彼女との生活
5 彼女との生活
「着ていた服だけど・・・、シャツや下着はそのまま洗濯させてもらったけど、スーツは明日にでもクリーニングに出しておくわね。」
食後にお茶を出しながら、榛名朋美がさりげなく話しかけてくる。
何から何まで迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ない。
「それから・・・、あのスーツはこちらの世界の物ではないわね。
見たこともないタグが付いていたわ・・・、向こうの世界で支給されたものなの?
それにしてはスーツなんて・・・、囚人服っぽくはないわね。
逃げ出す時に誰かの服を借りたのかとも思ったけど、上着には新倉山って・・・ネームが入っていたから、ジュンゾーの物よね?
それと・・・、この財布に入っていたのは向こうの世界のお札ね?
ゲームセンターの店長は子供銀行券なんて言っていたけど、違うわよね・・・、向こうの世界のお金・・・、それと、これは純金よね?
向こうの世界の貴金属商の物だと思われるけど、純度99.999%の証明書が付いているわ。
私はこういうことには疎いけど、純金だったらこの世界では1グラム何千円って価値があるのよ。
それを何百グラムも持ち歩いて・・・、一体この半年間に何があったと言うの?」
恐らくクリーニングに出すつもりで、ポケットの中の物を全て取り出したのだろう。
財布の中身に関しては、ゲーセンの親父にも聞いていたのだろうが、金の板に関してはスーツの胸ポケットに入れっぱなしであった。
俺の唯一の財産なので、肌身離さずにしていたのが良くなかったようだ。
袋の中は探られていない様子だから、緊急持出し袋の中にでも忍ばせておくべきだったと後悔する。
向こうの世界に関するものは、こちら側の世界の様子が分るまで持ち歩くのは危険と判断して、緊急持出し袋だけを手荷物にして来たので、俺の正体がわかるものは身につけてはいないはずだったのだが、スーツのネームまでは気が付かなかった。
まあ、俺がこちらの世界に持ち込んだものは、私物のカバンとコントロール装置などの取扱説明書程度でしかないのだが・・・。
「なんて聞いても・・・、何も覚えていないのよね・・・、仕方がないわね・・・、まあ、おいおい思い出すこともあるでしょ、余り追求して余計に悪くなってしまうと困るから、もう気にしないでね。
お金と純金は、あなたが持っていた袋の中に入れておくわね。
少し休んで落ち着いたら、仲間たちの所へ行ってみるのもいいかも知れないわね。
そうねえ・・・、余り急だとパニックを起こすかもしれないから、1週間くらいはここでのんびりとしていてね。」
俺が答えに詰まっているのを見て、彼女は自分一人で納得して、更に俺の事を気づかってくれる。
ううむ・・・・いつまで黙っていられるのか、自信がない・・・。
食後の一服を終えると、用意してくれた歯ブラシを使い、洗面所で歯を磨く。
その間彼女はというと、何とシャワーを使っているではないか。
いや・・・、彼女の裸を期待して洗面所を使っている訳ではない。
彼女に呼ばれたので脱衣所に来たら、タオルと歯ブラシと歯磨き粉のチューブが置かれていたのだ。
寝る前に歯磨きをしろということと考え、念入りに歯磨きをする。
『シャー』その隣では、榛名朋美が一糸まとわぬ姿でシャワーを浴びているのだ・・・、まあ、裸でシャワーを浴びるのは当然なのだが・・・、彼女であるがこそ、その姿を想像することを掻き立てられる。
「じゃあ悪いけど、このソファーで寝てね。」
彼女は奥の部屋から大きな枕と掛け布団を持ってきてくれた。
もしかして・・・、などと考えなかった訳ではないのだが・・・、まあ、こんなところだろう。
彼女にベッドへ誘われたとしたならば、俺は違うと正直に打ち明けでもしなければ、断ることは不自然だろうし、俺の正体うんぬんよりも何よりも、その誘いを断れる自信は全くなかった。
それくらい以前の俺は、ゲーセンから帰るたびに何度も彼女の事を思い浮かべたものだった。
しかし、その様な事が許されるわけはない・・・、いくら向こうが勝手に勘違いしているのだとしても、それを利用して彼女と関係を持つことなど・・・、いずれ俺の正体がばれた時に、彼女を深く傷つけてしまう事だろう。
そうならずに済んだのだから、これで良かったのだと、いい方に考えることにしよう。
『カチッ』彼女が奥の部屋へと入って行き、電気を消したので俺もソファーで丸くなる。
そう言えば、このところまともに眠っていなかった・・・、 核攻撃前で籠城している時は、地上からあの地下室へ侵入されては困るので、睡眠時間を削ってまで、常に注意深くモニターを監視続けていた。
1日平均しても4時間は寝ていなかっただろうし、その睡眠もすごく浅く、少しの物音で目覚める程度の物だった。
核(恐らく核であろう)攻撃を受けてから気が動転して、更に寝ていられなかった。
なにせ目をつぶると、以前何かで見た核攻撃による悲惨な資料映像を思いだし、それが現実世界で起きているということに恐怖を感じて、とても寝つけるものではなかったのだ。
しかも、あの狭い地下室で1日中閉じこもって、仮眠の際も最初のうちはキャスター付きのチェアーを並べて寝ていたのだが、意外と安定性が悪く、最終的には床に新聞紙を敷いて直接寝ていた。
寝袋でもあればまだよかったのかもしれないが、さすがに寝袋ともなると大きく嵩張るので、怪しまれるから持ち込めなかったのである。
ソファーとはいえ、柔らかい床で眠るのは本当に久しぶりの事だ・・・、いつしか深い眠りに落ちて行った。
「わ・・・私が?私がやるの?」
(うん?)甲高い叫び声がして、目が覚める・・・。
「うっ、うーん・・・。」
『ガチャッ』
「あら、起こしてしまった?
じゃあ、顔を洗ってらっしゃい。」
ソファーから起き上がった俺に気が付いたのか、彼女は笑顔で俺に振り向く。
今、誰かと話をしていたような・・・、
「どうしたの?こうやって歯を磨いて・・・、こうして顔を洗って・・・。」
幼いわが子に教えるように、彼女が身振り手振りで歯磨きと顔を洗う仕草を見せる。
うーん、昨日からずっと子どもというか・・・、病人扱いだ。
まあ、記憶喪失の元彼か何か知らないが、勘違いしてくれているからこそ彼女も無防備に俺のいる部屋でシャワーを浴びたり、一つ壁を挟んだだけで眠ったりできるのであろう。
彼女を騙し続けることは本意ではないが、もう少しこちらの状況が分るまでは、悪いが利用させていただくことにしよう。
俺は言われるがままに脱衣所を兼ねた洗面所に行こうとドアを開けると、目の前には真っ白な・・・、ぶっ・・・ブラジャー???目がちかちかする・・・。
「ああっと・・・、ごめんね・・・、昨日洗濯したままで・・・。」
突然思い出したのか、彼女がダッシュで入ってきて、洗濯紐にかかっていたブラやパンツなど下着類をもぎ取るようにしたあと、後ろ手に隠そうとする。
ううむ・・・、この世界の俺との関係はよくわからないが、半年も会っていなかったので、油断していたのだろう。
気を取り直して、洗面台で歯を磨き、顔を洗う。
ついでに、石鹸を借りてひげも剃った。
シェーバーがあればよかったのだが、彼女の部屋にシェーバーがあるはずもなく、また、この世界の俺は剃刀派だったのかもしれないので、我慢することにする。
朝食は、目玉焼きとトーストだった。
野菜サラダには、彼女特製なのか、ドレッシングがかかっていて、これがまたうまい。
野菜などそれほど好きでもない俺が、彼女の作ったサラダならいくらでも食べられると感じたほどだ。
「じゃあ、スーツをクリーニングに出しに行くから、散歩がてら一緒についてくる?
その前に・・・、ちょっと待っていてね。」
彼女はテレビの上の高い位置にある、木でできた吊り棚に手を伸ばし、そこから小さな食器を取り出した。
その吊り棚にはやはり木で出来た屋根があって、なんだか奥行きの無く薄い家の形をしているようだ。
あれは、どこかで・・・、そうだ、近所のじいさんの家に行った時に居間に飾ってあった神棚ではないか?
彼女は台所で、小さな食器の水を入れ替えると、もう一度背伸びをしてそれらを戻す。
『パンパンッ』そうして彼女は、神棚に向かって手を叩き、黙とうする。
「ほら、ジュンゾーも、お祈りして・・・、もうこの世界が、他の世界からの強奪にあいませんようにって・・・。
前は毎日、今日こそは敵を撃退できますようにって拝んでいたのよ・・・。」
言われるがまま手を合わせて神棚に祈る・・・、ふうむ、こんな習慣がまだこの世界に残っているとは・・・。
お祈りをした後、彼女に誘われるがまま、外出しようとする。
俺が履いてきた革靴は、地下をさまよったおかげでかなり汚れているし、何より今の格好は薄手の長そでスウェットだ。
どうしようか考えていたら、彼女が男物の運動靴を下駄箱から出してくれた。
ううむ・・・、これもこの世界の俺の物だったのか?だとしたら、やはり彼女と俺は・・・。
昨日は暗くなって街灯だけだったから感じなかったが、アパートの前の通りは結構狭い・・、恐らく車が来たらすれ違うことは難しいであろう。
狭い路地のようなところを通って広い通りに出るが、電柱がむき出しの大通りには、マフラーから黒や白の煙を吐き出しながら、大きなエンジン音を立てて車がひっきりなしに往来していた。
ふうむ・・・、俺の居た世界では当たり前の事となり、規制すらなくなっていたのだが、排ガス規制や静音性能など、こちらの世界では無縁なのだろうか・・・。
「ちょっと待っていてね・・・。」
彼女は通りに面したクリーニング屋に紙袋を持ったまま入って行く。
恐らく俺の着ていたスーツのクリーニングだろう・・・、申し訳ないと思いながら心の中で手を合わせる。
「3日で出来ると言っていたから、ちょっと我慢していてね。」
店から出てきた彼女が笑顔を見せる。
「こっちよ・・・。」
そのまま彼女に連れられて少し歩くと、彼女は道路わきに作られた長い階段を昇って行く。
丁度道路の左側が、高い壁というか小山のようになっていて、その傾斜を昇って行くようだ。
結構急な階段を昇っていった先には、小さな公園があった。
「ここは眺めが良くて、私たちの町が見渡せるから、ジュンゾーと一緒によく来たのよ。
何か思い出せない?」
そう言いながら示す先には、確かに街中が一望できる高台からの景観があった。
瓦屋根や、赤や青など鮮やかな色をしたトタン屋根の家々が建ち並んでいる。
所々、空き地のように見える空間には緑が敷き詰められ、畑か田んぼであろうか・・・、人であふれた大都市東京にこんな場所があっても良いのだろうか・・・、と言った思いに駆られる。
少し向こうには工場群だろうか、高い煙突が何本も立っていて、これまたモクモクと煙を立ち昇らせている。
ううむ・・・、公害という言葉は、この世界には無縁なのであろうか・・・、小学校の時に遥か昭和の時代には光化学スモッグとかいう工場の煙や車のばい煙などの影響で、子供たちが外で運動も出来ない時代が続いたと習った記憶がある。
文明の発展の為に環境を犠牲にしては決していけないと授業で習ったのだが、こちらの世界では、まだ環境に気づかうところまでは行きついていない様子だ。
それほど高い山というか、百メートルもないせいぜい丘程度の高さなのであるが、それでも高いビルなどが建っていないためか、ずっと先までも見通せるように感じるのは、当たり前だが空気がきれいで澄んでいるからで、汚染がさほど進んでいないのか、あるいは見た目ほどばい煙がひどくはないのかのどちらかだが・・・。
おや、あれは・・・?
「そうよ・・・、ここからなら、富士山だって見通せるのよ・・・、まあ晴れた日限定だけど・・・。」
遥か西の先を見つめていると、彼女が横に寄って来た。
ううむ・・・、俺の故郷というか、俺の生まれた街も捨てたものではないのだと、思い知らされてしまう。
「これが、私たちの町・・・、私たちの世界・・・。
この世界が、侵略されかかっていたのよ・・・、数年前に突然現れた物言わぬ機械によって・・。
そいつらは、何も言わずにただひたすら食料などの物資をかき集めては、どこかへ輸送していたわ。
その行先は、誰にも分らなかった。
当初は、どこかの国の攻撃だろうと周辺国を疑っていたけど、世界中の国や地域が等しく同じ機械によって強奪されていたので、この世界の物ではないとすぐに判ったわ。
強奪される物資に発信器を忍ばせてみたこともあったけど、発信器の電波はその場所から忽然と消えてしまうの・・・、宇宙へと信号が遠ざかっていくのであれば、異星からの侵略なのだろうけど、一瞬で掻き消えてしまうので、宇宙へ運び出されている訳ではない。
強奪されそうな物資にランダムに発信器を仕込む調査は、延々と続けられたけど、どうやっても信号は夜中になるとその場所のままで途絶えてしまい、移動した痕跡や発信器を壊された形跡もなかった。
世界中の研究者があらゆる可能性を推察して、ようやく異次元からの侵略であろうと結論付けたのよ。
当初は、ばかげたSFまがいの空想だと揶揄されたようだけど、何度も繰り返される調査結果から、それを認めざるを得ないということになったのね。
圧倒的な科学力の差を持つ異次元からの攻撃・・・、確かにこの世界では争い事もなく、平和な百年が続いているのよね・・・。
長く続いた江戸時代という侍の時代では、この日本という国は鎖国という外国との付き合いを一切しない状態が続いていたの。
それが、大国アメリカなどからの要求により開国して、その後は周辺国とも協力して、ともに文明を発展させてきたのよ。
農業政策や工業化政策なども成功して、人々の生活が楽になって来たと思った矢先の侵略行為だったので、本当に悔しかったわ・・・。」
彼女も俺と一緒に遥か向こうの富士のお山を眺めながら、記憶をなくした俺に対してなのか分らないが、この世界の事を紹介しようとしてくれている。