最期の教室で
落ち込んでしまっている翠は、次の一手を考える。世界の運命が掛かっているのだ。もはや強引にやり遂げることも必要だと、考えを変える岐路に至っていると自覚するしかなかった。
図書館を出ると、日はかなり傾いている。まだ少し月食までは余裕がある。中学生たちが集まる講堂に行くと、やはり玄と真白はそこにはいなかった。
二人は五年生の教室に行く。翠はそう確信して、そこに乗り込むしかないと考えている。玄が真白を窓から突き落とす。それさえ阻止できれば、ハルカの役割は果たせるのだ。
だが、玄が言っていたことが気になる。何を言いたかったのだろうか。ハルカはこの頃の自分が何を考えていたのか覚えていないのが悔しかった。クラスメイト全員から仲間外れにされているのに、何故あんなにも前を向いて生きていられたのだろうか。玄にとっての、真白とは。そして、みんなとは。何を意味しているのだろうか。翠になっている今は、気ばかりが焦っている。やり遂げてから考えればいい。そう自分を納得させるしかなかった。
日が暮れて、満月が山の端から現れた。雲ひとつない絶好の月見日和だ。使命さえなければ、翠とてこの天体ショーを楽しんでいる筈だった。妹の藍や家族と共に、空を見上げていた筈だった。
だが、その翠は今、家にはいない。一旦帰宅して、学校で観測会があると言って出て来てしまった。勿論、小学生にはそんな行事はない。翠の家族に、夜更けまで帰宅しないことへの気遣いでしかなかった。体を借りているハルカが、一番気にしているのは翠なのである。今の翠の心はどうしているのだろうか。そう思うと、ハルカは気が狂いそうになる。無関係の小学五年生の翠を利用して、使命を果たそうとしている自分が許せなくなった。
もう少し。あと少しで終わる。皆既月食が終われば、この使命は終わる。そうすれば、風の精霊のアイが元に戻してくれる。ハルカはそう信じていた。
玄と真白の教室で、翠は待った。月が少しずつ昇って、教室の窓から青白い光が射し込んで来る。窓際の真白の席に座って、目を瞑り額の前で手を合わせた。二人が来てくれるだろうか。そして、二人を助けられるだろうか。翠の華奢な手を、月の青白い光に当てる。鋭い影の血の気を失った肌の色が震えていた。
ガタン!
教室の入り口付近から大きな音がして、翠は驚いて目を開けた。
「どうして、佐藤さんがいるの?」
玄の声がうろたえていた。誰もいない学校に忍び込んでいると思っていたのに、誰かに見られてしまった。悪いことをしている後ろめたさが、玄を怯えさせていた。
「ごめんなさい。驚かすつもりじゃなかったの」
翠はゆっくりと落ち着いた声で話した。ここで焦っては駄目だ。自分が味方であることを、二人に分かって貰わなければ、総てが終わってしまう。
「私も、はるかちゃんとましろちゃんと一緒に月食を見たい。二人の仲間に入れてもらってもいい?」
二人の表情を探るには、教室の明かりは暗過ぎる。月明かりは窓際にしか届かない。それに背を向けている翠の表情も、二人には見えないだろう。
「駄目、かな?」
翠が小さな声で訊いた。
「駄目に決まっ―――」
「いいよ。いいに決まってるよ」
玄の声を押し退けて、真白が言い放った。




