台風おっぱいと不在
台風が近づいている。
演習室からは重そうな雲しか見えない。
総一郎の脳裏に暗雲という言葉が浮かんだ。
「いっそ降ればいいのに」
隣で同じく景色を眺める白井ワカナの表情の渋い。
両腕を前で組んでいる姿はおっぱいが強調されていて総一郎には刺激が強すぎる。
「白井さん来てたのか」
窓にへばりついて外を見ていたから、白井が演習室へ来たことに気づかなかった。
「いくら出席自由っていってもね。ゼミにはなるべく来たいのよね」
「警報出るかもしれないのに」
「出ないでしょ。今さら出ても休日気分もクソもない」
確かにそうだと総一郎は思った。
警報が発令されたとしても休講になるのは午後の講義のみ。
小金井ゼミは一限目からなので、警報とは関係ないし、二限目も通常どおり行われる。
総一郎の場合、午後からはアルバイトもあるので、雨すら降らないでくれたほうが都合がいい。どしゃ降りのなかアルバイト先に行くことを考えると憂うつとした気持ちになった。
「小金井先生、遅いね」
窓から離れながら、白井がつぶやいた。
講義開始時間はとうに過ぎている。
小金井教授が講義に遅刻するのは珍しいことだった。
総一郎は入学当時から小金井教授の講義を履修しているが、遅刻したところは見たことがない。
「まさか先生がサボりってことはないよね」
マジメな小金井教授がサボるとは考えにくい。
そもそも大学から雇われている教授がサボれば大問題となるだろう。
総一郎は思いついたことを口にする。
「電車が運転見合わせてるんじゃないか?」
交通機関のトラブルはメジャーな遅刻のひとつとして挙げられる。
「雨、降ってないよ。それで電車が止まるかな」
「その前に先生は自動車通勤だった」
総一郎は自説に否定できる材料を提示した。
小金井教授が運転大好き人間であることは総一郎も白井も身をもって体験している。ふたりはそこで『好きなことが、上手とは限らない』と学んだのだ。
「渋滞かもしれないね」
朝の高速道路は往々にして混雑する。
総一郎の両親もよくそれで失敗し愚痴を言っていた。
小金井教授も高速道路を利用し、渋滞にハマったのだろう。
今ごろ道路の中心で遅刻を嘆いているかもしれない。
総一郎が納得しかけたときだった。
「単純に寝坊じゃないかな」
白井が身もフタもないことを言及した。
「運転見合わせでも、渋滞でも、電話くらいできるでしょ」
先生だって社会人なんだから、と胸の前で白井が腕を組む。
無意識なのだろうが、腕を組まれると総一郎は視線をそらすしかない。
女性は男性の視線に敏感だと聞いたことがあるが偽情報だったのだろうか。
そう思わせるほど白井は腕を組みおっぱいをアピールしてくる。
指摘してもいいがセクハラだと騒がれたり、妙な雰囲気になったりしたら困るので、どうにもできない総一郎だった。
「渋滞なら車の中だろうし電話できなくないか」
仮にも法学部の教授である。さらにマジメな小金井教授のことだ。
警察がいない場合でも、自粛する可能性がある。
「なるほどね。ありそうな話かも」
白井も納得してくれたようで、表情が緩みはじめた。
「先生のいない理由もわかったし、判例でも検討してるか?」
「ふたりでですか」
総一郎の提案に白井の緩んだ表情が苦い顔に変わった。
ふたりで勉強するのは嫌らしい。
地味に総一郎が傷ついていると、白井の携帯電話が鳴る。
「はい」
すぐさま応答する白井を見ながら、相手は小金井教授だろうと確信する。
通話しながら「はい、はい」とうなずく白井の後姿はかわいらしい。
総一郎が見とれていると、しばらくして白井は電話を切った。
そして、総一郎の顔を見て言った。
「人身事故だってさ」