1話 僕は誰か
「親父さん、この子起きたみたいよ」
「ふむ。やっと目を覚ましたか。悪いがヘラよ、もう少し枝を取ってきてくれ」
これは……僕は一体どうなった。
音が微かに響く。
「はいはーい。ちょっと遠くも見てくるね」
影が動いて消えて行く。
「さて、どうしたものか。お主、大丈夫か?」
どれほど眠っていたのだろう、突如現れて破裂した光の玉を直視した為か、目と頭が痛む。霞む視界で良く見えないが、誰かが声をかけてきた事は解った。声の主は僕が落ち着くまで待ってくれているのか、それ以上話しかけてくる事は無いようだ。
少しして、霞んだ視界が回復してきた。すると、目の前には先ほど湖で見つけた老人が切株に腰掛けていて、パイプで一服しているところだった。足元には木の枝が積まれている。
「んん、あなたは……それに、ここは?」
「おっと。すまんが、あのまま置いておくと魔物に食われそうだったのでな」
僕の目の前にいる老人は、一服して煙を吹くと足元に積まれた枝を一つ、足元に放り投げた。パチパチッと乾いた音が響き、暖かい空気が強くなった気がした。炎が僕の真下で揺れている――
「そうですか、僕は助けて頂いたんですね。って、何この状況!」
「ん? 焚火じゃよ。屋外で暖を取るのには欠かせぬからな」
待て待て、聞きたいのはそうじゃないよ御爺さん。なんで真下に焚火があるのかを聞いたんだよ。それに、絶妙な高さで足が炙られているし。
よく見たら焚火の脇から二本ほど、大きな木の枝が伸びていて、二股になった部分から更にもう一本、物干竿の様に伸びている。その竿は頭上に伸びて、僕は吊るされているのかグルグル巻きにされているのか、まるで丸焼きにされている豚の様な有様だ。
「熱っ! ちょ、ちょっと何する気ですか、降ろしてください!」
「何とは、一か月ぶりの肉じゃからな」
「『肉』って、ひょっとして僕を食べる気ですか!?」
優しそうな顔をしていたから一瞬良い人かと思ったら、とんでもない。そこらの獣より達が悪い捕食者じゃないか。何とかして逃げないと、このままだとこんがり肉にされる、それだけは嫌だ。
必死で暴れるものの、どうやっても抜け出せない。むしろ抜け出したらそのまま落ちて、それこそ丸焼けになるだけだ。
「あー待て待て、まぁそう慌てるな。冗談じゃよ」
「いや、目が笑ってないんですけど……」
そう言ったら、目の前の老人に物凄い勢いで叩かれた。
こういうの、確か特定地域、かならず飴などを常備している年配女性に良くやられた気がする。何故あの人達は面識が有る無し関わらず、お構いなしに叩いてくるのか。まぁ、ノリと言われる部分なのだろうか、気質なのかもしれないけど。
「悪かったのぅ。言葉を解するとは思ってもみなんだ。炙っておるのは、鱗を柔らかくし、治療をするためじゃ」
「治療って、怪我なんてしてないですが」
仕方ないなと言って老人は僕の近くまできて、後ろ足のあたりを軽く触れる。途端、鋭く突き刺す様な痛みが襲ってきた。御爺さん、言葉で説明できなかったの?
「お主の後ろ足に、マウスイーターという植物の棘が刺さっておる。詳細は省くが、そいつの毒は全身の痺れと軽い頭痛や吐き気を伴うので、治療しておいた方が良い。まぁ放っておいても死ぬことはないがの」
そこまでを説明すると、老人は僕の後ろ足に刺さっているトゲを抜いて、胸元から試験管の様な容器を取り出した。中には鮮やかな青色をした液体が入っており、それを指先に少量乗せると僕の後ろ脚に塗ってくれた。風に触れると、スッと冷たい感覚が患部に走るのが、妙に心地いい。
「自家製の解毒薬じゃ。これで暫く安静にしとれ」
老人は切株に座ると、パイプを口に咥えて一服する。僕が有難うと伝えると、ついでだと言ってマウスイーターの毒について教えてくれた。ってあれ? 降ろしてはくれないんですか? 僕の事など意にも介さず説明を始めた。
そもそもマウスイーターと呼ばれる植物は、水源の近くに群生しており、その毒でネズミなど小型の動物が動けなくなり、運が悪ければ大型の魔物に食われるらしい。
別にこの植物が食べる訳では無いそうで、この一帯の他にも各地域でその存在は確認されており、人間の被害者も月に一人か二人程度の頻度で発生するらしい。
また、人間なら冷やすなどして血流を滞らせて、毒をすぐに出すなどが一般的で、今回は僕のような鱗持ちに対しての処置として覚えておけば良いそうだ。
そうして、必要と思われる知識を教えてくれた老人は、焚火の様子を見つめていた。
少しの沈黙がその場を覆った後、どこから来たのか、灰色の猫が何本かの枝を咥えて現れて、老人の横に行儀よく座り込んだ。
「自己紹介がまだじゃったな。儂の名は、ベルフェドラという。長いのでベルと呼べ。こやつは儂の使い魔で灰猫のヘラじゃ」
「使い魔って、パートナーって呼んでほしいな親父さん。ヘラだよ、呼び捨てでよろしくね」
ヘラと呼ばれた猫が来るのを待っていたのか、僕が聞こうとしていた事を察して、ベルさんは自己紹介をしてくれた。
それにしても、猫なのに喋れるなんて! って思ったけど、今の自分も同じ様なものかと思い直し、驚いたことに少し罪悪感の様なものを感じた。
それに、ベルさんが一方的にとはいえ、自己紹介をしてくれたのだ。こちらからも返さないと失礼じゃないのかと、そう思ったので僕は出来る範囲で自分の自己紹介をしてみようと思ったところ、結果次の様になった。
「えっと、改めて助けて頂いて有難う御座いました。僕は……なんでしょう、何せ名前はないですし。羽の付いたトカゲか何かです」
思えばこの状況になって数か月になるが、他人と話す事さえ久しぶりだったので、若干ながら気分が高揚していた。高揚してすっかり忘れていたが、僕自身、今の自分の事があまりよく分かっていなかったので、こういう言い方しか出来なかった。それにしても、焚火の炎が熱いので、降ろしてくれ。
「くっ、はははは! トカゲか。お主、自分の事をトカゲだと思うとるのか?」
「えっと……違うんですか? 鱗が付いていて、尻尾のある生き物っていうと、僕の分かる範囲だとトカゲ位かなって思ったんですが」
自嘲気味に言った自己紹介に予想外の答えが返ってきたので、何が? と思ったのだが、どうやら僕の方が可笑しな事を言っているようだった。
ベルさんはパイプの煙を少し吸い込んだのか、少し咳込みながらそんな事を言った。横にいるヘラも前足で口元を隠しているが、プルプルと震えているところをみると笑っているのだろうか。
それにしても、僕が正解だと思っていたトカゲじゃない? じゃあこの姿は一体何だって言うのだろうか。
「ふむ……親が居ったら解るだろうが、やはり落とし子かの」
そう言って、ベルさんはまた何か考えているのかパイプを咥えて黙り込んでしまった。トカゲじゃない? 僕が何者かなんて、そんな事僕が聞きたいくらいだ。すると、僕に向き直り答えをくれた。
「よく聞け。お主はな、トカゲなどではなく、その祖先とも呼べる竜の子じゃ」
「竜!? トカゲじゃなくて?」
「うむ、それも知性といい体色といい、名の有る竜の子だと思うぞ」
「はー……。竜なんて実在するんですね」
それは僕にとって、ここ数か月生き抜いてきた中で初めて知った、衝撃の事実だった。
誰ですかトカゲなんて言ったの! ……すいません、僕でした。
それにしても体色なんて何か関係があるのだろうか。確かに今の僕の体は青白い鱗で覆われていて物珍しいのかもしれない。
そんな事を考えていると、ベルさんはさらに言葉を続けてきた。
「気になるのじゃが、お主何か隠しておるだろう? 言葉を解するには、ちと幼なすぎる。となれば、呪いかあるいは……まあ、考えても答えは出ぬが、例えば元人間とかじゃろう?」
「えっ! なんで分かるんですか?」
「なんとな。ほんとに人間じゃったか……言ってみるもんじゃな」
これはひょっとして、言わない方が良かったんじゃないのか! 流れで反応してしまって墓穴を掘る形になった。ああ、もう、どうせならこのまま掘った穴に埋まりたい。
どうやら、ベルさんはある程度僕の口調から予測を立てて、可能性のある事を言っただけの様だった。
「通常の竜種は間違ってもお主の様に、友好的には接してこんからな。それに生まれ持つ力のせいか、その多くが他の種を見下しておる。お主の様に自嘲する者など、そうは居らんだろう」
「ああ、そう聞くと明らかに僕は異質ですね」
ベルさんがしたり顔になっているのが少し悔しい。
というか、この世界の竜はかなり尊大な態度を取るみたいだけど、人間との間に何かあったのだろうか。
とりあえず、良いから話してみろと言われたので、迷ったが別に失うものもないし、大人しく話してみよう。
「あの、信じてもらえないと思いますが、僕は別の世界で日向野春人っていう人間だったんです。多分ですが」
「ほう、断言できんのか。じゃが、興味深い話じゃ。続けてくれ」
「いや、その前にいい加減熱いんで、降ろしてもらえます?」
そうして、僕はこの姿になる前と今に至るまでの話す事にした。
この日、久しぶりの一人ぼっちじゃない、誰かと共に過ごす暖かい夜になった。
今回はベルの爺ちゃんに正体をちょろっと。
更新がランダムになりそうですが、頑張ります。