機械じかけのフローレンス 1
変なロボットがうちに来た。
彼は言った。「自分は季節を管理するロボットだ」と。
「ただいま、お客さんが来たよ」
12月のはじめ。私がキッチンで夕食の準備をしていると、母さんが仕事から帰ってきた。素直に反応するのが面倒くさくて、私はその場で待つことにした。玄関から「おじゃまします」と、聞いたことのない男性の声がする。母さんと私の二人しか住んでいないこの家では、男の声は珍しかった。
少ししてから、母さんと男がキッチンに来た。彼の肌は白く、短い髪は冬の土のような濃い茶色で、目は青かった。長身で、キッチンが急にせまく感じられた。白のタートルネックのシャツが似合っていない。外国人の歳は予想できないけれど、母さんよりは年上のような気がした。
この男は何かがおかしいと思った。違和感の原因はすぐにわかった。この男はヒトじゃない。
「前から言ってた、仕事でお世話になるロボット、ローレン。何か月かここで稼働させるわ。食事はいらないから、大丈夫」
母さんはさらりと説明した。私は、ヒトそっくりのロボットに、丁寧なあいさつをすべきかどうか迷った。するとローレンはこちらに近づいて、きれいな日本語で言った。
「よろしく、キミがレイカさんか。高校生だっけ。とても賢そうだ」
私は不機嫌な顔をしながら、無理やり笑顔を作った。差し出された彼の手を握ると、冬の外を歩いてきたからか、驚くほど冷たかった。
夕食をすませたあと、私は家の近くの公園にいた。あたりは真っ暗で、LEDの街灯がまぶしく辺りを照らしている。お尻の下のベンチは氷のように冷たく、いつまでたっても温かくならない。
「寒くないかい、その格好で」
真っ暗な公園に、長身の西洋人がやってきた。薄青い目がぼんやりと浮かんでいる。
ローレンは黒のコートを持ってきていて、それを私に差し出した。確かに私は薄着すぎた。この地域は比較的、雪は少ないものの、それでも十二月の夜は寒い。私は素直にコートを羽織るのが恥ずかしくて、そのまま手に持っていると、彼はコートを取って私の肩にかけた。
「キミのお母さんに言われてね。怒ってるからここにいるだろうって」
ローレンは何のためらいもなく話した。気は利くのに、空気を読まないのはロボットだからなのか、もともとの彼の性格なのかはわからなかった。私が怒っているのは、母さんが勝手にロボットをうちに呼んだからとか、ここにこの男を来させたからとか、そういうわけではない。母さんとは、ずっと前からケンカ中なのだ。
私は話題をそらした。私のとなりに座る彼は、涼しい顔をしている。白い肌の上のあごひげは、冬の地面に生えている草のようだった。彼の口からは白い息も出ていない。どうやら呼吸をしていないようだ。
「ロボットなのに、寒さって感じるの……ですか」
相手との距離が分からない。私は男親がいないからか、大人の男性が苦手だった。しかも相手(の見た目)は外国人で、中身はロボットだ。
「敬語じゃなくていいよ。僕は普通のロボットより温度を感じる。気温を測るのは仕事だから」
「じゃあ、どういう仕事? なにするロボットって言ったっけ」
ローレンは前傾姿勢で、あごに手を当てた。見たところ、家事をするようなロボットには見えない。
「天気を予測するロボット、かな」
なにそれ、と私は眉をひそめた。母さんが会社で作っているロボットには、企業の機密も入っている。ロボットが秘密を洩らさないようにセキュリティがかかっているのかもしれない。そうだとしても、さすがにこの嘘は下手すぎだと思う。
ローレンは人さし指を眼前にかざした。
「いまは気温2℃。湿度20パーセント、冬に典型的な、西高東低の気圧配置」
「ほんとに?」
私は目を見開いた。正直、気温を測るくらい、スマホでもできそうだったけど、私はなぜか驚いた。指を立てる彼が魔法使いのように見えた。
「空を見て。雲が全然ないだろ。これで地面の熱が空に向かって消えて、気温が下がっていく。『放射冷却』って聞いたことあるかい」
私は彼が指さした空を見る。確かに空には雲ひとつなく、お絵かきソフトで黒インクを流したように、まっ黒だった。
「なんか、気象予報士みたい」
「まあ、そう思ってくれていい」
「じゃあ今年の冬は寒い? 来年の桜はいつ咲くの?」
私が聞くと、ローレンの顔がとたんに曇った。
「今年はどうかな……春はこないかもしれない。桜は咲かないかもしれないな」
「うそ。なんで?」
私が反射的に尋ねても、彼は返事をしなかった。無言のまま地面を見つめている。私は視線をそらして、それ以上は聞かないことにした。もしかしたら、長いスパンの気象のことはわからないのかもしれない。
ローレンは表情を変えて、手を広げた。
「寒いだろ。そろそろ戻らないか?」
「うーん、だったら聞いてよ。母さんとのケンカの理由」
初対面の人に、どうしてこんな話をするのだろう、と思う。きっと相手がロボットだからだ。相手が機械だったら、変に気を使う必要もない。私の話も、どこかの短期記憶装置に保存されたあと、あっという間に消えてしまうのだ。
「わたしさ、いま高校二年生なんだけど、このあいだ進路希望をだしたの。進路希望ってわかる? 卒業したあと進学しますか就職しますかってやつ。でわたしさ、母さんとおなじ工学者か研究者になりたいって言ったの。そしたら母さんが反対してさ、そんなのはやめときなさいって。この時代、研究者の道は大変なんだから、やめときなさいって。自分がなってるのに、説得力ないと思わない?」
ローレンは苦笑していた。
「そうか、工学者になりたいのか」
私は言葉に詰まった。
「……まあ、別に、どうしてもなりたいってわけじゃないけどさ。けど家の中に工学の本とか英語の本がいっぱいだし、子どものころから読んでたしさ。将来どうなるかわかんないし、研究者の母さん見てたら、いろいろつらそうだし。ずっとふたりでやって来たから、大学行って家出ていいのかなとか、思って」
「将来が見えないか」
ローレンは空を見上げた。
「未来は確かに見えない。見えるものじゃない。ロボットだって、予想不能って結果を出すときがある、別に無理に決めなくてもいいかもしれない。ロボットはつい先のことを考えるからな」
ローレンは笑った。
***
ローレンというロボットは、普段なにをやっているかよくわからなかった。朝、わたしが学校に行く前は、優雅にソファに座っていたり、一緒に外に出てそのまま散歩にいったりする。母さんいわく、「休暇をとりながらデータを収集している」らしいけど、そうは見えない。学校から帰ってくると、彼は飼い猫と遊んでいたり、ベランダでぼんやり空を見ていたりした。それでも家に入ると、必ず私に顔を見せに来た。いつも母さんは仕事でいないので、家に人が居るのは新鮮だった。
同居人が増えたけれど、彼は食事もしないしお風呂にも入らないので、特に生活の変化はなかった。洗濯物にたまに男物が混じるようになったし、茶色の髪の毛が床に落ちてたりするけど、彼は新陳代謝をしないようなので、部屋もあまり汚れない。
私がリビングで塾の課題をやっていると、ローレンがノートを覗きこんできた。
「英語が好きなんだな」
「……好きかどうかわかんない。英語しゃべれるの?」
ああ、とローレンがうなずくと、彼の口から日本語ではありえない発音が飛び出した。見た目が西洋人のローレンにとっては、これが普通なのに、なぜか違和感が抱いた。
「すごいじゃん。ロボットが日本語と英語を両方理解するって、難しいんじゃなかったっけ?」
「よく知ってるな。レイカは工学でもやっていけるぞ」
私は眉をひそめた。確かに工学も英語もやるけど、それが好きかどうかは、私にはわからない。母さんのせいで、家の本棚にはいっぱい本があった。私は子どものころから本とコンピュータを一緒に触っていただけで、好きかどうかは答えがでなかった。言ってしまうと、今まで本当に好きになったものなんてない。男の子を見てドキドキすることはあったけど、それが『好き』という感情と合致するのかどうかは、誰も教えてくれなかった。
「私に英語教えてよ」
「英会話は専門の先生に習った方がいいと思うぞ。僕はただ話すだけ」
「英語の上達は、普段から話すことが近道でしょ」
ローレンは渋い顔をしてうなずいた。それから私は気が向いたとき、彼に英語で話しかけた。彼の教え方はうまいとは言えず、日本人にわかりやすいとは思えなかったけど、質問には必ず答えてくれた。言語処理に関して疲れはないようだった。
学期末の試験が終わって、冬休みに入った。いつも年末年始は、母さんの実家に行くのだけど、今年は仕事が忙しくて難しいみたいだった。私だけでも行くかとすすめられたけど、私は断った。代わりに郵便局でバイトをした。
新年になって2日目の昼、ローレンを初詣に誘った。近所の神社に着いたとたん、ローレンはしかめ面をした。口元に手を当てている。
「人が多すぎる。処理しきれない」
神社の境内は人でごったがえしていた。ローレンの視界に人が入り過ぎると、処理がしきれないらしい。仕方ないので彼は目を閉じ、私が彼の手をひっぱっていった。危ないかなとも思ったけど、ローレンは体も大きいし顔もおっかないので、多くの人がぎょっとして自分から避けた。
昼の神社は人だらけで、お参りの列が敷地の外まで続いていた。道の両端には出店がずらりと並び、お参りをすませた人たちが年始の時間を楽しんでいる。
行列の最後尾にくっつくと、ローレンが目を閉じたままこちらを見た。彼は大きな黒のコートを着ていた。彼は寒さは感じるけれど、寒くて風邪をひくわけではない。機械は熱に弱いけど、低い温度はどうってことはない。コートを着ているのは、単に周りに合わせているだけだ。
「これはどうして並んでるんだ?」
「お参り。一番前まで行ったら、おさい銭して、今年のお願いをするわけ。なにか叶うかもよ」
「なんで僕がお願いを……」
ロボットが神頼みをするのも笑える。
拝殿の前につくと、ローレンが目を開けた。私は小銭を渡してお参りをする。混みまくっていたので早々にその場を離れて、おみくじを買った。境内の端、大きなクスノキのそばでおみくじを開く。
「お願いすることってあるの?」
「あるにはある。でも願いに効果があるのかがわからない」
「そうでしょうね」
「キミは受験のことか?」
「受験は来年だけどね。まあそれくらいしか願うことないし」
ローレンはぐるりとあたりを見回した。
「……ここはクスノキ、スギ、ヒノキか」
私は一瞬なんのことかわからなかったが、すぐに境内に生えている木々のことだとわかった。
「人めっちゃ多いのに、そういうことはわかるんだね」
「木を見て気象を予想するのも仕事だから」
「ふーん。たしかサクラもあったと思うよ。いつか春に散歩したことあった気がする」
ローレンは反応しなかった。手のひらを顔にあてて、何かを計算しているようだ。やっぱり、春のことを言うと無言になるらしかった。私は彼のコートの端をつまんだ。
春になるのが怖かった。できればこのまま冬のままでいいと思った。