第3章
つぎの日になるとクラスの質問攻勢はすっかり止んでいた。まくらとなった私を誰かが触れ回ったようだ。そして彼らが出した結論は「この二人を邪魔するべからず」だった。
いままでだれとも仲良くしなかった姫を、ここまで手懐けた唯一の人として特別視されてしまったらしい。傍から見たらこれほどの仲良しはそうあるまい。
他クラスの好奇心の強い女子などはよく訪ねてくるのだが、そのたびに那美がやってきて笑顔で追い払ってしまう。
予想をはるかに裏切る形で、静かな日常が進行している。
4日目の木曜日にもなると、私のほうでも冷静に状況をつかめるようになっていた。
図書室のソファで、この子が私のひざで眠っている間は秘密がばらされることはないだろう。それならば、ほんのすこし役得を味わうくらいは構わないはずだ。
そっと長い髪に触ってみた。ふわふわした髪のその色は、日に焼けてちょっとした色の変化があるのをみるに、染色などは一切していない生まれつきの栗色だろう。
「うぅん」
驚いて顔を見ると、親猫に毛づくろいをされている子猫のような、くすぐったそうな笑みが浮かんでいる。
もうすこし触ってもいいよね。手ぐしで髪をすいたり、頭を撫でたりをゆっくりゆっくり繰り返す。あいかわらず気持ち良さそうな顔。
そんなことをしていると30分はすぐに過ぎた。予鈴とともにぱちりと目を開けて、起き上がるとぐっと伸びをする。寝覚めはすこぶるいいのだ。
普段なら何も言わず私をひっぱってさっさと教室にもどるのだが、今日は違った。
「いい夢をみたわ」
「どんな夢?」
ちらりと私の手を見やる。
「これからも、髪が痛まないくらいならいいわよ」
そう言ってさっさと部屋から出ていく。
顔がすごく熱い。どんな顔をして教室に入ればいいんだろう。
土曜日になっても彼女は私をひきずって図書館へと突き進む。
「今日は鍵閉まってるってば」
そういえばこの間はどうやって入ったんだ。
扉の前までくると、ポケットから何かを取り出した。鍵だ。
よく見慣れた図書室の鍵と同じものが手に握られている。
「どうやって手に入れたのよ、それ」
「あとで教える」
内側から鍵を閉めると、今日も同じようにソファへと連れてゆかれ、まくらの私の上で彼女は眠るのだ。
目を閉じてから、彼女がぽつりとつぶやいた。
「撫でて、この前みたいに」
ほんのりと染めた頬。きのう寝起きの機嫌がわるかったのはもしかして。
なんだかとても幸せな気持ちで、私はずっと髪を撫でていた。
「じゃあ病気なんてないの!」
「そうよ」
一緒に帰ると言い出した彼女にこれまでの疑問をぶつけてみると、驚くほどあっさり答えてくれた。
「どうして寝るの」
「眠いから」
あまりにシンプルな答えに何も言えなくなる。
「入学してすぐにあの場所を見つけたの。そこのソファでお昼寝をしていただけなのに変な噂が立って」
気持ちはなんとなく分かる。毎日あんなところで美少女が眠っていたら、不思議な事情があるに違いないと想像してしまうだろう。
「鍵は」
「病気を真に受けた先生方に、最初は保健室で寝るようすすめられたの。薬臭いから嫌だといったら条件つきのないしょで」
学校の警備がとても不安になったが、さらに興味がわいた。
「条件って」
「悪用しないこと、それとないしょ」
「えー」
それきり彼女はどんなに尋ねても教えてくれなかった。その話はおしまいになって、かわりにいろんな話をした。彼女はファッションや芸能人にすごく明るくて、私は図書室で彼女が見向きもしなかった本たちやクラスのみんなのことを話した。彼女は驚くほどクラスメートのことを知らなかった。
「もしかして芸能界とか好きなの」
「いいえ」
じゃあなんで詳しいのだろうと不思議に思ったが、彼女の苦い表情を見て何も言わなかった。
「じゃあ私の家ここだから」
「また明日ね、若葉」
玄関に入ってから明日が日曜日だと気づいて、彼女の言い間違いにくすりとした。ここまで一緒に来たけど家は近所なのだろうかと、ちょっと浮かれた気持ちで階段を登った。