カヌレが美味しい店で
ピンク色の小さな店に入った。ハジメの同伴でいることに悪い気はしない。ハイウエストの赤スカートにノースリーブの白シャツの俺といるハジメは、まじめなごく普通の男子高校生だ。傍目からは恋人同士に見えているのかもしれない。
「これを食べてみて」
そう言ってハジメに渡されたのは、カヌレだ。フランスの洋菓子。ボルドーの修道院で作られていたと思う。そんなものがこの世界にもあった。
「カヌレ?」
「あれ、カヌレって知ってるの?」
「あっちにもあるよ、カヌレは」
「へぇ。じゃ、食べ比べてみてよ」
ハジメが興味津々と言う表情をしている。一口かじってみる。
「うわぁ、甘ーい。・・・ぐぇえーー。甘々、甘々」
ハジメが俺の表情を見て、満足そうに笑っている。何だ、悪ふざけなのか。
「ごめん、ごめん。それは世界一甘いカヌレで有名なんだよ」
まだ笑っている。俺は腹が立ってきたので、大口を開けて笑っているハジメの口に、かじり掛けのカヌレを放り込んでやった。
「ひゃあははは、甘ーー」
笑っているのか苦しんでいるのか、よく分からない声をハジメは出している。涙目で叫んでいるのは、きっと笑っている方なのだろう。
「君は・・・君は、僕の口に食べ物を入れるのが得意なんだね」
ハジメが嬉しそうな声を出した。俺はそんなことをしたか。したとすれば、もう一人の俺だよね。記憶の中に、酔っ払いの俺がいた。
「お詫びに、こっちを食べて」
紅茶とカヌレをもう一つ渡された。この状況でまだ嫌がらせをすれば、ハジメを絶対に信じないと俺は決心していた。
恐る恐る口にするカヌレは、外側がカリッとしていて中がもっちりとしている。バニラの味とラム酒の香りがする。
「うっ」
美味しい。俺は言葉を失っていた。最初からこれを出してくれよ。意地悪な奴だな。
ハジメが頬を掌で撫でて、美味しいという仕種をしながら笑っている。無邪気な笑い方をする。悪意が無いのか、本当に。少しはあったんだよね。男の子が女の子にする悪戯っぽい行為だよね。
クレパスみたいな街並みを散策していると、小さな店が通りに沿ってずらりと並んでいる。ハジメは何故かニヤニヤしながら、一軒一軒巡ろうって言う。悪くない提案だね。では、まずはこの雑貨屋から入ろうね。ぶらぶらとのんびりして、俺たちは時を過ぎるのを忘れてしまっていた。
なんて、そう思っていたのは俺だけだった。
「ハルカ。時間になったから、行こう」
ハジメの腕が逞しい翼に変わった。つやつやで羽が輝いている。背中に掴まると翼の付け根の羽毛がふわふわして気持ちがいい。
バサッ、バサッ、、、
羽ばたきで地上を離れるまで、俺は目を閉じていた。地面を離れるのは、ちょっと怖い。でも、もうハジメを信頼しているから大丈夫だよね。
川面を飛行して行く。ボートの商人の歌が聞こえる。すれ違うと手を振って見送ってくれていた。俺はふわふわの羽毛に顔を埋めて、この素敵に人々に感謝している。もちろんハジメにも。何故なら、今の俺は気持ちが挫けそうだったんだ。ヒーローだからと強がっている俺は、本心とは違う己を知っている。あの時、五年生の教室で高橋に気付かされていたから。
学校で皆が死んでしまった。それなのに、俺だけがこの世界に逃げ込んで生きている。
罪悪感。
俺のせいで皆が死んだんだ。俺が学校にいたから、あいつらが殺しにやって来たんだ。俺がいなければ良かった。俺なんかがいなければ、誰も死ななかったのに。
クレパスを並べたような街並みが、背後に遠ざかって行く。少しずつ陽が落ちて、茜色の雲に反射して、街が夕陽に光っていた。
さようなら、素敵な街。
ありがとう、優しい人々。