においと万引き
講義が始まるまでの空き時間、総一郎は教室の隅っこに座っていた。
教室のど真ん中では茶髪の集団が騒いでいる。
それにしても、教室が臭い。
総一郎は思わず鼻をつまんだ。
茶髪の彼らが昼食を教室内で摂ったからだろう。
密閉された部屋の中でお昼を食べれば臭いが充満するだろうに、彼らは気にならないのだろうか。
自分なら、食べたものを悟られるなんて恥ずかしい、と総一郎は呆れた。
講義開始が近づくにつれ、学生が集まってくる。
その誰もが教室に体を入れた瞬間、顔をしかめる。
「なんだか臭いわね」
いつの間にやら白井さんが近くにいた。
「確かに、臭い」
総一郎はしかめっ面のまま白井さんに同意した。
食後の臭いはどうにも苦手だ。
食べているときは平気なのに、食べ終わると途端になぜか反吐が出そうになる。
言うなら『匂い』から『臭い』に進化したみたいな。退化かもしれないが。
進化か退化か総一郎が考えていると白井さんがポツリと言った。
「万引きってあるじゃん」
「窃盗の一種だね」
万引き。窃盗の一種である。
総一郎の出身高校でも、駅前の書店で犯行に及んだ生徒が多くいたようだ。
バレて停学処分となったクラスメイトがいたのでよく覚えている。
「私たちは今現在、他人が発生させた臭いを嗅いでる状態だよね」
しかも許可なしに。
白井さんがそう付け足した時点で、総一郎は白井さんが何を言わんとしているのか理解した。
「つまり、俺たちは臭いを万引きしてるんじゃないかってこと?」
「そのとおりだよ。さすが小金井ゼミ生、察しがいいね」
白井さんが笑顔で褒めてくれたが、総一郎はあまり嬉しく思えなかった。
「俺たちが臭いを盗んでるっていうより、あいつらが勝手に撒き散らしてるだけだと思うけど」
人の出入りが激しい今となっては臭いも薄れてきたが、総一郎が入室したときは、公害レベルのひどさだった。
環境にやさしくない。
「環境法に違反してるよ」
「じゃあ、総一郎くん取り締まってきて」
ときどき白井さんは無茶を言う。