青へ踏み出す
青から連想するイメージは海、空、宝石――。私の中では、どれも光輝くものばかり。魅惑の青いラーメンを作っているラーメン店の店長は蒼井さんというらしいが、下の名前は不明だ。内気で世間話の苦手な私は聞く勇気すら持てない。蒼井さんの笑顔は青空のイメージそのもので、屈託のない微笑みに心くすぐられる。
ラーメン屋店主にしては珍しい雰囲気を纏った店長の蒼井さん。まるでカフェのような店構え。蒼井さんはいつも笑顔で爽やかだ。創作ラーメンに熱心で、見た目の美しさ、珍しさと美味しさを両立させる人だ。
しかし、実際のところ、蒼井さんとは世間話は皆無でオーダーをとる時、会計時にのみ会話とも呼べない会話を取り交わす。それが目当てで通っているなんて、言えるはずもない。
ただ、見ているだけでいい。相手が自分という存在を認識してくれるだけでいい。常連だが、話すこともできない臆病者でもいい。そばにいたいと願いながら足しげく通う。
会計時に一瞬触れた指と指。その瞬間一気に体の中から熱い何かがほとばしる。頬も密かに火照る。しかし、それはこちらだけのようで、蒼井さんにその気配は感じられない。
澄んだ青色のラーメンが存在するラーメンコバルトという店は実に洒落ている。青色は食欲を抑制するため、食べ物の色に使われることは少ない。しかし、蒼井さんはあえて、青色を使っている。チャレンジャーなのか、採算がとれているのかはわからないが、注文は圧倒的に普通のラーメンが大半だ。常連の私が言うのだから間違いはない。青いラーメンは話題性というだけで、やはり、無難を選ぶ客が多いという事実。
一度だけ、見たことがある青いスープのラーメンはまるで太陽が注ぎ、きらめく海のように美しかった。
魅惑的な蒼井さんは魅惑的な一品をこの世に生み出す。
ずっと慕っている店と蒼井さんがいるだけでいい。
いつも、麺に向き合い、スープの研究をしてひたむきな姿を今日も見つめる。
あくまで迷惑にならない程度に。気づかれない程度に。
華奢ながら豪快な麺さばきは正直カッコいい。
視線の先にあるのはラーメンだ。
このラーメン店には、他にも禁断のラーメンが何種類かある。禁断というと語弊があるかもしれないが、美しい色合いのスープの変わり種ラーメンだ。どれもが、フルーツなどの変わった味がする麺だ。そういった変わったラーメンも気になっていたが、食べることが怖いような気がしていて、未だにチャレンジできていない。珍しいので、マスコミやネットなどで紹介されることも多いが、実際に食べている人をあまり見たことはない。たまに変わり種ラーメン目当てでやってくるけど、それはネットにあげる趣旨の人が多い。つまり、自己顕示欲のために食べるということだろう。
今日もラーメン屋に通う。
話しかけることもなく、ただ席に座り、普通のラーメンを注文する。
普通のラーメンから抜け出せない私。
いつもそうだ。洋服でも髪型でも何でも無難を選ぶ。
目立つことは嫌いだし、人目も気になる。
個性を出したいとも思えない。
そんな私だから、珍しいラーメンを注文する勇気がない。
もし、あまり味が好みではなく、残してしまったら、蒼井さんに失礼だと思ってしまう。
もちろんいつも頼む醤油ラーメンは当たりの味で絶品だからまずいはずなんてないとは思っている。でも、新しいことに挑戦する勇気がないのは、私の性格だ。
「お客さん、今日も醤油ラーメンでいいですか?」
「はい。いつもの醤油ラーメンで」
「煮たまごを1つサービスしておきますね」
「ありがとうございます」
かろうじて言葉を発する。
私は無難なものが好きなので、冒険できずに今日も定番の醤油ラーメンを注文しようと思っていた。普通のラーメンの種類は他店同様もちろんお店にはたくさんある。
ラーメンコバルトに見慣れない美しい女性が店内に入ってきた。
美しいけれど飾らない女性はスニーカーを履いているにもかかわらず背はスラリと高く、ウエストは細くくびれていた。髪の毛は長いけれど、まとめて髪留めをつけている。私服のセンスもいい。
「注文はどうしますか?」
蒼井さんはタイミングを見計らって注文を取る。
「このラーメン、りんごの果汁を練りこんだ麺に醤油スープをベースにして、りんご果汁が入っています。本物のりんごが上にのっています。スープは鮮やかなブルー。これは、夏の青い海をイメージしたものです。名付けて青い海のりんごラーメン。これを食べると病みつきになってしまう恐ろしい一品ですよ。中毒性があるので気を付けてください」
噂の澄んだブルーのラーメンについて、解説する。これは、正直挑戦心がないと手を出せそうもない。私は無理だと思う。
「まぁ面白い、いただくわ」
青いラーメンはここでしか食べられそうもない一品で、りんごを切ったものが上に乗っている。冷やし中華で言う、すいかが乗っているような感じだ。たしかに冷やし中華の上のすいかは中華に合う。ラーメンの麺の中にりんご果汁が入っているとはなんと手が込んでいるのだろう。そのさっぱり感があっさりとした味わいを醸し出すのかもしれない。
「ベースは醤油なのね。一見、合いそうもないりんごとラーメンという組み合わせが素敵だわね」
「一見合わないと思われるものでも、相性がばっちりというパターンもあるのですよ」
「他にどんなメニューがあるの?」
「魅惑のレモンラーメンに草原をイメージした麺にほうれん草を練り込んだ緑のスープが鮮やかな森林ラーメンもありますよ」
「おしゃれなラーメン、個性的なラーメンはこれからの時代に合っていると思うの。食べ物の世界も多様性でしょ」
「お客さん、話がわかるね」
店長目当てで来た客も多いとSNSで話題になっていた。かくいう私もその一人だ。
「あなた、好きな人がいるの?」
美人客に口説かれている蒼井さん。
少し戸惑うこの反応は好きな人がいるのだろう。
わかりやすい人だな。全身の筋肉が引力に逆らえないくらい脱力する。
「気になる人はいますよ」
気になる人がいるんだ。
いつもは絶対に注文しないラーメンを今日こそ注文しようと決意した。
「青いラーメンをお願いします」
ついに注文してしまった。
「お客さん、いいんですか?」
驚いた様子の蒼井さん。
「もちろん」
「青いラーメン、一丁上がり。サービスでチャーシュー1枚乗せておきました。いやあ、驚いた。一生お客さんがこのラーメンを食べることはないと思ってましたよ」
嬉しそうにしている蒼井さんは、青いラーメン推しなのだろう。
「なんでですか?」
「毎日来るのに、全然興味がなさそうだったし。いつも醤油。たまに味噌ですしね」
客のことはちゃんと把握しているんだな。まさに、ラーメン屋の神だ。
「私、チャレンジ精神が少ないんですよね。でも、今日は食べてみたくなったんです」
「それは嬉しいです」
本当にうれしそうだ。
一口食べてみる。
「あれ? 全然癖がない」
思っていたような奇抜な味じゃない。
見た目こそ派手だけれど、味は普通だ。見た目とのギャップに驚く。
「見た目と中身のギャップを追求したのがこの青い海のラーメンなんですよ」
「気になる人ってどんな人?」
美女は躊躇しない。
「きわどいラーメンを食べようと思ってもなかなか躊躇して食べられない人。でも、本当は食べたいと何度も足を運んでくれる人」
すかさず蒼井さんがこちらに話題を振ってきた。
「青いラーメンも悪くないでしょう?」
「はい。すごくおいしくて、見た目と想像していた味が全然違うなぁって」
「いつか、絶対、お客さんみたいな保守的な人にも食べてもらいたいって思ってたから、今日はすげーうれしい」
嬉しそうに笑う。もっと早く注文すればよかった。
「今度、また色々なラーメンを注文します」
「また、来てくれたら、サービスするからさ」
「蒼井さんは好きな人とお付き合いできそうな感じなんですか?」
私ってば何を聞いているのだろう。
どこからそんな勇気が溢れたのだろうか。
「難しいかもしれない。まだ、名前も知らない。でも、今日、はじめて青いラーメンを食べてくれたから、それだけで俺は嬉しい」
「もしかして……気になる人って」
「別に、変な意味じゃないけど、ずっと話してみたいなって思っていたんだ。でも、話すきっかけがつかめなくて」
「私、好きな人がいます」
「そっか……」
残念そうな蒼井さん。
「私が好きな人は青い空や青い海みたいな世界にひとつだけの青いラーメンを作る人です。ちゃんと話したこともないけれど、ずっと慕っていました」
「この後、夕方まで休憩時間で一旦店を閉めるから。よかったら、少し、話をしませんか?」
机の上には青いラーメン。窓の外には青い空と青い海が広がっていた。




