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赤い爪  作者: 西乃 詠
3/4

其ノ二



やりやがった。



ついにあの女がやりやがった。いつか絶対、こんな日がくるだろうと思っていた。そして必ず、俺達は裁かれるだろうと。あの地獄を、俺達が作り出してしまった地獄を、清算しない訳にはいかない。代償はでかい。俺達が踏み潰してしまったモノ。それは、笠原美咲の命だった。


―――イジメ。


最初はちょっとした悪ふざけからだった。それが段々と、しかし確実にエスカレートしていき、ついにはイジメという形を成してしまったのだ。

無視をした。わざと聞こえるように陰口を言った。文房具や体操着を隠した。教科書に墨汁で落書きをした。上履きを泥まみれにした。男子便所に閉じ込めた。勝手にバッグを捨てた。牛乳を頭にかけた。無理矢理髪を切った。写真と実名をそこらじゅうの掲示板にアップした。性的な悪戯までした。

そしてふとした瞬間、やり過ぎてしまったことに気づいた。だが、気づいても尚、誰も止めることはできなかった。


理由は簡単だ。


止めた奴が、次のイジメの対象。誰も口にこそしなかったが、その流れは絶対的なものだったのだから。

どこでもそんなもんだろう。だからこそ怖い。日本、いや、世界中に、こんなにも恐ろしい話しがころころ転がっている。少し覗けばすぐだ。すぐに見ることが出来るはずだ。だから俺達は、このままイジメが続けば、周りの大人が気づかないはずはないと、そうすれば、この悪循環をどうにか止めてくれるはずだと、そう思い込んでいた。

だが実際、俺達の周りにそんな大人は一人もいなかった。

「子供のやることだから。」

その子供が、一番残酷だということに、大人達は気づくことさえなかった。だから、ついに耐え切れなくなってしまった彼女が、遺書を書き、自ら命を絶ってしまうまで、誰も止めてはくれなかった。

そして俺達も、止める事ができなかった。

だから、その罪はでかい。俺達は償わなければならない。あの頃起きた、悲惨な出来事の結末に対して。

そして、あれから何十年もたった今、ついにあの女が動いた。


――苑枝佳奈。


笠原美咲の親友だった彼女は、いつも教室の片隅の方で、小難しい本ばっかり読んでいた。苑枝。一言で言えば、地味で静かって感じだった。滅多に笑わなかったし、クラスで完全に浮いていた。その上、頭が良かったせいもあってか、人を見下したような態度をよくとっていた。いや、厳密に言えば、態度ではない。あれは、目線だ。そうだ。彼女は常に、人を見下していた。生ごみを見るような冷めた目で人を見ていた。

なのにそんな雰囲気、今は全くない。明るい。何故か雰囲気が意気揚々としている。ありえない。彼女の人生において、そんな文字は存在しないと思っていた。いや、存在してはならないと言うべきか。だが、俺のそんな考えとは裏腹に、明るくなった彼女は、苑枝は、とにかくかなりのいい女になっていた。

整形でもしたのだろうか?

…いや、それはないか。彼女は確かに昔から地味だったし、明らかに浮いてはいたけれど、顔とスタイルはずば抜けて良かった。

だから、あんな性格なのに、たいしたイジメにもあわずに来れたんだろう。

変わった話しだが、人は、自分より美しいものには、なかなか手を出そうとしない。むしろ、自分より醜いものを卑下したり、嘲笑したりして、楽しむことの方が多い。

まぁ、その原理でいけば笠原もイジメられなかっただろうが、あいつは別件だ。

とにかく、誰よりも容姿端麗だった苑枝は、誰にもイジメを受けたことはなかった。幸運なことだ。結局、ガキだった俺達が、人を分別する時に使っていた物差しは、たかが外見でしかなかった。そうでなければ彼女も


――いや。


そういえば、一部の女子から嫌がらせを受けていた事はあったな。最終的に、苑枝に惚れ込んでた援交教師にバレて、すぐに終わったらしいが…。嫉妬。おおかた、その程度の下らない理由からスタートしたものだったと思うが。

実の事を言えば、俺は少し、苑枝のことが好きだった。決して周りに同調しようとせず、媚びも売らない。そんな気高さが、他の女子共とは違う雰囲気を漂わせていた。地味なのは、他の女子がスカートを驚くほど短くし、第二ボタンを堂々とあけ、校則違反の派手な色のカーディガンを着ている中、彼女はスカートを膝丈よりつめたことはなかったし、第一ボタンまでしっかりしめて、黒や紺のカーディガン以外着ていなかったからだ。

「田舎臭い。」

彼女に嫌がらせをしていた女子は、良くそう言っていた。確かに、他の女子が彼女のような格好をしたらどうだろう。ただ時代から取り残された凡人にしかならない。

だが彼女は違う。そう。違うのだ。凛とした雰囲気を滲ませ、いつも物静かな性格には、日本人特有の奥ゆかしさまで感じるほどだった。大和撫子。それは彼女のためにある言葉だ。彼女にこそ相応しい。

俺は彼女に魅入っていた。俺だけじゃない。きっと、クラスの大半は、彼女に気があったはずだ。好きまでいかなくても、気になっていたり、仲良くなってみたいと思っていたりはしていたはずだ。もちろんその分、男子から相手にされていない女子からの彼女への態度は、酷いものだった。

だが彼女は、だからといってその女子に媚びを売ったりは絶対にしない。冷え切った瞳で、ただ相手を見据えるのだ。軽蔑。明らかにそうとれる視線を送るのだ。それがさらに女子の反感を買ったが、特に気にした様子もなかった。

気高い。

他の男子は、彼女のちんけな嫌がらせに全く動じない気高さに、さらに魅了されていったものだ。



そんな女、苑枝佳奈が今、俺の目の前にいる。正確には俺の目の前にある画面に映り混んでいる。


「こんにちは。ずいぶん久しぶりですが、元気ですか?元3年A組の皆さん」


彼女はにこやかな笑顔でそう言って笑いかけてきた。とても意気揚々と…。だがその笑顔とは裏腹に、彼女がこれからしようとしている事は、恐らく実に残酷な事だ。

それは、俺が縛りつけられている部屋の雰囲気でわかる。

赤い。何もかもが真っ赤だ。床、壁、天井、椅子、ロープ、照明、全て赤い。

誰かの血。それも大量の血で、この部屋は真っ赤に彩られていた。一人じゃない。きっと何人もの人間が、ここで裁かれてきたに違いない。あの女に。苑枝佳奈に。


――次は俺?


ぞっとした。こんな気色悪い部屋で、過去に自分が好きだった女に殺されるだなんて。考えただけでどうにかなりそうだ。

だが、この現状。考えない訳にはいかないだろう。

白い壁を赤く塗り潰してしまうほど、大量に飛び散った血、血、血、血、血、血、血、血、血…。

その壁を、次は自分が赤く染める事になる。僅かに残った白い部分を、俺の血が真っ赤に染めていく。

その恐ろしい様が、瞼の裏に浮かんでは消えていった。



「皆さんは高校1年生の時、同じクラスの苅ノ谷真琴さんを、イジメていましたね。

それは私も知っています。

私もその現場を何度か見ていましたから。理由はたしか、彼女の体型でした。確かに彼女は、女子高生にしては太り気味でした。それがイジメに発展してしまう理由は解りませんが、単細胞並の知能数しかないあなた方にとっては、イジメの理由なんて取って付けた様なもので充分だった。

そうですよね?

無視をしたり、聞こえるように陰口を言ったり、掃除当番を押し付けたり、どこかの漫画かなんかに出てきそうな安っぽくて稚拙な嫌がらせを繰り返していましたね。

きっと、日々の鬱憤や苛立ちを、彼女にぶつけていたんですよね。そうやって、自分よりも下側の人間がいると思い込んでしまうことで、自分は上側の人間なのだと、とんだ勘違いをしていましたね。

馬鹿ですね。本当に、揃いも揃って馬鹿ばかりです。

あなた方は、決して上側の人間ではありません。むしろ底辺と言っても良いくらい、出来の悪い糞餓鬼でしたよ。

まぁそれも、仕方がないですよね。なにせ、あなた方と私がいた学校は、平均偏差値60も満たせないようなところでしたから。

知ってますか?

私は本当は、偏差値78の、櫻鸞女学院という学校に行きたかったんです。

いえ。行くはずだったんです。私は前期で受かっていましたから。

ですが、私はそこには行かずに、あの高校に行きました。私には親友がいました。

「笠原美咲」

中学校で知り合った彼女と私は、常に一緒でした。クラスも部活も委員会もお弁当もトイレも移動教室も全て。もちろん、彼女も私と一緒に櫻鸞女学院に行くつもりでしたが、彼女の両親は何を考えたのか、彼女を前期であの馬鹿校に行かせる事を決めてしまったのです。

私には彼女が必要でした。それは、私が櫻鸞女学院に通う事以上に大切な事でした。だから私は、櫻鸞女学院を捨て、彼女をとったのです。

それからの私の高校生活は実に華やかなものでした。

毎朝彼女と同じ学校に登校し、同じクラスの同じ班で授業を受け、同じ部活の同じグループで活動し、夕方には一緒に下校する。お揃いの制服で。私達はずっと一緒にいることができたのです。

ですが、そんな幸福に満ち足りた日々は、あっさりと崩れてしまいました。

私が、重い病気にかかってしまったのです。

胃癌です。

そのせいで私は、楽しかった高校生活をわずか2ヶ月で引退し、治療に専念しました。

幸いにも、腫瘍は約3度の手術を繰り返す事により取り除かれ、その後再発することもなく癌は完治しました。

入院しながらも学校から切り離されたくなかった私は、必死で単位をとり、出来る限りの事は全てやりました。その結果、文部科学省からの特別待遇許可がおり、入院しながらの進級が可能となりました。

やっと彼女にあえる。そう胸を弾ませて学校に通った私は、愕然としました。


彼女がいなかったのです。


教室の片隅に、白い菊が置いてある、みすぼらしい机が一つありました。

それは彼女のものでした。

私には、何一つ理解できませんでした。彼女の家におしかけ、彼女の両親から話を聞き、その時になってはじめて、私は彼女がすでに死んでいる事を知りました。

それからというもの、私はひたすら悲しみ続けていました。

彼女が、笠原美咲がいない。

それは私に、生きる意味がないのと同義でした。それは今も変わりません。

知りたいですか?

生きる意味を失ったはずの私が、何故今もこうしてのこのこと生きているのか。

もちろん、死ぬのが怖いとか、他に大切な人が出来たとか、そんな話しではありません。

端的に言えば、仇討ちです。復讐です。

皆さん、もうすでにお気づきでしょうが、皆さんのいる部屋には、それぞれ特殊な装置が置いてあります。部屋によって装置の種類は違いますが、10部屋のうち1部屋だけ、上手く作動しない装置が置いてあります。

その1部屋にいる人は、選ばれた人間です。

もしもドアから外に出られることができたら、その時は……。

まぁ良いですか。いずれ解ることですね。

それでは、もうあう事もない3年A組の皆さん。

どうぞ、お元気で」




―――プツリ


そこで映像はきれた。

残された俺は、ただ呆然と、すでに何も映っていない画面を見つめていた。

そうだったのか。苑枝は、笠原のために偏差値78の学校を諦めていたのか。

でも、何故だろう?いくら親友同士とはいえ、普通そこまでするだろうか?

なんだか不自然だ。

いや、この異常な空間で自然なものなど、それこそ有り得ないのかも知れない。

装置?そんなもの、一体どこにあるっていうんだ。念のため辺りを見回してみた。

床、壁、天井、椅子、ロープ、照明。

それ以外は、装置なんて何もない空間だ。

何も……。


―――まてよ。


一つだけ、見ていないところがあるじゃないか。

後ろ。

椅子にロープで縛られたままの姿勢では、どう頑張っても見えないはずのところだ。

冷や汗が、背中をつたっていった。嫌な予感がする。



――グィーン



ふいに、後ろで奇妙な音が鳴った。

そう、まるで何か装置が作動したような、酷く耳障りな音だ。おい。これは何だ?俺の首筋に、何かがあたっている。その何かが、赤い照明の光を浴びて、鈍くギラリと輝いた。



「う、うあぁあぁぁぁあああああぁぁああああ!!」



恐怖のあまり失禁してしまった。

俺の首筋にあたっているもの、それは無数の針だった。正確には、注射針だ。30本くらいだろうか。尖端から黄色い液体が滴っている。


「お元気で」


そう言った苑枝の声が蘇る。

恨みだ。底知れない恨みが、あの声にはこもっていた。

本気で俺を殺すつもりだ。この得体の知れない殺人装置で―――


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


泣き叫びながら喚き散らした。そして早口でまくし立てる。


「もうしません。本当に後悔しているんです。反省しています。死ぬなんて思わなかったんです。自殺するなんて。止められなかったんです。自分が、自分が次のターゲットになるのが怖くて。矢賀が、そうだ矢賀だ!あいつが、あいつが俺に指示したんです。全てはあいつが、あいつが悪いんです。本当です。だから―――」



―――殺さないでくれ。



その言葉は、声にならなかった。


ぶすり。


激痛。しかし声帯を直に傷つけられ、叫ぶ事さえできない。息が、できない。

刺さった針から、液体が注入されていった。これは何なんだ。そう思った時、体に強い刺激が走った。体中が激しく震え出す。椅子がガタガタと揺れるほど、痙攣がおさまらない。

今、俺の体に、一体何が起きているのだろう。恐ろしい。痛い。痛くてたまらない。逃げたい。ここから出たい。でもきっと、もう無理だ。俺はここで死ぬ。それは多分、変えられない。

痛みは強まるばかりだ。これは罰なのだろうか。

だとしたら俺は言いたい。

笠原をイジメていた頃、傷ついていく笠原を見ながら、俺も傷ついていたんだと。本当は止めたかったんだと。俺は笠原が特別好きだった訳ではないが、やはり笠原をイジメたくなどなかった。今さら何も言える立場ではないことは解っている。だがこんな殺され方、あんまりだ。


首から勢いよく血がふき出した。部屋が、空間が、視界が、みるみるうちに、真っ赤になっていく。部屋に残ったほんの少しの白を、赤く、赤く、塗り潰していく。

あぁ。死とはこういう感覚なのか。笠原は、どんな感覚を味わって死んでいったのだろう。あいつはたしか、リストカットだったな。

そうか。あいつも、こんな世界を見ていたのか。真っ赤な世界を、たった一人で見つめていたのか。

きっと、すごく悔しかったはずだ。

もっと沢山、やりたい事とかあって、そういうのも全部投げ出したくなるくらい、辛かったんだ。そんな風になるまで、追い詰めちゃったんだよな。


――ごめんな。


本心からそう思った。

頬を、後悔の涙が濡らしていった。


「悪かった。」


俺は呟いた。呟いたと言っても、声なんてでるはずもないから、ただ口が動いただけだ。それでも俺は、長年背負ってきた罪悪感から、少し開放されたような気がした。

なんだよ。俺、最低じゃん。死んで当然じゃん。あはは。でも、でもさ。俺だってまだ、やりたい事、沢山あったんだよ。


血の流れが止まる事はない。

激しい痛みの中、意識が徐々に薄れていった。

部屋は赤い。ただただ赤い。もう他の色は少しも残っていない。


すでに、白はないのだ。


意識が途切れる瞬間、俺はあの女の、苑枝佳奈の、高らかな笑い声を聞いた気がした。俺を嘲り、見下している。



―――そう、まるで生ごみを見るような、あの冷え切った目で。

お疲れさまでした!

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