2話 これまでと、これからを
「あちち。さてっと、何処から話せばいいかなー」
切株に座ったベルさんとヘラに経緯を話すにあたって、まず困った事がある。
それは、僕には前世について名前や出身地以外のほとんどの記憶が無いこと。
聞いたことのある言葉で言うなら《記憶喪失》というやつで、名前意外は、生活圏内にあったのだろうちょっとした知識だけという感じだ。
なので、これから話す内容が真実なのか、はたまた夢物語なのか誰にも分からないし、正直、これで何を理解しろと言うんだ! と相手が困り果てるレベルだと思う。
聞く人によっては、残念ながら端から信用出来ない内容である事は確かだと思うが、知ったこっちゃない――
「まず、僕は日本っていう国に住んでいました。そこには、先ほどベルさんが使っていた様な魔法とかは無くて、電化製品っていう電気を用いた機械が溢れていて、人も沢山いましたし、これ程の自然はそうなかった様に思います」
そう言いながらも、聞いてくれている二人の様子を確認する。
うん、とりあえずここまでは問題無さそうだ。
電化製品に関してどういったものなのかとか、事細かく質問されたらどうしようかと思ったが、要らぬ心配だったようだ。何せその類に関する知識は持ち合わせていないので説明のしようが無い。
ここにきて、異世界の雰囲気を伝える事の難しさだけは解った気がする。元の世界の話は程ほどに切り上げて、別の話に持っていこう。
「最終的に記憶にあるのは、僕が市場みたいな所で食品などを仕入れた帰りに、車っていう大きな乗り物に衝突したあたりです。そこから目が覚めるまで何があったのかは解りませんが、次に目覚めた時には既にこの状態でした」
そこまでを聞いて、ベルさんが咥えていたパイプを一旦離すと、口を開いた。
「ふむ……儂が把握しとる限り、その日本という地より来た転移者はこの数百年で過去に二人ほど居ったと記憶しておるぞ」
ベルさんは、どうやら転移者が他にも居たらしい事をさらっと教えてくれた。
それにしても日本から二人もいたのが驚きだ。ひょっとして国を指定しなければまだ沢山いたりするのだろうか。
「転移者が他にも!? 頻繁にそういった人は現れるものなのですか?」
「いや、多くはないぞ。お前さんの前じゃと、おそらく六十年ほど前に他の地から一人、転移者が居た程度じゃ。ただ、転生者となると儂も聞いたことがないのぅ。ひょっとすると記憶を失っておるかもしれんがな」
聞いてみると、それほど頻度が有る訳ではないようだった。
確かに、そう高頻度で人を転移させられたら、堪ったものじゃないかもしれない。
人が一人増えるだけで食べ物など多方面の消費量などがどの程度増加するのかなんて解りっこないが、その変化はかなり大きい物だと思う。
実際、まぁ人間ではないけど、僕がこの森にきただけで食べ物がかなり減っているはずだ。
それに、転移される側の身にもなってくれ。
いきなり見たこともない魔物が沢山生息している森の中に放り込まれたら誰だって絶望すると思う。少なくとも僕は、牙の長いトラに遭遇した時には死んだと思った、というのは決してオーバーな表現はしていないと思う。
そいつは、僕が一歩動く毎に合わせて一歩動き、決して間合いから離そうとはしなかった。血走った目と獰猛な牙を見た瞬間に体が強張った、それくらい真面目に命の危険を感じた。
それにしても、この世界に来た転移者が他に居る事にも驚いたけど、ベルさんはなぜそんな事を知っているのだろうか……。
「ベルさんは、転移者等にも詳しいのですね」
僕の問いに対して、ベルさんは少し考え事をする様に髭を撫で始めた。なぜかかなり悩んでいる様で、何か気に障るような事を言ってしまっただろうかと心配になった。そしてまたパイプを咥え始めたあたりで、ヘラが何気なく答えてくれた。
「それは、六十年前の転移者って言うのが、ベルの親父さんだからだよ」
そう言ったヘラの答えは僕の予想外のものだった。
なんとベルさんも元転移者らしい。そうなると、自分で色々調べたのだろうか、ヘラに聞いても使い魔として召喚され、契約したのが五十五年ほど前で、それ以前の事は聞いても教えてくれないので解らないという事らしいが。
ヘラが話し始めた辺りから、ベルさんやれやれと言いたげな顔をして焚火を見つめていた。
「ヘラめ、要らぬことを」
「あら、でも黙っている様な事でもないでしょ」
「全く……。とにかく儂の話はまた今度だ。それよりも、お主あの湖で何をしておったのだ?」
ベルさんはそう言って嘆息すると、話を切り替えようとしたのか、少し苛立った様子でベルさんが質問をしてきた。
そうだ、説明の途中だったのをすっかり忘れていた。僕は苛立つベルさんと意地悪な笑みを浮かべたヘラに対して、話を続けることにした。
「えっと、まず自分の姿を見て確認したいと思って移動したのが一つです。もう一つは、親が居ないかなと思って。こういうものって近くに親が居るものだと思ったので探したのですが、それらしい影も形もないですし、合うのは猛獣ばっかりだし……逃げまわる間にあの湖に着きました」
今思えば良く生き残れたものだと思う。
初見のサーベルタイガーみたいなやつは体長が五メートルほどあって、僕の体程の前足を振り下ろして来たんだ。慣れない体で必死に逃げたせいで、全身ボロボロだし、元居た場所がどこなのか解らなくなった。
その後で、たまたま拾った木の実を食べてみたら、お腹を壊して、今度は猿みたいな魔物に襲われて逃げて、また違う木の実を拾って、とこの繰り返し。木の実やキノコに関しては手当たり次第食べていったおかげで、ある程度食べられる物とそうでない物の区別は出来たが、今思えばかなり幸運だったと思う。
「よう襲われずに済んだな。それで、親は見つからずにあの場に身を寄せていたという事か」
「そうです。たまたま見つけた湖で幸運にも魚を獲る事が出来たので、それからは数か月間程他の魔物が来ない間に魚をとって生活していました。今日はベルさんが来て、この世界で初めて見た人間だったので隠れて観察していました」
とりあえず、ベルさんが初めて見た人間で見つけたという嬉しさ半分、好奇心にかられたのが半分といった感じ。この辺りは喋る必要はないと思うので省略させてもらった。
あと、自分の体に関しても見てないわけではないけど、見える範囲というのは限られていたので、結果「たぶんトカゲだろ」という事で自己解決していた事も一応話しておいた。以上の様な、一通りの話を聞いて、とりあえず納得してくれたのか、ベルさんはこんな事を聞いてきた。
「なるほどの。それで、お前さんはこの先どうするつもりじゃ?」
「どうするか……ですか」
「あなた、この森でずっと暮らしていくつもりなの?」
正直、この先目標なんてなかった訳だが、一つ気になっている事はある。それは、自分を生んで離れてしまったのだろう生みの親がどこにいるのか、本能的にただ何となく気になった。後は、せっかく不思議な異世界に来たのだから、その世界を見てみたいという好奇心だ。
「もうちょっと余裕が出来たら親を探しがてら、この世界を巡ってみようかなと思っています。魔物に襲われたら基本的に逃げるしかないですけど、生みの親がどんな人、じゃなかった。どんな竜か会ってみたいですし、他の転移者についても知りたいので」
ほんとは理由なんてなんでもいい。ただこの世界を見てみたい、旅先で親に会えたら儲け物だろう、そんな程度の理由。それでも、生きる理由がないよりかはマシかなと思った。前の人生で僕がどんな人だったかなんて知らないけど、今の自分はここに居るのだから、何か生きていく理由が欲しいだけだった。
そんな僕の考えを知ってか知らずか、ベルさんは目を瞑ったまま考え事をしている。多分だけど、考え事をするのが好きなんだと思う。ヘラもそんな様子を見てか、またにやにやしている。その様子をうかがっていたら、ベルさんは考えが纏まったのかこちらに訪ねてきた。
「旅をするか。ならば教えておかねばならん事が山程あるぞ。まず竜の姿では町にも入れぬからな。それに、理由は後で話してやるが最悪命を狙われるかもしれん」
「その話を聞いた限りだと、最早僕としては絶望的なんですけど」
なんなの、この世界じゃ竜だからって理由で殺されたりするんですか? 外出たいけど無茶苦茶やばいんじゃないですか。ベルさんの表情は至って真面目だったため、この時点で僕の目的は終了したと思ったのだけど、ベルさんは続けて提案してくる。
「うむ。まぁ今のままでは弱すぎて森も抜けられない程には絶望的じゃ。じゃがな、一つ方法が無いわけでも無いぞ?」
「ほ、本当ですか!?」
なんだ、とってもいい方法があるんじゃないか。やっぱりベルさんは物知りで頼りになるのだ。捨てる神あれば、拾う神ありとはこの事だろう。ふとベルさんの顔をみたら、何とも言えない意地悪そうな顔をしていた。僕は、一気に不安になった。
「お主が儂の頼みを一つ聞いてくれるのならば、稽古をつけてやろう。魔力を使う術さえ覚えれば、ある程度自分で戦う事も出来るからの」
「稽古をして貰えるのは嬉しいです! で、僕に頼みって。それってどんなものですか?」
この時点でほぼ答えは決まっていたと思う。目の前の人物が例え性格に若干の難はあっても、魔法使いなのだから、頼みごと一つで戦う術を教えて貰えるのは有り難い。
「乗り気じゃな。頼みというのはな、こいつを預かってもらいたいんじゃよ」
そう言ってベルさんがローブの腰辺りから取り出したのは、一冊の古い本だった。
羊皮紙本と言われる部類の物だと思うそれには、表紙の中程に小さく《知恵の書》とだけ銘が刻印されており、かなり細かい銀細工のような物で鍵などの装飾が施されていた。
やっと魔導書登場です。
次の話からベル爺による稽古になる予定です。