宿命の部屋で
ハジメが割れた窓枠に立って、傲慢な表情で四人を見下ろしていた。特に玄に対しては、憎悪を剥き出しにして睨み付けている。ハルカの記憶の中にいたハジメとは、全く別人だ。中学二年生の時に現れたハジメと同じで、月の魔人ヘカテに操られているに違いなかった。
「シミズ・ハルカ! 魔術で生み出されたお前は、ヘカテ様の生け贄となる為に、その肉体をこの僕に差し出すのだ」
ハジメに睨み付けられている玄は、微動だに出来なかった。自分の知らないハジメに恐怖して、思考能力さえ奪い取られていたのだ。
「ハジメくん。あの優しいあなたは、どうしてしまったの?」
玄の頬に、涙が流れた。ハルカが泣いている。玄の為に、もう現れないと決心していたハルカが、泣いていた。
「こちらに来い、ハルカ。ヘカテ様の為に、その身を捧げよ」
ハジメが腕を差し出した。ハルカがその手を握れば、これまでのすべてが終わる。終わってしまう。ハルカの使命も、翠の人生も、何の為に苦労してきたのか無駄になってしまう。
でも、それが宿命だ。ハルカという存在は、現実には存在しない幻影でしかないのだ。
「ハルカさん。あなたはヘカテに自ら敗れるのですか。それが本当のあなたなのですか」
部屋の隅で大人しくしていた藍が、突如として憤然と言い放った。三人のお姉さんたちに囲まれて、場違いの場所にいるようにしていた藍が、差し出されようとしている玄の手を強く阻んでいた。
「アイ―――なのですか? 風の精霊のアイなのですか?」
ハルカは信じられなかった。アイがいる。藍ではなく、風の精霊のアイが、藍の中にいたのだ。
「あの図書館の壁から出て来たのは、私です。精霊の古い呪文を使って、こちらに来たのです」
真白の幽霊なんかではなかった。決して藍を襲ったのではない。藍に精霊の力を持たせたのだ。すべては玄をハルカにする為だった。
「ハルカさん。あなたは何の為にいるのですか? この日を、七月十二日を無為に迎えるだけなのですか?」
アイはハルカを叱責した。玄の為に自らを消し去ること。それが本当に玄の為になっているのか。自己満足だけで、玄の悲しみを分ろうとしていないのではないのか。一度でも玄は、ハルカに居て欲しくないと思ったことがあるのか。
「あぁ、私は何をしていたんだろう。何の為にいるのか、分かっていなかった。これではまるで――――」
「戯言は、終わりにして貰おう。ハルカ、来い。ヘカテ様の為に」
ハジメが更に腕を伸ばした。
「連れいくのは、私にしなさい。シミズ・ハジメ!」
アイが手荒くハジメの腕を弾き返した。
「僕の名を呼ぶお前は、風の精霊だ。ワッハハハハッ、良いだろう。身代わりとして、これ程の者はいない。月神様で在らせられるヘカテ様の生け贄になるが良い」
ガシャンンンンンッッッッッッ
再び窓硝子の破砕音がした。
何も変わっていない。すべてが元通りに戻っていた。四人とも無事だった。何事もない静寂の部屋に、放心している四人が取り残されていた。
―――只、月だけが光を取り戻し、煌々と輝いているのだった。