確約もある。それなのに無理をして、転校させることもないのだ。
あの時とは違うのだ。真白の死と玄の殺人。それがなくなった今では、翠たちを別の小学校へ行かせる道理がない。子を持つ親としては、むしろ望み通りに、この小学校を卒業して、そのまま中学校高校へと進ませてやりたかった。
ハルカは翠の未来を変えた。子供部屋に戻って頭から布団に潜り込み、翠に謝った。何度も何度も繰り返して謝った。しかし、その言葉はつい先ほど翠が父に抱き締めてもらいながら、翠の気持ちを考えなかったと謝ってくれているものと重なってしまう。
今、謝っているのは誰なのだろう?
翠に謝っているのは、ハルカなの?
翠に謝っているのは、父なの?
布団の中で鼓動が響く。翠の力強い心臓の音。今ここにいるのは、翠でしかないのだ。