樺 不軌(かんば ふき)の経緯
神木 葛軌は、外道だ。
いや、初めから真っ当な道など歩んでいないのだから、外道というよりは屑だな。
奴は人の不幸を喜び、人の幸せも喜ぶ。
幸せならば、どん底に落としてやれるから。不幸なら、また幸せにしてやれるから。
人の歪んだ顔、苦痛にあえぐ姿、絶望に落ちた時。それらが、最高の快感だと言っていた。
人間が嫌いなのかと聞いたら、『違う。むしろ好きだから落とすんだ』と宣った。
屑な上に歪んでいるなんて、本当にどうしようもない。
だが、本当にどうしようもないのはそんな奴に心酔している俺自身なんだろう。
俺は、極道の家の生まれだった。
親父の名は樺 玖聾。樺家の当主。
お袋の名前は知らない。正妻ではなく、玖聾が出先で抱いた妾で、俺を生んだあとに死んじまったらしいからな。
正妻は子供ができにくい体質だったらしく、俺はその子供が生まれるまではツナギとして、生まれた後は有能な駒として動けるように育てられた。
物心つくころ、初めてかけられた言葉は「駒としての役割を果たせ」だった。
笑えるだろう? 鼻水垂らしているようなガキに「仕事をしろ、殺しをしろ、できないならば死ね」といったんだ。
普通の奴ならそんなことは無理だし、現に俺の前に生まれていたという異母兄は裏切り者を始末仕損ねて、組員に腹を掻っ捌れて死んだらしい。
けど、俺は兄と同じ轍は踏まなかった。それはひとえに、俺がまともじゃなかったからだろう。
8歳のときだ。俺は玖聾に単独で仕事に派遣された。最近台頭し始めている組織の壊滅が目的のものだった。生まれたときから銃火器や刃物の扱い、戦い方は教わっていたが、実戦経験をつんだことは一度もない。それなのに、15人程の大人達を皆殺しにしろときたもんだ。
今思うと、笑い話だが当時は少し緊張もしていたんだぜ? 俺に、うまくやれるのか…ってな。
俺は早鐘を打つ心臓とともに、奴等のアジトの扉を思いっきり開けた。
「!! なんだっテメェ!!」
「樺家の奴かっ!?」
中にいた奴等は、それぞれの獲物に手をかけて臨戦態勢をとった。けど、直ぐに険しい顔を解き、舐めた態度でこちらをみてくる。
「あーん? 坊主、お前こんなとこに何のようだぁ?」
「ここは、てめぇみたいな餓鬼がくるとこじゃないんでちゅよー?」
「ああ!でも、こんな遅くまで遊びあるいているような奴には、俺たち大人がしっかりと教育してやらないとな?」
下卑た笑みを浮かべながら、その手を伸ばしてくる男たち。俺はその汚らしい手に向かって、引き金を引いた。
「あ゛ぁあ゛っ!!?手がっ!!ひっ…!!!」
血の滴るほうの手首を握り締めながら転がった男に、周囲は殺気立つ。
「お前っ!!ただの、ガキじゃねぇえな!!」
「くそっ、殺してやるっ!!」
そんな奴等の姿を見て、無意識に口角をあげていた。こんな状況であるにも関わらず、俺は興奮していたのだ。この殺されるか、殺すかの状況がたまらなく愉しくて仕方ない。今まであんなにもつまらなかった世界が嘘のようだった。
…
……
………
「なんだよ。もう終わりか」
周りは死屍累々。息をしているやつは誰一人としていなかった。鼻を鳴らして死体を蹴るが、何の反応も返ってこない。
「ちっ、つまんねぇの」
「おめでとうございます、不軌さま」
「あ?」
振り向くと、俺の教育係の男がパチパチと拍手をしながら歩いてきた。黒スーツと顔に傷をこさえた、いかにもカタギじゃない出で立ち。
名前も経歴もしらないが、樺家の幹部の一人だ。
「無事、第一試験を突破されたようですね」
「試験?なに、そんなことしてたの」
「はい。頭目は不軌様が死ぬ、または敵を一人でも取り逃がした場合は、私に不軌様を処分するようにお命じになっておりました」
「うげっ!!まじかよ!どうせ、そんなことだろうとは思ってたけどさぁ」
「とはいっても、頭目は不軌様が不合格になるとは思っていらっしゃらないようでした」
「は?なんで?」
いくら親父といっても、奴は俺のことなんて眼中に入れてない。俺の実力なんて知る機会もなかったはずだ。
「アイツは、俺と同じだからなぁとおっしゃって笑っていましたよ」
「……うっわ。鳥肌たつから、やめろよ」
いけすかない肉親の嘲笑が自然と浮かび、顔が歪む。
(まぁ…たのしかったから、いいか)
奴の思い通りにいくのは癪だが、心底愉しいと感じたあの感覚。あれを忘れて生きていくのは到底無理だ。
「それと、御柱様があの子供は?と尋ねられたからとも」
「”みはしらさま”?」
きいたことのない言葉に首をかしげる。一体誰のことだ。
「あぁ。不軌様は、まだお会いになられてなかったのですね。大丈夫ですよ、時がくればきっとお会いになれます」
そういって微笑む姿に目を瞠った。いつも仏頂面のコイツが表情を和らげた。それは、御柱様とかいう奴の影響なのだろう。
「…ふーん。ま、俺には関係ないけどな」
御柱様のことが気にならないわけではないが、今はそれよりも人を殺したかった。
早く、早く、あの快感を味わいたい。
俺はそればかりを考えていた。
来る日も来る日も殺人にあけくれていたわけだが、高2の夏。とうとう俺は不満を爆発させた。
「あ゛あぁあああ!!たりねぇ!!なんか、たりねぇ!!」
今日も任務を終え、血溜りの中にいた俺は地団駄を踏んだ。ビチャビチャと、血が飛び跳ねるが、そんなことはどうでもいい。この欠落感の方が問題だ。
「くっそ、なんであの快感が味わえねぇんだよ!!」
そう、幼いときに感じたあの快感がどんどん薄れていくのだ。同じように人を殺しているにも関わらず。場所?人数?考え得る限りのパターンを試したが、快感は全く湧いてこない。
「一体何が悪いっていうんだ!!」
幹部もあの親父も倒せるくらいの力を得たというのに。本当に何が悪いのか、俺の脳みそではわからない。これでも、頭は悪いほうではないのだが。
「あー、帰りたくねぇ」
任務を終えたら報告をするのが義務だれども、今はそれも憂鬱なことだった。近頃、家が面倒なことになっているせいだ。
(そもそもの発端は玖聾だけどな)
親父が突然、生まれた正妻の子ではなく、俺に跡を継げといってきたのだ。もちろん俺は、そんな面倒くさいことはいやだ。弟につがせりゃいいだろと反発したが、聞きやしない。そして弟(名前は忘れた。興味ないし)や正妻は、権力が握られなくなった原因である俺を憎んで、なんとか殺そうと躍起になっている。御門違い甚だしい。
殺し合いは万々歳だが、面倒ごとは御免だ。
「はぁ、なんでこう悪いことが続くのかね」
ため息をつきながら、しぶしぶ帰途につく。
―樺家・本家―
「帰ったぞ」
「「「おかえりなさいませ、不軌様」」」」
廊下が血で汚れるのも構わずに、荒々しく床を踏み鳴らして歩く。周りの使用人はそんな俺におびえながらも、頭を下げる。樺の家の者がこの程度で怯んでいたら、やっていけないと思うんだがな。そんな中、かつての教育係であり、今の俺の部下が近づいてきた。
「不軌様、お帰りなさいませ。お疲れのところ申し訳ないのですが、奧の間へ御向かいください。頭目がお呼びです」
「どうせ跡取りのことだろ」
「いえ、不軌様に会わせたいお客様がいらっしゃるそうです」
「きゃくぅ?」
(あいつが会わせたい客なんて碌なもんじゃないだろうな。まぁ、暇つぶしくらいにはなるか?)
突然の呼び出しに疑念もあるが、それよりもなにか面白いことがあるかもしれない。微かな期待に急き立てられ、そのままの格好で奥の間へ向かっていった。
「おい、来たぞ」
礼も作法もなにもなく、荒々しく足で障子を開けた。室内は畳に掛け軸、刀が飾られた普通の和室。中には、4つ置かれた座布団のうちの1つに樺 玖聾が腕をくんで座っていた。
「なんだその格好は」
俺と同じ碧眼がこちらを睨む。樺家当主の座について、何年か経っているのに、変わらないどころか、年々増す威厳には頭が下がり上がらない、と古株の部下が言っていた。俺はこいつの最盛期を知らない。だが、奴の言い知れない圧には、さすがに樺の当主だと認めざるを得ないモノがある。
「いつもだったら、何もいわねぇだろ」
「……ちっ、有希の野郎。何も言ってねぇのか」
「は? 別にいいだろ。どうせ俺に会わせたいなんて奴なんて、まともじゃねぇだろうし」
「口を慎めっ!!!」
いつもの調子で軽口を返したら、玖聾が物凄い剣幕で怒鳴ってきた。俺はその様子に、少しばかり驚いていた。
(コイツが怒るところなんて、初めてみたな。嘲笑ったり、見下したりしているのはよく見たけど)
「今日会う御方は、本来ならお前なんかが気軽に会える御人じゃねぇ。俺がこの家を継いだときからお世話になっている方だ」
「玖聾が人を敬ってる…?どんだけ強いんだよ、そいつ」
「軽々しい口を叩くなっ!!」
「なんだよ、これくらい普通だろ」
怒る玖聾の様子は尋常ではない。
(誰なんだ。玖聾がここまで敬意を払うやつって)
そこまで考えて、ふと以前にもこんなことを考えたと思い出す。
(あれは…そうだ。初仕事の後、有希が言った人物だ)
たしか名前は……
「御柱様」
「なんだい?」
「…………………は?」
背後から返事が返ってきた。玖聾をみると目をこぼれそうな程見開き、俺の後ろにいる何かを凝視している。その視線を辿る様に後ろを振り返った瞬間、時間がとまった。
「はじめまして、樺 不軌。俺が君達のいう御柱の神木 葛軌だ」
透き通った声で名乗ったその人が、後の俺の主となる存在だった。
とりあえず樺先生の話は、ここで一区切りしときます。