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ジョニィへの伝言

                         作詞 阿久悠、

                         作曲 都倉俊一

 夏休みの直前、神崎が職員室で今日の授業の報告をまとめているときだった。

 職場は金沢市中央中学校である。旧市街地の中心地にあり、都市景観を考慮してか、屋根が瓦屋根になっていた。流行の画廊とは比較的距離が近く、学校の裏手から出ると、そのまま左に曲がれば一直線で店に着くことができた。

 校舎内は近年の少子化が原因で、もともと小学校だったものを改築したため、非常に新しくなっていた。

 そんな中、隣の若い男性教員が困ったように神崎に声をかけてきた。

 国語を教えている正規の職員だ。

「なあ、神崎君、君・・・芝居に興味ないかなぁ」

「芝居ですか?」

 正直神崎は特に観劇に興味があるわけではなかった。学生時代大学のサークルの演劇を数回見たぐらいである。

 だからと言って、特に嫌いでもなかった。

 そんな神崎の雰囲気を感じ取ったのか、その男性は、自分の机の引き出しから小さな黄色い冊子を取り出し、神崎の机の前に置いた。

「実は俺、地元の観劇サークルに入っているんだが、今月の鑑賞会、見に行けそうにないんだ。指定された日に他校との交流試合があって、2泊3日」

「はあ・・・・」

 と、その時だった。

「吉岡君、そんなルール違反はいけませんよ」

 いきなり、女性の声が二人の間に割り込んできた。

「会員じゃなきや見られないのよ」

 顔を上げて声がする方を見ると、それは馴染みのある校長の姿だった。

「そう、神崎君、いい機会だから君も入会しなさい。会費はそんなに高くないから。美術の先生なら勉強になるから」

 そう言って入会申込書を頭上から差出したのである。


 その話が、流行の笑いを誘った。

「それは詐欺ですね」

「詐欺だろう」

 場所は、流行の店の中である。

 神崎はテーブルの上に黄色い冊子を置き、腕組みをし、それをにらみつけていた。

 流行は少し離れた机に座りながら帳簿を付けている。

「来月の初めに例会があり、担当は搬入、搬出ですか」

 例会とは、演劇を見ることであった。

「全く説明をしなくてもいいのは便利なんだが、全部わかっていても、笑うのか?」

「分かっていても、実際に話を聞くと笑えます」

 そう言って流行は組んだ両手の上に顎を乗せていた。

 校長から半強制的に入会させられた観劇サークルは会員参加型のサークルだった。

 月々一定の会費を支払い、年、数回舞台を見るのだが、3人以上一組で参加するサークルが、金沢に来る劇団の仕事を年一回手伝わなければいけないのだ。

 そして、神崎が入会したその月。つまり夏休みのど真ん中の8月が年に一度の参加する番に当たっていたのである。

 そして不運なことに、今年のサークルのメンバー全員―当然皆先生なのだが―が夏休みの部活動の指導で予定が潰れてしまったのだった。原因は各々担当している部活動が、地区大会で優勝、または入賞してしまったのだ。

 従って、何も知らず入会した神崎がいきなり観劇会の運営に参加する羽目になったのだ。

 流行があきらめることを勧めるように言う。

「ま、ともかく参加してみてはいかがですか。それを負担と感じるか、楽しいと感じるかは本人次第ですから」

「搬入、搬出かぁ・・・・」

「ガテン系は慣れているでしょう」

「それはガテン系じゃない、ファイン系だ」

 ファイン系とは油絵、日本画、彫刻などを専攻した学生を指し示す用語である。一般的にファイン系は体力が必要と言われている分野であった。

「同じでしょう。ついでに、私は入会しませんよ」

「やっぱだめかぁ」

 その日、授業が終わり一目散に流行の店を訪れた理由はそれだった。


 8月の第1週目の土用の夕方であった。

 神崎が担当した例会は、東京を中心として活動をしている若手の小劇団であった。

 今週3日間は金沢市の文化ホールでの公演になり、来週2日間は隣町の野々市市内にある文化ホールでの公演になる。

 その金沢での最終公演が終わった次の日、会員と劇団員との交流会が企画されていた。

 芝居の内容は、運送配達のトラック運転手が高速道路でのトラブルが原因で、パーキングエリアで足止めになり、指定時間内に配送できないというコメディーだった。

 本社とのやり取りで神崎は大いに笑った。

 その感動もあり、役者との交流会に参加した。

 場所は、金沢の繁華街香林坊にある事務局の中である。

 コンクリートむき出しの配管が天井に丸見えの、下は青いカーペット。ある意味、神崎にとっては馴染みのある空間だった。

 そんな中、夕方4時ごろから始まった会は軽い軽食とスナック菓子、そしてソフトドリンクとビールが中心となったアルコール類が用意されていた。

 座談会形式で各々が役者の周りを囲み座る。会の担当者の一人の合図で、それぞれの役者が立ち上がり、芝居の中の役を紹介していった。

 その中の一人の女性が立ち上がり自己紹介をした。

「日野京子です。本日は本社のオペレーター役で参加しています」

 年は30代だろうか、目鼻立ちがはっきりとした全体的に強い印象を受ける役者だった。

 彼女が自己紹介をしたその瞬間会場が笑いに包まれ、大きな拍手が起こった。

 日野が座ると、その左に座っていた若い女子が日野に声をかけた。色白の少し細身の女子である。セミロングの黒髪に少し細めの一重の瞳と、ピンクの半そでの服から延びる白い腕が長く見え全体的に華奢な印象を与えた。

「すごく楽しかったです。オペレーターの人が延々とマニュアルを読み上げているところとか、あと、留守電の真似とか」

 彼女が興奮気味に会話を続けようとした時だった。突然、日野の右横に座っていた女性が会話に加わった。

「途中で強盗団が入ってからぁ」

 少し小太りの日野と多分同じくらいの世代の様に見える。しかし、全体的に幼い感じがした。甘ったるい少し高めの声が原因かも知れなかった。

 左の女性は少しびっくりした様子だったが、それでもその会話に乗った。

「そう、お前たちを殺すのに銃はいらない。これを飲めって言って、日本酒の一升瓶出したとき」

「結局飲まなかったじゃない。あ、私も地元で声優やってるんですよ。機械音をまねるって大変ですよねぇ」

 左の女がいきなり話題を変えた。

 当然会話を聞いていた周囲の人間は皆イラっとくる。が、日野はそんな無礼を無視して女の問いに答えた。

「今回の芝居のために、アナウンサーの教室で勉強したんですよ」

「今更ですか?女優さんもたいへんですねぇ」

 少し小ばかにしたものの言い方に、会話が続かなくなる。

 が、そんな雰囲気をさらに無視して女が話を続けた。

「小劇団って大変じゃないんですかぁ?やっぱチケット販売のノルマとかあるんでしょ」

「固定客ができればそれはそれほど負担にはならないですよ」

「へぇ・・・そんな熱心なフアンがいるんだぁ」

 ニュアンスは相も変わらず見下した感じである。

「ここ金沢にもいらっしゃいますし」

「えっ、どういうことですか」

 右の彼女が日野の顔を見た。

「毎回、花束が贈られてくるんです」

「劇団にではなく、日野さん個人に、ですか」

「ええ」

「へぇ・・・紫のバラの人なんだ」

 左の女がつまらなそうにつぶやいた。

 その女のつぶやきが日野の真向かいに座っていた神崎の耳に入ったのだ。

 神崎はパーキングエリアにいた他の運転手役の役者の男性と話をしていた。ふと耳にしたその台詞で顔を日野の方に向ける。

 今まで話していた役者の男性はすでに他の会員の男性と話しこんでいた。

 実は神崎も男性役者と話をしつつ、隣の3人組の話も耳に入っていた。

 女の無神経な話と、話し方に内心苛ついていたのだ。

 日野が、やっと話の主導権が自分に移ったことにほっとしているようである。

「正確には毎回ってことじゃないのよ。初演の時に必ず花束が贈られてくるの」

「でも、どうしてそれが金沢からって?」

 右の女性が好奇心で楽しそうに日野に問う。

「馬鹿ね、宅急便の伝票で分かるじゃない」

 左の女がさらに小馬鹿にしたように言った。

「差出人の所に名前は書いてないのですか?」

 たまらず神崎が会話に加わった。

 それに日野が乗った。

「ええ、差出人の所は空欄なのよ。でも、お花屋さんは分かる」

「どこですか?」

「尾張町って所にある生花店」

 神崎は無意識に右の女性の方を見る。

 女は軽くうなずいた。

 それを確認して神崎が日野に問いかけた。

「行かれたんですか?」

「ええ・・・」

「で?」

 三人の視線が一斉に日野の元に集まる。

「中年の男性ということしかわかりませんでした」

「まそうでしょうね」

 女が当然という感じで話す。

 その時、事務局の男性が輪の中に入ってきた。

「監督が話をしたいと言っていますので、ちょっと来てもらえませんか」

 これ幸いと日野が立ち上がろとした時である。

「すいません、写真を一枚撮らさせていただいてもよろしいですか?」

 神崎がポケットから携帯を取り出そうとする。が、それを事務局の男性がとめようとした。

「いいんですよ」

 そうって日野が男性の動きを止めた。

「その代り、撮った写真を見せてくださいね」

「ありがとうございます」

 そう言って神崎は一枚日野の上半身を携帯で撮った。

 それを日野が立ち上がり神崎の横に座って写真をのぞき込みながら彼にささやいた。

「あれは嘘よ。実は女の人だったの」

 そう言って赤い唇でにやりと笑い立ち上がったのだ。

 中心となる役者がいなくなったためか、3人はそれぞれ近くの役者の輪の中に入っていった。

 神崎も先の男性俳優と再び話こんでいた。

 会は1時間ほどで終了した。

 すべてが片付いた後、神崎は他の会員の人たちに挨拶をして、事務所を出た。

 アルコールを飲んではいたが、泥酔するほどではなかった。

 時刻は夕方の五時過ぎ。

 まだ流行の店は開いている時間だった。

 五月に彼に会ってから何度か画廊を訪れる機会があったが、神崎はまだ一度も店にお客が訪れている姿を見たことがなかった。従って、次第に連絡を取り付けることもなく、直接彼に会いに行くようになったのだ。

 事務局を出てそのまま左に曲がる。

 信号を渡り裏通りを金沢駅の方面へと歩いていった。

 途中神崎の職場の金沢中央中学校の裏手を通っていく。そのまままっすぐ行くと流行の画廊に到着した。

 階段を上がり扉を開けると、一番奥に流行が机に座って神崎を見ていた。

「神崎君、今日は友達をお連れでしたか」

「えっ?」

 流行の言葉に神崎は一瞬戸惑ったが、すぐに後ろを振り返ると、そこにはあの日野の右に座っていた若い女性が立っていたのだ。

「どうぞ、お二人とも中におはいりください」

 流行がそう言って入口まで歩んでくる。

「ありがとうございます!」

 元気な声で返事をしたのは女の方だった。


 店の中では神崎が座っている向かい側で女が背を向けて油絵を見ていた。

 西洋の田舎の風景だった。

 神崎は少し不貞腐れたように女に尋ねる。

「事務局からずっとついてきたのか?」

「そうです」

「なんでだ」

「だって、外に出て左に曲がったでしょ。あなたアルコール飲んでいたから、車で帰ることはない。バス停があるのは右側。なので、ついて行った。そしたら大通りを渡って裏道に行くじゃない方向は金沢駅。へぇ、どこに住んでいるのかなって感じで」

「それは立派なストーカーだろう。しかも自宅に帰るとは限らないだろう。駅まで歩いて帰るかもしれないじゃないか」

「わざわざ遠回りして?自宅に帰らない可能性。それも当然織り込み済み。でも、事務局、街の繁華街のど真ん中にあるんだよ。喫茶店とか行くにしても左はない」

 確かに、彼女の言うと通りだった。

 事務所のある場所は金沢の最も繁華街と言われる香林坊にあった。

 ほぼ、すべてのバスが停車する場所である。その停留所は4か所ほどあるのだが、すべて事務所を出て右側にあった。

 そして、金沢一の観光地の名所兼六園、金沢城に行くには左に曲がりさらに右に曲がる大通りとは反対の方向に行かねばならなかった。

 それでも神崎は反抗した。

「馴染みの店がある可能性があるじゃないか」

「そう、私もそう考えた」

 そう言って女はくるりと体を神崎の方に向けた。

「店に入ったら、偶然をよそおって私も中に入ろうと思っていた」

「なんだ?それ?」

「神崎佑司。年齢23歳。中学校で美術の講師をしている」

「なんでそんなこと知ってる?!」

「あら、覚えてないの?あなた最初に事務室に入った時サークルの代表者の人が事務局の人に紹介してたじゃない」

 女に指摘され神崎は思い出した。例会の担当代表者を急きょ神崎が受け持つことになったので、同僚と共に事務室へ訪れていた。確かに、室内には数人の人がいた。

「で、お前はなんなんだ?」

「あっ、失礼。そうだよね、自己紹介ちゃんとしなきゃ。私は前田加奈。22歳。金沢美大の学生です」

「芸術系か?」

「ううん、デザイン科」

「その性格で、か?明らかにミステリー好きの腐女子じゃんか」

「はっきり言うよね、でも、みんな間違えるから許してあげる」

「許すも何も、ここまで入ってきて俺と何を話すつもりだったんだ?ここは、喫茶店じゃないんだぞ」

 その時だった。事務室から流行がアイスコーヒーを2杯トレーに乗せて持ってきた。

「確かに、ここは喫茶店ではありませんが、コーヒーぐらいは出しますよ。さあ、おかけください」

「ありがとうございます!」

 前田が元気よく答え、ソファーに腰かけた。

 流行がその向かい側に座る。

「写真、撮っていたでしょ」

 前田がアイスコーヒーにシロップとミルクを入れながら話を続ける。

「あなたが特段あの女優さんに興味を持っている様子はなかったし、多分誰かに見せるんだと思ったわけ。彼女だったら一緒に会員として入っているじゃない」

「そう決めつけるのは良くない」

「あら、そう?でも、可能性は高いでしょ。でも・・・確かに・・・・恋人が一緒に入会するという仮説は少し古かったかもしれない」

 その妙な言い方に、神崎と流行が顔を見合わせた。

 次に流行がクスリと笑い、スーツの内ポケットから名刺を取り出し、前田の前に差し出した。

「この店のオーナーです。彼とは今年の五月に知り合ったばかりですが、お互い好みは女性ですよ」

 そんな流行の言葉に神崎も大きくうなずく。

「えっ、そうなんですか。良かったぁ」

 そう言って、前田が流行の名刺を見る。

「へぇ・・・流行右司さん。神崎さんと同じ名前なんですね」

「ええ」

「お前、あまり憶測で行動しない方がいい。世の中ってのは自分が考えている範囲で成り立っているわけじゃないんだ」

 神崎が注意した。

 それに対して前田がむきになって反論する。

「じゃあ、あの携帯の写真は流行さんに見せるんじゃなかったんですか?」

 そのあまりの正論に神崎が窮した。

 それを流行が助け舟を出す。

「ええ、多分彼は私に見せるつもりでその写真を撮ったのでしょう。神崎君、ことの顛末を教えてくれませんか」

「金沢の花屋さんからわざわざ東京の劇団の役者に初日に花を送っている誰かががいる」

「花屋に確認はされたのですか?」

「女性だそうだ」

「えっ、男じゃないの?」

 前田がびっくりする。

「ああ、あとでこっそり教えてくれた」

「それで?」

 流行が尋ねる。

「それでおしまいだ」

 流行が話す。

「その役者さんが花束の人とお会いする可能性はほぼないでしょう。一般的な話ですが」

「流行、決めつけるのは良くなんじゃないか」

 神崎がむっとして反論した。

「当の本人が全く相手を知らないんです。私たちがどうすることもできないのでは」

「せめて彼女の写真でも見たらどうだ?」

「もう一度、役者の彼女に会って、詳しく話を聞いたらどうかな」

 前田が思い出したように言う。

「会えるのか?」

 神崎が前田に向かって尋ねた。

「来週の月曜日から野々市で例会が始まるから、搬入の時に会おうと思えば会える」

「その時にもう一度聞いてみる、か」

 神崎が答える。

「では、今日はこれで終わりにしましょう。お二人とも自宅までお送りしますよ」

 流行が結論を出した。

「えっ、君は車持っているのか?」

 神崎が驚いたように言う。

「当然ですよ。仕事に必要です」

 そう言って流行は事務室の中に空になったグラスをもって戻っていった。

 車は近くの駐車場に留めてあるらしく、神崎と前田が店の前で待っていると、黒い普通車が奥の路地から出てくる。

 二人が後ろに乗り込むと、流行が前田に尋ねた。

「ご自宅はどこですか?」

「小立野です。美大の前でいいです」

「小立野だったら、バスの便不便じゃないのか?」

 後ろに同席した神崎が前田に言う。

「事務所に行くのにはちょっと不便かも。だからなかなかサークルができなくて。今のサークルも事務局の人に紹介してもらったの」

「そこまでして演劇が好きなのか?」

「福井にいる姉があっちで同じ鑑賞会の団体に入っているの。高校の時から見ていたからその流れで」

 そんな話をしているうちに車は兼六園の横の坂を上り、美大の前に到着した。

「今日は、ありがとうございました」

 前田がそう言って車を降りると、流行がにこりと笑いながら頭を下げた。

 そして車は向きを変え、兼六園下へと向かう。

「さっきの話だが」

 神崎がおもむろに話し出す。

「あの役者さん、会うことはできないのか?」

「ええ、会うことはりません」

「それは確定なのか?」

「物事には原因と結果があります。すでにサイは振られています。それと・・・」

 そう言って流行がおもむろに話題を変えた。

「話は変わりますが、明日、顧客に会いに行きます。精密機械を作っている経営者の方なのですが、珍しいことに、彼の自宅には藤田嗣治の油絵があります」

「あるのか?この北陸で?」

 神崎が思わず身を乗り出す。

 若い神崎が驚くのも無理はなかった。藤田嗣治―第1次世界大戦前にフランスで活躍した物故作家であった。戦後の好景気の流れに乗り一躍時の寵児となった作家である。現代においても非常に人気が高く、高額な値段で取引がされている作家であった。

「一緒に行かれますか?」

「それはもちろん、見に行きたいが、いいのか?」

「私も彼、田畑誠二という方なのですが、田畑社長の自宅に伺うのは今回が初めてです。内灘に新社屋を建設するにあたり内装の美術品、ほとんど油絵なのですが、をすべて私が引き受けた案件です。今まで仮のオフィスで打ち合わせをしていたのですが、その時、たまたま社長の口から藤田嗣治の油絵があることを教えてもらいました。すでに、先方には当日新進気鋭の画家を一人勉強のために同伴すると伝えてあります」

「俺は新進気鋭なのか?」

「方便です」

「あ、そう」

 神崎の淡い期待はバッサリと切られた。

 その言葉と同じころ、車は神崎の下宿先に到着していた。


 次の日の朝、神崎は流行の店の前に行くと、すでに流行の車が神崎を待っていた。

 すぐに助手席に乗り込む。すると流行が紺色のジャケットを神崎に手渡した。

「冷房がきついので、これを着ていてください」

 季節は8月の真夏であった。神崎は半そでの白シャツに紺色のスラックスの姿だった。

 ―確か昨日は、社長の家には今回初めて行くって言っていたよな。

 多分、いつになってもこの状況の矛盾を平然と話す流行には慣れないだろうと思いつつ、神崎はもらったジャケットを着た。

 自宅は市内の泉が丘という番地であった。旧市街地から少し離れた高台に位置する閑静な住宅街であった。

 流行は車を降りると、純日本風建築の家に入る。

 左手には大きなガレージがあり、奥には松の木の枝が見えていた。

「今日は先日のお礼と絵画の総額の説明をしに来ています」

 流行が玄関先で神崎に説明をする。

 格子戸の引き戸を引くと庭があり、その奥に玄関があった。

 インターンホンを押すと、田畑の妻が二人を出迎えた。

 年は五十歳近くだろうか。髪を黒く染め、軽くウエーブが掛かっていた。夏らしい半そでのブラウスとカーデガンを羽織っていた。

「どうぞ奥へ、主人が待っていますわ」

 二人は軽く会釈をし、夫人の後に続く。

 中は広い玄関があり、その先にフローリングの床が奥のリビングへと続いていた。

 ドアを開けると、一気に部屋の空気が冷たくなった。冷房がよく効いていた。

 中年の男性がソファーに座って二人を待っていた。彼が田畑誠二であった。

 筋肉質の体をしており、白いポロシャツが少しきつめに見える。暑がりなのだろうか、部屋の冷房は非常によく効いているにも関わらず、扇子を片手に持っていた。

 その彼が立ち上がり最初に流行に挨拶をした。

「先日は本当にありがとう、あれで会社の格も上がったよ」

「こちらこそありがとうございます」

 そう言って流行と神崎が並んでソファーに腰かける。

「その青年が新進気鋭の画家さんかね」

 そう言って田畑が神崎を見た。

「今年、美大を卒業した油絵の画家です。今日は、あの藤田嗣治の作品を見たいということで、失礼ながら同席させてもらっています」

 流行の言葉に神崎が深くお辞儀をした。

「ああ、彼の絵なら、そこにあるからゆっくりと見て行ってくれたまえ」

 田畑は少し誇らしげにそう言って、リビングの奥を指さした。

 指された方にはいくつかの絵画が壁に飾られており、その中の一点が藤田の作品だった。

 神崎は急いで絵画の近くまで歩み寄る。

 彼が本物の藤田の作品を見ることは初めてだった。

 その間に、流行が黒いビジネスバックからA4の大きさの冊子を取りだし、田畑に渡す。

「請求金額は先日のお話の通りでよろしいでしょうか」

「うむ」

「明細は冊子としてまとめてあります」

 田畑はその言葉を聞くと、受け取った書類を一枚ずつめくり買い取った絵画の詳細を読んでいた。

 時折、文字が見えにくいのか、右目をこする行為を何度かおこなっている。

 一通り書類を確認した後、田畑が顔を流行に向けた。

「予算より少しオーバーしたが、ま、いいだろう。それでだが、もう一点追加で何か良いものを持ってきてもらいたいのだが」

「ありがとうございます」

 ソファーに腰かけていた流行が頭を下げた。

「この部屋に置きたいのだ」

 そう言って窓際の壁の方に顔を向ける。

 庭に面した窓と窓の間には壁があり、そこに絵画を置きたいようである。

 壁の側面には飾り棚が置かれていた、もし掛けるとしたら、それほど大きなものではなかった。

「見てみてもよろしいでしょうか」

「うむ、頼む」

 流行はソファーから立ち上がり、壁に近づく。白の壁紙が張られてあり、釘の後はなかった。

 そのすぐ下には飾り棚に置かれたいくつもの家族写真が飾られていた。

 流行がその中の一枚の写真に目を止め田畑に声をかけた。

 家族写真の中の一枚だけ田畑がスーツ姿で横に化粧の濃い女性が並んでいるインスタントカメラで撮られた写真だった。

 背景からしてどこかの劇場で撮られた一枚である。

「ご家族の方に舞台をされている方がおられるのですか?」

「流行君は芝居に興味があるのかね」

 そう言って、田畑がソファーから立ち上がった。

 その時右足を少し引きずっている様子が見られる。

「妹だ。義理のね」

 穏やかに田畑が流行の問いに答えた。

 流行が部屋の隅に座っている田畑の伴侶をちらりと見る。

「違うんだ。私の妹だ」

「差し出がましいことを聞いて申し訳ございません」

「いや、いいんだ」

 そう言って田畑は少し口を閉ざした。

 多分、後ろを向いている神崎を気にしているようだった。

「流行さん、私は先に車の中で待っています」

 その雰囲気を察して神崎が言った。

「いや、いい」

 それを田畑が止めた。そして少しためらった様子だったが、次におもむろに話し始めた。

「私の母は私の父と別れて再婚した。その後に生まれた妹だ」

「連絡はとられていられると?」

「いや・・・あったのはこの時一度きりだ」

 写真は古く、すでに色あせていた。

「恥ずかしい話だが、私の父が私と母が会うことを非常に嫌がっているんだよ。私の祖母と母の関係が最悪だったらしく、私は母が家を出てから一度もあったことがない」

「では、あちらの家族のことは何も知らずに?」

「いや、親戚の一人が風の便りで時折、母の様子を教えてくれていた」

「ああ」

 流行が納得してうなずいた。

「この子が役者を志し東京に出たということを聞いたのは彼女が高校を出てすぐだった。そのころ私はちょうど会社で役員になったばかりだった。東京に出張したとき、話に聞いていた劇団の芝居を見に行った。その時の写真だ」

「よく、妹さんと気づかれましたね」

「ああ、私の若いころとそっくりだった」

「そこまで気にかけられるのは、お母様の代わりでしょうか?」

「それは、私自身の代わりかもしれない」

「と言いますと?」

「私は幼い時から社長になるための教育を受けてきた。確かに会社には百数十人の従業員がいる。その責任を負うためには学ばなければいけないことがたくさんあった。そのために多くの物を犠牲にしたと思っている」

「自由に好きなことをしている彼女がうらやましかった、と?」

「好きなことをして、それで成功してくれればと思っている・・・・君どうかしたのかね」

 そう田畑が神崎に向かってそう尋ねた。

 尋ねられた神崎の顔は、明らかにこわばっていた。

「すみませんその写真見せてもらってもかまわないでしょか?」

「ああ?かまわんが・・・・」

 神崎が急いで駆け寄り、棚の上の写真の女性を見た。

 それは確かに先日事務室で話をしたあの日野京子だった。

「君は彼女を知っているのかね?」

 田畑が聞く。

「先日、舞台で見ました」

「ああ、そういえば今金沢にきているんだな」

「ご存じなんですか?」

 流行が田畑に尋ねる。

「ああ、時々劇団のホームページを見ているからね」

 神崎は「見に行けばと」言いそうになった言葉を慌てて飲み込んだ。

「彼女は社長のことをご存じなんでしょうか?」

 流行がそんな神崎を無視した。

「多分、知らないはずだ。母は捨てられた状態で別れたらしい。こっちの家族に恨みはあっても、未練はないと聞いている」

 そう言って田畑が写真に目を向けた。

「私が東京で見たときは、本当に少人数でやっていた小さな劇団だった。それがいまじゃ、ここまで来るほどになった。私は、熱烈なファンの一人だよ」

「良いお話を聞かせていただきありがとうございます。後日ここに飾る絵を選んできますので、お待ちいただけますか」

「ああ、よろしく頼むよ」

「かしこまりました」

 その言葉とともに流行は神崎に視線を送り、再び田畑に頭を下げ、ソファーに歩み寄り鞄を手に取り部屋を出た。

 田畑夫人が玄関先まで見送りに来た。

「つかぬことをお聞きしてもかまわないでしょうか」

 神崎が小声で夫人に問いただす。

「何か?」

「彼女、日野さんですが、個人的に送られてくる名前のない花束を非常に気にしていました。それはもしかしてご主人が贈られている、とか?」

 田畑夫人がこくりとうなずいた。

「ですが、このことは彼女には伝えないで下さい」

「分かりました」

 神崎はそれだけしか言えなかった。


「図ったな流行」

「なにが、ですか」

 流行が車の中で静かに反論した。

「いつから・・・・俺が入会したときからか」

「その辺については、何も申し上げることはできません」

「でも、なぜ会えないんだ?会ったほうがいいだろう。今、彼女は金沢にいるんだぜ」

「状況はこれで理解できたでしょう」

「せめて、田畑社長が芝居を見てもいいじゃないか。彼女は社長を知らないんだ。なあ、流行、何とかならないのか?」

「無理です。結論は決まっています」

「結論は、彼女と、田畑さんが出会うことはないってことだろ?だったら、田畑さんが芝居を見てもいいってことじゃないのか?」

 そのことに対して流行が何も答えない。

 しびれを切らした神崎がさらに問いただした。

「じゃあ、どうして今日俺を田畑さんの自宅に連れてきたんだ?」

「どちらにも、田畑社長にも、そして日野さんにも有益になるからです。たとえ、あなたがいない状況でも、事実は全く変わりません」

「全く、何を言っているかわからないぜ」

 神崎があきれたように言った。

「さあ、自宅につきましたよ。明日、午前中のうちに野々市に行かれるのでしょ」

「ああ」

 ぶっきらぼうに神崎は返事をし、ジャケットを脱ぎ流行に渡した後、挨拶もなしに車から降りた。


 その夜、神崎はベッドの中で今日の出来事を思い返していた。

 そして、一つの結論を出した。

 ―二人を合わそうと。


 そして次の朝、神崎は早々に食事をし、約束の時間に野々市まで出かけた。

 会場にはすでに前田加奈が先に入っており、神崎が入ると、駆け寄ってきた。

「今日の例会は夕方だから、会場の設営が終わってから少し時間がある。その時に彼女に会える。事務局の安野さんに事情を話して時間を作ってもらった。日野さんを連れ出すことは無理だろうけど話を詳しく聞くことはできるだろって」

 そんな前田の提案に対して、神崎が急いで昨日の出来事を話し出す。

「花束の人が、誰だか分かった」

「えつ?」

「流行の顧客の人だったんだ。たまたま日曜日あいつと一緒にお客の家に行ったら、彼女の写真があった。花を贈っていたのは奥さんだ」

「じゃあ、そのこと日野さんに伝えなきゃ」

「向こうの事情でそう簡単にはいかない」

「どういうこと?」

 神崎は周囲を見渡した。人が多すぎて詳しい話ができそうもなかった。

「こっち」

 そんな神崎の様子を見て、前田が人ごみの少ない廊下の片隅へ向かう。

 神崎が説明をする。

「花束の人は日野さんの異父兄妹だ。日野さん自身は家庭の事情で自分に兄がいることを知らされていないようだ。田畑さん―日野さんのお兄さんの名前だが、田畑さんの奥さんもこの事実を日野さんには伝えてほしくないらしい」

「でも・・・それじゃあ、日野さんはずっと知らないままになる・・・」

「俺は、二人は会ってもいいと思っている。二人とももう大人だ。会って・・・」

 その時だった、楽屋の少し空いた扉の奥から声が漏れてきた。

「お前、本当に劇団を辞めるのか?」

 どこかの男性の声だった。

「私ももう、三十を超えたわ。これ以上続けても女優として成功はしないでしょう」

 日野の声だった。

 神崎と、前田が顔を見合わせる。

「明後日、ドラマのオーディションがあるだろう、その結果を見てから結論を出せよ!」

「いつものそうじゃない。オーディション受けて、落ちて、また受けて。もう十分でしょう」

「劇団もここまで成長したんだ、これからだってやっていくことできるだろう」

「もう、主役は無理よ」

「やめてどうするんだ」

「実家に帰るわ。母が飲食店をしているからそこを手伝う」

 その言葉と共に、日野が、楽屋からいきなり出てきた。

 そして。立ちすくんでいる二人に気が付くと、バツが悪そうにそそくさと立ち去って行った。

 神崎と前田が目を合わせる。

「田畑さんに会わなきゃいけない」

 神崎がつぶやく。

「でも、俺一人じゃ無理だ」

 神崎の脳裏には流行の姿が浮かぶ。しかし、昨日の車の中の会話の後である。

 彼がこれ以上手助けしてくれるとは思えなかった。

 神崎は傍らで心配そうにのぞき込んでいる前田を見つめた。

 ―二人なら。

「これから流行に会いに行く。君も一緒に行ってくれるか?」

「あたしも?いいんですか?」

「俺一人で流行を説得する自信がない」

「分かりました。今日の搬入急きょ用事があるって安野さんに伝えてきます」

「車、玄関先で待っているから」

「分かりました!」

 そう言って前田が会場へと駆け出す。すぐに神崎も後に続き、駐車場へと走っていく。

 しばらくすると玄関先に止めてある神崎の車に前田が乗り込んできた。

「流行さんとは連絡はとれたんですか?」

「いや、直接店に行く。いなかったら店番のおばさんに連絡を取ってもらう」

 電話をかけても繋がる確信がなかった。

 二人はそのまま無言で金沢方面へと車を走らせる。

 前田が思い出したかのように言う。

「チケットだけど、私の分その、田畑さんに譲ります」

「大丈夫なのか?」

「今回例会の担当者だからほぼ毎日見れる」

「サンクス」

 車は思いのほかスムーズに進み、ほどなくすると、流行の店の前に着いた。

「私、先中に入ってます?」

 前田が尋ねる。

「いや、俺が先の方がいい」

 神崎がそう言って車を車庫の中に入れ二人は同時に車から出る。

 駆け足で玄関まで行き、ドアを開ける。

 すると店の奥に流行があの机に座って二人を待っていた。

 神崎が店内を走り、流行の前に立つ。

「田畑さんに会いたい」

「理由は?」

「日野さんが劇団を辞めると言い出している」

「で?」

「俺は、二人は会うべきだと思っている。兄妹なんだろ?もう、子供じゃないんだ。親の事情なんてくそくらえだ」

「それは、神崎君の意見です。田畑氏は今のままで十分だと言っていましたが?」

 それに対して前田が神崎の横に立つ。

「流行さん、お願いです。日野さんの気持ちも考えてください。せっかく誰か分かったんだったら、せめて名前だけでも教えてもいいんじゃないんですか?」

「田畑氏の奥様はそれをしないでくれと私たちに言われました」

 神崎が提案をする。

「あの時は、あの時だ。今は状況が変わった。田畑さんには今の日野さんの状況を伝えれば、考えも変わるんじゃないのか?」

 そんな話をじっと黙って聞いていた流行が大きな溜息を一つ吐き出した。

「彼は私の大切な常連の顧客の一人です。下手に動いたら、大切な顧客を私は失うことになります。二人は私の指示に従ってくれますか?」

「もちろんだ」

 前田も大きくうなずく。

「では、今から連絡を入れましょう」

 そう言って、流行が携帯をとりだし、電話を掛けだした。

「田畑社長、先日はお時間をいただきありがとうございます。実はあのリビングにかける絵画の件ですが、一つ私の方で提案があるのですが、お伝えしてもよろしいでしょうか?」

 相手の返答がある。

 流行は二人に視線を合わすことなく話を続ける。

「先日お伺いしたときのあの青年。名前は神崎佑司というのですが、彼に描かせてみてはいかがでしょうか」

「俺?!」

 いきなり振られた神崎は思考が止まった。

 それを無視して流行が話を続ける。

「先日のあの話、彼は非常に感銘を受けておりました。家族をテーマとして描きたいと言っております」

「俺はそんなこと言ってない・・・」

 神崎が小さく反論する。

「つきましては時期的に今お盆も迫っておりますので、明日お時間があるときにもういちどお伺いしてもよろしいでしょうか、妹さんのお話以外に、家族の歴史などもお話しいただければ、彼にとってとても参考になります・・・・ありがとうございます。・・・明日、正午ですね。ありがとうございます」

 そう言って電話を切り、二人に視線を合わせる。

「明日、十二時過ぎ時間を作っていただきました。ランチを食べながら話をなさるそうです」

「十二時だったら芝居は見れるかもしれない」

 前田が期待をもって言う。

「前田さん、彼女、日野さんには花束の人と会えるかもしれないとだけ伝えて下さい。いいですか、それ以上のことは決して言わないでください」

 前田が大きくうなずく。

「私は神崎君の車で、田畑さんの自宅に行きます」

「俺の車?」

 ちらりと、違和感を持ったが差し迫っていたため、すぐに消え去る。

「二人は当日野々市で待機していてください。私が神崎君に連絡を入れます」

 そう言って、流行は立ち上がった。そして机の後ろにある美術書が並んでいる本棚の方へ向きを変え、美術書を探し始めた。

「きっかけは作りました。後は、君たちで考えてください」

 その瞬間

「野々市に戻ろう」

 神崎がそう前田に言って駆け足で店を出ていく。

 車内の中で二人は打ち合わせに入った。

「今日の公演は?」

「六時から」

「明日は?」

「お昼一時から。終わるのが二時ごろ」

「俺は、舞台の仕事は分からないが、こんな話いつ彼女にしたらいいんだ?」

 前田が自分の腕時計を見る。

「もともと、舞台の設営が終わった後に、時間を作ってもらっているから、今から戻ればちょうど終わっているかもしれない。このまま野々市に着いてすぐに彼女に会ったほうがいいと思う」

「彼女には花束の君が分かったことだけを伝える。田畑さんに関しては、明日もしうまくいったら連絡する」

「うん」

「田畑さんが会場に着いたら、途中休憩時に日野さんに座席を教える。そこまでだ」

「直接会うことは?」

「明日、できる限りのことはやってみる。でも、それは明日にならないと分からない」

「分かった。でも・・・どうして昨日?流行さんと一緒にその・・田畑さんの自宅に行ったんですか?」

「めったに見られない貴重な絵を田畑さんが持っていたんだ。それを見ないかって誘われた」

「何か、すごい偶然だね」

「たまたまだ、偶然だ」

「金沢は狭いから」

 こんな作ったような話に対して前田が全く疑いもせず納得したことに神崎の胸がチクリと痛んだ。

 車は野々市の会館に到着した。

 前田が言った通り、すでに搬入は終わり、舞台の設営が始まっていた。

「安野さんに話してくる」

 前田がそう言って、車から降りると駆け足で中に入っていく。

 神崎が車を駐車場に置き、建物の中に入ると、前田が待っていた。

「日野さんがロビーで待ってる。話の内容は伝えてない」

 その言葉に従い、二人はロビーへと歩いた。

 ソファーには先日見た彼女―日野が座っていた。

 神崎は軽く頭を下げ、日野の前に座る。

「お時間をいただきありがとうございます。私の知人の顧客が、先の花束を日野さんに贈っていた人だとたまたま分かりました」

「どんな人なのですか?」

「申し訳ございません相手の事情ですべてを伏せてほしいと言われています。ただ、明日の公演ですが、観劇できるよう説得をしてみようと思います」

「無理をしないでください。私は、毎回花束を贈ってくれるだけで十分ですので」

 言葉は遠慮をしていたが、全体の雰囲気は期待に満ちていた。

「僕自身も精一杯のことをしようと思います」

「ありがとうございます」

 そう言って日野が深々と頭を下げた。


 そして、当日。

 神崎は朝から野々市へ出向き、例会のための準備を始めていた。

 そして十一時ごろだった。流行から電話がくる。

「すみません、神崎君。田畑さんの都合で、予定の時刻が変更になりました。午後四時です。十分ほど前に田畑さんの自宅の前で待っていますので、遅れずに来てください」

「分かった」

 神崎はその電話を切ると、前田を探した。

 彼女はロビーでチケット確認のための準備をしていた。

 神崎が前田に耳打ちをする。

「予定が変わった。四時だ」

「四時じゃ芝居、終わってる」

「日野さんにはこのことは」

「もう、無理だよ。楽屋でこんなこと伝えられない」

「舞台が終わったらどうだ?」

「多分、搬出は明日になると思うから、時間はあると思う。でも、日野さん水曜日東京でオーディションあるんだよね。金沢駅から特急使うとしたら少なくとも五時ぐらいにはここを出ないと間に合わないかもしれない」

「芝居が終わったら、時間変更を伝えよう」

「うん・・・途中休憩の時、四時に変更になったこと伝える」

「ああ、頼む」

 それからの時間は神崎にとってとても長い時間だった。

 公演中も、芝居の内容が全く頭に入らなかった。

 暗闇の中でただ、人と、台詞だけが動いていた。

 ―流行にはすべてを伏せろと言われていた。だが、今の情況では、二人を会わせるしかなかった。日野さんが何も知らせずにいてよいものなのだろうか?

 そんな中、芝居が終わり、カーテンコールが始まった。

 神崎は早々に席を立ち、ロビーにでる。

 前田が、受付の席に座っていた。

 神崎が前田の方に歩いていく。

「どうだった?」

「日野さんには変更になったことは伝えることはできた。安野さんがお客さんがいなくなったら、ロビーに日野さんが来てくれるって」

 そのころには、劇場の出入り口から次々とお客が出てきた。

 神崎は自分の腕時計を見ながら言う。

「俺はもうしばらくしたら、田畑さんの自宅に向かう。ちょっと、待つのに時間を持て余すかもしれないが、そこのところは頑張ってほしい」

「状況が分かれば、連絡ください」

「ああ」

 そう言って、神崎は駐車場へと向かう。


 神崎が車を飛ばして田畑邸に着くと、そこにはすでに流行が玄関先で待っていた。

 神崎は車を玄関先に停めた。

「田畑氏はまだ自宅に戻ってはいません」

「ああ」

 外玄関の扉を引き、内玄関の呼び鈴を押す。

 インターンホンのカメラから確認したのか、田畑氏の夫人が出てきた。

「主人はまだ帰ってきていません。中でお待ちください」

 夫人は少し身構えた様子だった。

 流行と神崎二人で軽く会釈をし、夫人に導かれて先日のリビングへと通される。

 部屋の中は相変わらず、冷房がよく効いていた。

 夫人がコーヒーを出しながら詫びを入れる。

「ごめんなさい。主人に急に仕事の予定が入って、こんな時間になって」

 それに対して流行が応えた。

「いえ、こちらこそ、突然話を持ってきて、引き受けていただき、本当にありがとうございます」

「夫が来てから話を始めた方がよろしいかしら」

「いえ、奥様のお話もお聞きしたいので」

 流行がにこりと笑った。

 夫人がどきりとした表情をちらりと見せ、すぐに神崎の方を向いた。

「こちらの方・・・神崎さんとおっしゃる?」

「はい、神崎佑司と言います」

「夫から聞きましたけど、東京の美大を卒業されているとか。画風は?」

「コンテンポラリーです」

「あら、現代ですの?夫の趣味は古典ですけど?」

 そう言って奥にかけられている絵画に視線が移る。

 それに対して流行が説明をした。

「確かに東京ではそれぞれの分野を専門的に画商は扱っていますが、地方では様々な画風を扱わないと仕事として成り立ちません。それは画家も同じことです」

 この説明は神崎にとっては少々無茶振りであった。依頼人の希望に合わせた画風で絵を描くなど、神崎にとっては初めての経験になった。

「お話を伺っても、人物画を描くとは限りませんし」

 神崎が言った。

「抽象画になるのかしら?」

「そのために今日お伺いしました」

 成り行きではあったが、そこは腹をくくらなければならなかった。

「実は、先日帰り際に花束の件で奥さまに尋ねた件ですが」

 夫人の顔がこわばった。それを無視して神崎が尋ねる。時間がなかった。

「奥様がずっと贈られていらしたのですか」

「いえ、主人が忙しい時に私が代わりに花屋に行っておりました」

「実は、今日田畑さんに公演を見てはどうかと誘おうと思っていたのです。しかし、急に予定が変更になり、公演は終わってしまいました」

 夫人がいぶかしげに神崎を見る。

「すべてを伏せても、名前を名乗らなくてもいいです。一人のファンとして、花束を贈っている人として日野さんに会ってもらえないでしょうか」

「また、突然どうして?」

「芝居を辞めるそうです」

 夫人の顔色が変わった。

「まあ・・・でもそれは主人の考えを聞かないと」

 その時だった。リビングのドアが開き、田畑が中に入ってきた。

「あなた!」

 夫人が立ち上がり田畑のそばにいく。

 田畑が流行と神崎の二人を見る。

「先に来ていたのかね」

「失礼させていただいています」

 流行が立ち上がり答えた。

 神崎も席を立つ。

「まあ、座りたまえ」

 そう言って田畑は手に持った鞄を夫人に渡し、ソファーに座った。

「うちの者と何の話をしていたのかね」

 そうゆう田畑の様子が少しおかしかった。

 呂律が少し回らなくなっていた。

 だが、それは前回会って話していた時もその兆候はあった。

「それが、あなた・・・・妹さん、お芝居を辞めるんだそうでの」

「なんだって?」

 その時だった。急に田畑が頭を抱えだした。

「あなた!」

 夫人が田畑に駆け寄る。

 田畑が、「辞めるな」と呂律の回らない中でそうつぶやくのが聞き取れる。

 そして、次にソファーの中で意識を失った。

「あなた!」

 夫人の叫び声がリビングに響く。

 その瞬間流行がポケットから携帯を取り出し、救急車を呼んだ。

「・・・・はい、脳卒中で男性が倒れました。・・・・場所は泉が丘・・・」

 その姿を神崎が呆然と立って見ていた。

「神崎君!」

 流行が神崎に向かって叫んだ」

 神崎はその声にはっと我に返った。

 流行と目があう。

 流行の顔が、野々市へ向かえと言っていた。

 神崎はそれを見た瞬間リビングを飛び出していった。


「夫人、救急車を呼びました。下手に触ると危険です!」

 流行がそう叫び、田畑を椅子から抱きかかえ絨毯の上に上向きにして寝かせる。手早くベルトやシャツのボタンをはずす。

 傍らにいる夫人はただ床に座り込み、夫を見ているだけだった。

 数分のうち救急車のサイレンの音が近づく。

 夫人が立ち上がり玄関へと駆け出す。

 すぐに救急隊がタンカーをもってリビングに入ってきた。

「流行さん、一緒にお願いします」

 半分泣き出しそうな声で夫人が流行に助けを求めた。


 病院に着いた後、田畑は手術室へと入っていった。

 その間に、夫人が震える手で携帯を取り出し、会社に電話を掛けだした。

「奥様、私はこれで」

 流行がそんな夫人に声をかけると、夫人はこくりとうなずいた。


 手術が無事に終わり、麻酔が効いた田畑の横で、夫人が医者の話を聞いていた。

「早期の手当てでよかったです。手術は無事に済みました」

 その言葉に夫人は安どし、一気に椅子の中に落ちていった。

 だがしかし―


 そしてこれは、田畑の夢だったのかもしれない。


 その日の夜。

 田畑はふと目を覚ました。

 傍らには人の気配がする。

 意識は思った以上に鮮明だった。

 気配のする方を見ると、そこには流行が立っていた。

 真夜中であった。部屋の明かりはすでに消えていた。

 窓からの月明かりがかすかに流行の姿を確認させていた。

「彼女は帰ったのかね」

 田畑の言葉は明瞭だった。

「妹さんのことでしょうか?」

 その問いに対して流行が応える。

「ああ、芝居を辞めると言っていたが・・・」

「大丈夫です、連れの者があなたの言葉を伝えましたので」

「そうか、あの子はこれからずっと役者をし続けてくれるのかね」

「大丈夫です。近日中にドラマの出演が決まります」

「そうか、それは良かった」

 そう言って、田畑は一息ついた。そして思い出したように言う。

「私の件は?」

「病院で入院していることは知らないはずです」

「そうか・・」

 田畑の瞳が遠くを見つめた。

「もし、だ流行君」

「なんでしょうか」

「もし、東京に帰らずに、あの子がここにいたら、そのドラマの出演はなくなったのだろうか」

「はい。ですが、人生はそれほど冷たくはありません。三年後に再びチャンスはやってきます」

「三年か・・・長いな。早い方がいいだろう」

「その通りだと思います」

 その言葉を聞いた田畑はゆっくりと瞳を閉じた。


 その数時間後、夜勤の看護師が巡回に田畑の病室を訪れた直後、ナースコールが鳴り響いた。

 その時すでに田畑の息は静かに止まっていた。



 ジョニィへの伝言

                                  作詞 阿久悠、

                                  作曲 都倉俊一

 ジョニィが来たなら伝えてよ

 二時間待ってたと

 割と元気よく出て行ったよと

 お酒のついでに話してよ


 友だちなら そこのところ

 うまく伝えて


 ジョニィが来たなら伝えてよ

 わたしは大丈夫

 もとの踊り子でまた稼げるわ

 根っから陽気に出来てるの


 友だちなら そこのところ

 うまく伝えて


 今度のバスで行く

 西でも東でも

 気がつけばさびしげな町ね

 この町は


 友だちなら そこのところ

 うまく伝えて


 今度のバスで行く

 西でも東でも

 気がつけばさびしげな町ね

 この町は


 ジョニィが来たなら伝えてよ

 二時間待ってたと

 サイは投げられた もう出かけるわ

 わたしはわたしの 道を行く


 友だちなら そこのところ

 うまく伝えて うまく伝えて


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