二人の前で
「さぁ、いよいよ決戦ですね。作戦はこうです。―――」
アイは月の悪鬼・中岡真白の弱点を説明した。月の呪力を使うには、月が絶対的に必要になる。裏返して言えば、月が無ければ呪力を使えないのだ。
「月を破壊するの?」
「大胆な提案、ありがとうございます。でも、いくら精霊の私でも、それは不可能です。それに、そんなことをしなくても、月はあと二週間で自然に消えるんですよ」
ハルカは考えながら、窓に近づいた。十八階から眺める山々の稜線から月が昇り始めている。朝日を追い掛けて昇る月。青い空に、細く白い月は夜のようには目立たない。
「あと二週間。二週間経てば、月は満月になる」
ハルカにあることが思い浮かんだのか、ぴくりと体を硬直させた。
「月食! 皆既月食!」
まさしく月が無くなる時だ。
「そうです。七月十二日の皆既月食です。皆既食の時間は僅かですが、二十分間あります。その時が決戦です」
アイは何かの最終手段を使おうとしているのだろうか。真白とて自身の弱点は十分に分かっている筈なのだ。それへの対策は万全だろう。月の悪鬼を倒す最も有効な方法はあるのだろうか。僕の心配も素知らぬように、ハルカは話を原点に戻していく。
「こちらの世界の藍は、私を探してと言って、あちらの世界に私を送ったのよ。だから私はあなたに会った。風の精霊のアイに会った。でも、あの藍はもしかしてあなただったのかな?」
そうでなければ、こちらの世界の藍は魔法を使える筈がないと、ハルカは言っているのだ。
「あの藍は、正真正銘のハルカさんの後輩の藍ですよ。私が風の精霊になった影響を受けてしまっているのかも」
「それだけなの?」
アイは人差し指の腹で額を撫でている。言い難いことを言うべきか迷っていた。
「このことが終われば、ハルカさんは感じることですが――」
アイは一旦、僕と目を合わせた。その上で、ハルカの瞳を見詰めた。
「こちらの世界には、ずっとハルカさんがいるんです。あちらの世界に行っていない、こちらの世界だけのハルカさんが」
僕にもハルカにも、アイが言っていることがすぐには理解できなかった。だが、僕には魔法の知識があるので、あぁ分身のことなんだなと想像できたが、ハルカにはそれは無理なことだった。
「だから、こちらの世界のハルカさんは、赤い眼鏡を掛けて、髪を上げて左耳を出している。今もあの時のままで、こちらのハルカさんの時は止まってしまっている」
「でも、私はこちらの世界のハルカよ」
「そうです。あなたはこちらの世界のハルカさんです。でも、こちらの世界でハルカさんは、あなたの家に残っているんです」
「何で? 何を言っているの?」
「つまりですね。こちらの世界の私が、ハルカさんをあちらの世界に送るときに、ハルカさんを二人にしてしまったのです。一人は以前のままのハルカさんと、もう一人はあなたです。自分を女の子だと自覚してしまったあなたです」
「だから・・・だから、『わたし』を探せと言ったの? この私は本当の私ではないから、私を探せと言ったの?」
ハルカは混乱した。僕は逆だと思う。こちらの世界に残っているハルカが、偽物のハルカなんだって思う。いや、違う。どちらも本物のハルカだ。目の前にいるハルカは、本当の自分を見つけたハルカなんだ。
「違うよ、ハルカ。二人とも本物なんだよ」
「何? 私はいらないって言うことなの? この世界には私がいるのだったら、この私なんていらないって言うことなの?」
「そうではありません。この戦いが終われば、二人は元に戻ります。本当の自分を見付けて、真のハルカさんとして生きて行くんです。今、あなたがその努力をしている。本当の『わたし』を探しているんです」
「戻れるの?」
「はい。二人になった時と同じです。気付かないうちに戻っています。二人のハルカさんは、少しの間別れていても、一人のハルカさんです。あなたがあのハルカさんに女の子のハルカさんを教えてあげてください」
「そうだよ、ハルカ。君は君らしく女の子のハルカでいようよ」
ハルカはそれ以後、このことを忘れてしまったように何も言わなくなった。それは納得したからか。
そうではないと僕は思う。
自惚れているのかもしれないが、僕のせいだと感じている。
ハルカが僕に気を遣っている。
僕の存在に気を遣ってくれている。
そうなんだ。僕は男の子のハルカなんだ。
ハルカの真意は勿論僕には分らない。でもそう感じていた。感じてしまったんだ。