最強冒険者の悪役令嬢
気づいたら、俺は悪役令嬢になっていた。
日本でトラックにひかれたところまでは覚えている。
死んだんだろう。
しかし、気づいたら女の体でこのファンタジー世界に生まれなおしていた。
「フレア様、入ります」
「どうぞ」
侍女のアルが俺の部屋に入ってくる。
黒い髪を後ろでまとめた、とても美人なメイドさんだ。
俺が男だったら、ぜひともお近づきになりたいと思う。
「お召し物を変えさせていただきます」
「お願い」
アルが、俺の部屋着を脱がせ、ドレスを用意する。
女性に衣服を変えられるのは、なんとも不思議な気分だ。
まあいい、この間にもう少し説明しておこう。
気づくのに時間がかかったが、この世界は日本にあった乙女ゲームの世界のようだった。
妹がいつも興奮気味に話してきたから、細部までは覚えてなくともストーリーくらいは頭に入っている。
ここは剣と魔法が精通しているファンタジー世界。
その中で、俺の立場は貴族の令嬢ってことになる。
ゲームの世界での立場だと、主人公の邪魔をする悪役ってとこだ。
つまりはやられ役。
最終的に主人公と男を取り合って、負けて没落する流れだ。
「憂鬱ね……」
「どうかされました?」
「いえ、何でもないわ」
俺は心配しないでという意味を込めて、アルに笑いかける。
どういうわけか、この世界ではふつうにしゃべってもお嬢様言葉に変換されるから便利だ。ボロが出ない。
憂鬱ではあるけれど、決してあきらめているわけじゃない。
このまま主人公の引き立て役で終わるなんてまっぴらだ。
まったく別の道へ行ってやる。
そのために、今日まで待ったんだ。
「本当に――――ダンジョンに行かれるのですか?」
「行くわ。何のために剣術と魔法を習ったと思って?」
そう、俺は今日、魔物が蔓延るダンジョンへと挑む。
ダンジョン自体は初心者用の、弱い魔物の巣だ。
本来の令嬢は、日々を優雅に紅茶を飲みながら過ごすような女だった。 だったら逆を行こう。
ダンジョン潜りの冒険者として、いつか名を馳せてやろう。
「お父様も心配しすぎよ。10人も兵士をつけなくたっていいじゃない」
「心配にもなります。ダンジョンは常に危険と隣り合わせなんですから」
俺は胴回りの着付けをしてくれているアルのために両腕を上げながら、困った表情で言った。
父さんは、俺の初ダンジョンに兵士を10人もつけると言い出したのだ。
最初は断ったけど、最低条件と言われてしまい、しぶしぶ了承している。
「衣服の方は着付けできましたので、鎧の装着をお願いします」
「ええ」
アルの指示に従い、足下に置いてあった鎧を手にとって、自分でつける。
こればっかりは、締め具合もあるため自分でやならければならない。
別にドレスや他の衣服も一人で出来るのだけど、させてもらえないんだ。
「これでいいかしらね」
「大変勇ましく、お似合いでございます」
装着も終わり、鏡の前に立った俺の姿は、白銀の美しい鎧をまとい、金髪を短く切りそろえた美人になっていた。
やっぱり慣れないものである。
「お忘れ物はないですか?」
「あったらあなたが止めてるわ」
「大変うれしい褒め言葉でございます」
アルは笑っている。
俺が貴族らしくないことは一番アルが知っているんだ。
だから最近では軽口だって叩きあえる。
それから外に出ると、そこには10人の鎧を着た兵士たちが並んでおり、その前に父さんが立っていた。
「来たか」
「どう? お父様。似合ってますか?」
「よく似合っている。ぜひとも着てほしくはなかったがな」
父さんはまだ渋い顔だ。
俺もずいぶんと信用がない。
「出発前にもう一度聞く……本当にダンジョンに潜るのか?」
「それを聞かれたのは、もう7、8回目よ。私の考えは変わらないわ」
「……そうか」
父さんが俺の横を通り過ぎる。
うちの大きな屋敷の前で振り向くと、父さんは苦笑を浮かべながら俺を送り出してくれた。
「何よりも無事で帰ってくることを最優先にしろ。それが守れるなら行ってよし」
「愛してるわ、お父様。またね」
父親に愛してるなんて言ったのはいつぶりかと考えながら、俺は兵士10人を連れてダンジョンへと出発した。
それから半日経って、俺たちは街を抜けてダンジョンに到着する。
ここは洞窟型のダンジョンで、地下に潜っていくように出来ている。
数人の冒険者たちとすれ違いながら、俺たちもダンジョンの中へと足を踏み入れた。
「フレア様、先頭は我らに」
「そんな過保護にならなくてもいいのに」
兵士一人の号令で、10人が俺を守る形の陣形へと動く。
これじゃ俺が戦えないってのに。
「フレア様、警戒を」
「敵かしら?」
前方の兵士がすぐに制止の号令をかけ、俺たちは足を止める。
その先には一体の魔物。
プルプルとゼリーのように震える、スライムという生物だ。
この世界では、最弱の魔物と名高い。
「フレア様にはいっさい近づけさせるな!」
「そんなに警戒しなくても……」
恐ろしい形相でスライムを睨んでいる兵士たちの横を、俺はするりと抜けた。
そして、前方のスライムに対して腰の剣を抜いて、一振りの元に切り捨てる。
「別にいいのに、こんなに弱いのだから」
「おお……」
兵士たちの拍手が飛ぶ。
俺だって十年近く剣術を習ったんだ。
今更スライムには遅れを取らない。
「ここで拍手はいいわ。先へ行きましょう」
いつの間にか、先頭は俺になっていた。
それから30分ほどか、多分順調に進んでいるのではないかと思う。
スライムだけじゃなく、狼の魔物や猿の魔物も狩れた。
ドロップアイテムも結構美味しい。
皮や骨、特にスライムのゼリーはいい値段で売れるそうだ。
「この辺りはもう手応えがなくなってきたわね。もっと奥へ行きましょうか」
「お言葉ですがフレア様」
「え?」
さらに下の階層に降りようとする俺を、兵士の一人が止める。
「この先は罠が多くなります。まだ未発見のものもあるらしく、初心者冒険者は基本この階層までで打ち止めしています」
「私にもそうしろと?」
「はい」
話にならない。
俺はその言葉の制止を振り切って、下へと続く階段を下り始めた。
下の階層は日の光などいっさい届かない薄暗闇で、壁や天井のヒカリゴケのおかげでなんとか見えている程度。
そんな通路に現れたゴブリンを、俺は相手が気づく前に切り捨てた。
「フレア様! 危険でございます!」
「大丈夫よ、今見たでしょ? まだ一撃で倒せる範囲だわ」
俺は兵士たちに笑顔を見せた。
この階層なら、俺の力でも十分やれる。
そう――――思ってたんだ。
「え……」
「フレア様!」
俺が一歩足を踏み出した、そのとき。
突如足下が光りだし、俺を奇妙な浮遊感が襲った。
「うわぁ!?」
みっともなく尻餅をついてしっまった俺が見た光景は、日本で言う学校の体育館ほどの空間。
ダンジョンと同じヒカリゴケが光源になっているため、まだ外に出ていないことは分かる。
ただ問題なのは、俺を絶好の餌か何かと勘違いしている、この大量の魔狼たちだろう。
「これはまずいかしら……」
「ぐるるる……」
「っ!」
「グルァ!」
狼の形をした魔物である魔狼の一匹が、俺めがけて飛びかかってくる。
地面を転がるようにしてかわすと、魔狼は難なく着地して、再びこちらを睨みつけ始めた。
「出口……っ! 探さないと……」
俺は急いで辺りを見渡す。
しかし、大量の魔狼に隠れて何も見えない。
出口など以ての外だ。
「くっ……」
「グルァ!」
今度は2体、魔狼が飛びかかってくる。
俺は片方をかわし、片方を剣で両断した。
血しぶきを軽く浴びながら、俺はすぐさま近くの一体の首を飛ばす。
「退きなさい!」
まずい、この量はまずい。
手から火の魔法を撃つ。
どうやら命中したようだけど、もう見てる暇はない。
近づく魔狼を片っ端から切りつけていく。
「ガァ!」
「ぎっ――――」
左腕に魔狼が噛みついた。
牙が肉に食い込み、激痛を訴える。
流れ落ちる血をよそに、右手の剣で魔狼の脳天を刺した。
「痛い……」
左腕が上がらない。
どうやら大事な神経を傷つけられたらしい。
回復魔法をかけるべきだ。
しかしそんな時間はない。
「あぁぁぁぁ!」
叫びながら、剣を振るう。
俺の叫びには、恐怖が混じっていた。
ここは魔狼の巣。
俺はさっきのワープトラップに引っかかり、ここに送られてきてしまったらしい。
バカだ、あれだけ啖呵切っておいて。
あそこで兵士の制止を聞いていれば、こんな目には遭わなくて済んだはずだ。
たかが初心者ダンジョンとなめていた俺の落ち度だ。
「あぐぅ!」
魔狼が肩と太股に噛みつく。
肩の方は牙が深く刺さったが、足は軽く抉られるだけで済んだ。
十分、機動力は削がれたけど。
「……たまるか」
俺は、肩に噛みつく魔狼の胴体に深く剣を刺した。
「ギャッ!」
「死んでたまるか……」
鎧を食い破ったせいで、逃げられなくなったこいつが悪い。
そうだ、死ぬのは自分が悪いんだ。
弱いのが悪いんだ。
「あぁ!」
絶命した魔狼の牙を引き抜き、近くにいたもう一匹に投げつける。
ひるんだところにすかさず突撃。
死体ごと、奥の魔狼を剣で貫いた。
「ふんっ!」
倒れた魔狼から、足の力を利用して剣を引き抜く。
そしてそのまま、後ろかから飛びかかってきた一体を上下に両断した。
「二度も死んでたまるかよ……」
前方から2体、後ろから1体。
腰を低くして構えた俺は、前方の2体を一振りで切り捨てた。
後ろの魔狼は、足を突きだし顎に蹴りを入れる。
浮かび上がったところで、剣を突き刺し勢いよく振った。
遠心力に従い、刺さった魔狼は剣から抜けて飛んでいく。
再び奥の魔狼をひるませ、俺はそこに火の魔法を撃ち込んだ。
「はぁ……はぁ……」
多くの魔狼を吹き飛ばせる代わりに、魔法はかなりの魔力を消費する。
あと撃てて一発、威力を抑えれば二発ってところだ。
剣も限界が来ている。
業物だったとは言え、あまりにも酷使しすぎた。
こっちもあと何回か振れば切れなくなるだろう。
「どうした? 俺を殺してみろよ……っ!」
しかし、怖気づけば負けだ。
いつの間にか、口調が男のときのものに戻っている。
今はありがたい、この方が迫力は出るから。
まだまだ魔狼の数は多い。
構わない、剣が折れれば残った腕で。
魔法が撃てなきゃ石でも投げるさ。
絶対に、生き延びる。
「はぁ……はぁ……」
何分経った。
いや、何時間か? さすがに一日ということはないだろう。
気づけば、俺は魔狼の屍の山の上に立っていた。
全身血にまみれ、剣は根本から折れている。
鎧はもう原型すらなく、貴族の心を忘れぬよう着せられたドレスは、ボロボロになって役割を果たしていない。
失った血は計り知れない。
もう立っているのもやっとだ。
だけど、生きている。
こうして息をして、血肉の上に立っている。
勝者は、俺だ。
「おおぉぉぉぉぉ!」
思わず叫んだ。
今度は、歓喜の声で。
それからさらに数分が経った。
回復魔法が使えるだけ魔力も回復し、血が流れていた部分の止血だけ済ます。
もともと回復魔法は得意じゃない。
応急処置にしては上出来な方だろう。
「……行くか」
もう口調は戻らないみたいだ。
魔狼の死体をかき分け、出口を探す。
すると、この部屋の隅に光る魔法陣を見つけた。
俺が飛ばされた罠と同じ光り方をしている。
「……」
回復魔法をかけたとは言え、体力はもう限界だ。
早く休みたい一心で、俺はその魔法陣に飛び込む。
再びの浮遊感。
それがおさまると、俺は思いっきり地面に体を打ち付けた。
「いってっ!」
最初に感じたのは、草と土の臭い。
俺の頬は、地面に生えた草に接触していた。
「あ、明るい……」
体を起こすと、目に入ったのは青い空。
どこまでも草原が広がり、さわやかな風が吹き抜ける。
「生き残った……」
安心からか、俺は草原に体を投げ出した。
ここがどこかは分からないけど、今は休みたい。
疲れて一歩も動けない俺の体は、まるで鉛のようだ。
そして、同じだけ疲れている俺の意識も、すっと眠りの海へと沈んでいった。
「なあ、知ってるか? この辺りで有名な金髪の冒険者の話」
「なんだそれ」
ここは冒険者がよく通う酒場。
男に女、様々な種族が入り乱れて飲むこの場所で、二人の冒険者が世間話をしていた。
「なんでも、100を越える魔狼どもを一人で殲滅して、暴れ猿の群を駆除したり、ドラゴンを撃退しているルーキーがいるんだとさ」
「はぁ? なんかの間違いじゃねぇのか?」
「いや、本当なんだって。きれいな金髪だから、見た連中はよーく覚えているんだと」
興奮気味に語る男の冒険者は、そこで一度言葉を区切って、酒をあおった。
「ぷはぁ! それにこれは噂だが、女だって話だ。あと、いつも横にメイドを連れてるだとか」
「どっかの令嬢かなんかか? まあそこまで有名なら、ぜひとも見てみたいものだぜ。それで、名前は?」
「フレアだ、覚えてくれたらうれしい」
「「うおわぁ!?」」
突然、彼らのテーブルに手が置かれる。
二人が顔を上げると、そこには金髪で人形のごとく整った容姿を持つ女がいた。
「なにかの縁だ、ここは俺が奢るよ」
「え、え?」
フレアと名乗った女が手をどけると、そこには金貨が置いてあった。
あとしばらくこの二人が酒を飲んでも、十分払える金額だろう。
「じゃあな。行くぞアル」
「はい、フレア様」
フレアは、横に控えていたメイド服の女とともに、酒場を去って行く。
取り残された冒険者二人組は、置かれた金貨を眺めて、ため息混じりにつぶやいた。
「……惚れた」
「俺も……」
酒場の外の通りは静かだった。
そこを、二人の女が歩いていく。
「明日はなんの仕事だっけ?」
「飛竜の討伐ですね。今のフレア様であれば、小遣い稼ぎくらいにしかならないかと」
「まあいいさ、それでもこの街で受けられる最高難易度だったんだから」
フレアは帯刀している業物の剣を、とんとんと人差し指で叩く。
「最強まではほど遠いかもしれないけどさ、いずれなってみせるさ」
「はい」
初めは、ただのやられ役の悪役令嬢だった。
それが今では真逆の道へと進んでいる。
本来この世界でフレアと争うはずだった主人公、いつか彼女と会うこともあるかもしれない。
それでも、この世界は別の運命へと進んでいる。
もはやゲームとは違ったストーリーを歩んでいるフレアを待ち受ける運命とは――。
それはまた、別のお話。