機械じかけのフローレンス 2
2月。冬休みが終わって、大学受験までとうとう後1年を切った。学校でも進路の話が多くなり、私はそのたびに、頭の中で黒いもやもやとしたものを感じていた。
そのせいかはわからないけど、私は熱を出した。全身がだるくなって、頭痛がひどく、薬をもらおうと病院に行ったら、インフルエンザと診断された。全国的に流行っていたのに、予防接種も受けてなかった。最後にかかったのはいつだっただろう。
出席停止をくらって、自室のベッドでおとなしくしていると、ローレンが入ってきた。部屋は散らかってるし、私の顔はひどいのであまり来てほしくなかったけど、うるさい母さんよりはましかもしれないと思った。こういうとき、ウイルスがうつらないロボットで良かった。
「悪いな、レイカ」
彼はベッドのそばに寄ってきて、つぶやいた。私は布団を口元までひっぱった。
「……なにが?」
「僕がいながら体調を崩させてしまって。体調管理も僕の仕事なのに」
私は、ぼんやりしている頭で考えた。そういえば、服装や天気については、母さんよりもむしろローレンの方がうるさかった気がする。ただ、彼はヒトの体温や調子をハッキリと把握できないのか、いつもアドバイスがずれている気がした。
「べつに……今回は、心当たりあるし、寝不足だったし、ソファで寝たときもあるし。ひくときはひくと思う」
「いや、全面的に僕が悪い。なさけないな。こりゃダメだな僕も。4月になったら廃業かな」
ローレンがめったに言わないことを言い出したので、私は眉をひそめた。最後の言葉の意味がわからなかったが、聞き返すだけの体力がなかった。痛み止めが切れてきて、頭痛がひどくなり、思考が全然はたらかない。
ローさんはさびしそうに言った。
「もしかしたら3月になっても、気温が上がらないかもしれない。気をつけて」
私はうなずいておいた。ローレンは手を私の額にかざした。目を閉じる。手は思ったより温かく、おじいさんみたいなかさかさの手だった。
***
インフルエンザはなかなか治らなかった。熱が下がっても咳が止まらず、勉強の遅れを取り戻していたら3月になっていた。学期末試験を終えて、春休みを迎えた。私は春休みに進路の本を貪り読んだ。キャリア関係の本、英会話の本、受験の本……けどやっぱり、自分の進む道がわからなかった。わかりにくい「進路」については考えないようにして、わかりやすい目標の「受験」について考えるべきかと思った。
私が元気になっていくのと対称的に、ローレンの調子は悪くなっていった。母さんと一緒に家を空けることが多くなり、帰ってきてもベッドかソファで眠っていた。その顔にはあきらかに疲労の色が出ていた。処理が集中すると、パソコンがフリーズするように、ロボットだって調子は悪くなる。アクセスが集中してダウンしてしまうサーバーのように。
不調なのはローレンだけじゃなかった。彼が言った通り、日本の天気と季節はおかしくなっていた。4月になったのに、まだ日本列島には桜がどこにも咲いていなかった。雪がばんばん降っている地域がまだまだあって、マフラーもコートも手放せなかった。連日ニュースでは「異常気象」が報道され、業者の人たちが桜の開花を待っていた。農家の人たちは今年の不作の予想で沈痛な表情になっていた。
これが全てローレンのせいなのか、私にはわからなかった。いったい誰が、こんなロボットひとりのせいで異常気象が起こるなんて思うだろう。もし私がはじめに想像した通り、このロボットが魔法使いで、気象のすべてを握っているとしたら、なんて。妄想と言ってもよかったし、なにより、ソファにもたれているあの頼りない背中からは、そんな力は想像できなかった。
春休みが明けた。学校から帰ると、リビングのソファにローレンが座っていた。ゆったりとしたシャツの姿で、肩で息をしていた。体内の熱が上がって、排熱を繰り返しているのかもしれない。私に気がつくと、ゆっくりと顔を上げた。
「おかえり。……学校、始まったんだったか」
私はうなずく。今朝は彼が自室にこもっていて、顔を合わせていなかった。私の制服を見てか、ローレンが苦笑した。
「調子は大丈夫なの」
「あまり、よくない。そのことで話がある」
ローレンが手招きしてきた。「着替えてきていい?」私は許可を得てから自室で私服に着替えたをした。このあと洗濯物をとりこんだり、夕食の準備をしたり、色々することはあったが、彼の話を聞こうと思った。
リビングに戻ると、ローレンが暖房をつけてくれていた。機体の熱が上がってまずいのではと思ったが、何も言わずにローレンの隣に座る。外はまだおかしいくらいに寒い。ローレンが頭をなでてきたので、私は頭を傾けた。上からローレンの声がした。
「近いうちに、研究所に戻ると思う」
私はぱっと彼を見た。
「そうなの、復帰できるようになったってこと? 良かったじゃん」
「まあ、そうかな……もう知ってるかもしれないけど、この冬が長いの、僕のせいなんだ。機密なんだけどね」
「しゃべってもいいの?」
「セキュリティがさがった。話した方がストレスが減るってことがわかった。けど、やっぱり言えないこともあるから、変な話になると思う」
私は頷いた。ローレンは天井を仰いだ。
「むかしむかしあるところに」
私は彼の顔を見返した。ローレンは薄く笑ったけど、私は眉をひそめるだけにした
「むかし、世界があった。その世界では昔から、四季があった。厳密にいうと、季節は太陽光の照射角度のちがいだったけど、とにかくヒトや自然、動物や虫たちは、四季に合わせて独自に進化した。
だけどやがて、気候変動により、季節というものがなくなった」
ローレンの声が響く。
「そこに住む人たちはなんとかこれまでの四季を維持しようと、あらゆる計測器で観測データをとり、コンピュータで気象を予測し、自分たちの手で四季を作ろうとした。だけど、地球規模の観測データはあまりにも多く、空、空気、気圧、海、海底、湿度、電磁波、気候に影響しあう要素が無数にあって、計算はかなり難しかった」
私はとっさにローレンの袖をつまんだ。ローレンが反対側の手で手を握ってくれる。肌は温かかった。いや、熱い。最初に握った手とは比べられないくらい熱かった。処理が追いつかなくなっているのかもしれない。
私は必死に彼の言葉を耳に入れた。だんだん理解が追いつかなくなり、途中でやめたくなったけど、がまんした。
「それでも最近はうまくいっていた。研究者たちがほっとしたけど、計算機はある日突然、処理をやめた。理由は……ロボットが気づいてしまったからだ。どんなに計算しても、このままいけば近い将来、四季が崩れてしまうということがわかってしまった。どんなパラメータを入力しても、未来の予測は変わらなかった。ロボットは袋小路にはまり、計算をやめた。とうとう計算のし過ぎで熱暴走を起こし、ある科学者の家で休息をとることになった」
つまりそういうこと、とローレンは言った。私は計算機のように、その話を処理して、理解しようとした。
「それって……普通に暮らしてても、日本にはもう四季が来ないってこと? 誰かが季節をつくってるってこと? 本当?」
「あんまり詳しくは言えない。言えることは、僕が気象の計算をしてるってこと、そのときの負荷がもとで、壊れかかったってこと」
ローレンが苦笑いをして、座り直す。
「女神フローラって聞いたことあるかい。花と春の女神で、ローレンの名前はそこから来た」
「……女神って顔じゃないでしょ。男じゃん」
「キミまで言うな。本当は女性型のロボットにしたかったらしいけどね。女性だと体が小さくて、腕の中にモーターとか機構が入らないんだ」
私は次に、前々から思っていた疑問を口にした。それはローレンが存在する意味を尋ねることに、等しかった。
「じゃあその……なんで人型なの。計算なら計算機だけでもいい、ような気がする」
「いくら気象の計算をしてもね、実際はこの地上の気温がわからないと意味がないだろう? 僕は上空、数万メートルの地点の計算もしてる。だけど、実際はこの地上から、目で見て、肌で感じないといけないこともある。結局は地上のヒトや植物が感じるわけだし。そうすると、最終的にヒト型でやろうかって話になった。……まあ、次の後継機は、人型はやめるらしいけど」
ローレンは自嘲気味に笑う。私は、空を見つめたり、木々の匂いをかいだりするローレンを思い出していた。本当を言えば、人型はやめたほうがいいと思った。つらい表情を見ていると、こっちの胸が苦しくなる。
「……じゃあ、春はもう来ないってわけ?」
「いや、来る、と思う。僕が研究所に戻るからね」
「戻って大丈夫なの? すごくつらそうだけど」
「まあ、失敗したらどうかわからないけどね……。情けないな。キミに偉そうなことを言っておきながら、僕は自分の仕事すらできてない。キミは将来がわからないって、言っただろう? それは当然なんだ。将来を予測するだけの情報と知識が、まだついてないから。今を頑張っていれば、いつか将来の道は開ける。
というか、今が幸せでないと、僕が動いてる意味がなくなるから。それだけはこまるから」
ローレンは目を閉じた。
「正直、戻って役に立つかどうかはわからない。けど、最近の気象を見たら、やっぱりまずいと思った。それにキミが風邪をひいて、ぐったりしてるのを見るとね……僕も動かないといけないと思った。本当はもっとつらい人だっている。死活問題の人だっている。僕が体調を崩してるのもそのせいでね。負荷がひどい」
ローレンは苦しい顔を見せた。私は首を振った。
「私が工学者になったら、ローレンを改造する。気象観測だけじゃなくて、いろいろ出来るようなロボットにする。お花見も一緒にしようよ」
そりゃありがとう、とローレンは笑った。私の手が握られた。
***
それから1週間ほどして、ローレンはとつぜん家からいなくなった。母さんによると、研究室に戻ったらしいけど、私は彼がどうなったのかは聞かなかった。ただ、五月の中頃からようやく暖かさを感じられるようになり、多くの人たちがほっとしていた。でも、農作物への打撃は避けられないらしく、スーパーで野菜の値段が大変なことになった。私は値札を見て、何回も眉をひそめることになった。
大学受験は結局、日本で一番難易度が高いところを目標にした。いまの成績ではたぶん、落っこちることになるし、浪人することになると思う。ただ母さんはそれを許してくれた。ローレンも許してくれると思った。
地面や空や、公園の木をみるたびに、ローレンを思い出して、鼻の奥がつんとした。