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放浪兄妹  作者: 水羽そよ
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01.放浪少年

 澄んだ青空の雲の下、パン屋の店主の怒声が響く。


 薄汚れた継ぎはぎだらけの服を着た少年が一人、両手に大きなパンを抱え息を切らしながら店から飛び出し、人混みをかき分けてまるで初めから何もなかったかように一瞬にして姿を消してしまった。


 この店は二、三年前から人混みを利用しては何度も盗みを働く少年に手を焼いていた。数ヶ月前から傭兵をいくつか雇ってみてはいるが、一向に捕まる気配がしないらしい。

 それもそうだ。目の前に広がる現実の光景はとにかく人だらけ。通りすがりの帝国民がうじゃうじゃと右往左往している中から年の割に背が低い泥棒を見つけて捕まえるなど、至難の業どころの騒ぎではない。

 店主は頭を抱えて大きくため息を吐き、眉間に皺を寄せて入店した。


 店主の陰鬱な様子を目にした街の人々はひそひそと話始めた。

 

「泥棒猫のカモにされて、かわいそうねぇ」

「帝都じゃあ世間知らずのお貴族サマでない限りあの小賢しい顔を知らない人はいないのに、ぜんっぜん捕まらないわよね」

「躾がなってないわよね。一体子供にどんな教育をしているのか、親の顔を一度見てみたいわ」



 …あの人たちが僕の親の顔を見る機会は二度とこないだろう。だって、母さんはもうこの世にいないし、父さんは物心付く前に母さんと僕を置いてどこかへ行ってしまったのだから。

 僕にはもう養親どころか実親すらいない。父さんみたいな家族を見捨てる屑は家族じゃない。


 孤児院への入り方なんて知らないし、かといって七歳ではまだ働けない。だから大馬鹿者の僕は今日も見栄もプライドも捨てて盗みを働く。


 僕の唯一の宝もの――何よりも大切な妹『ミミ』のために。


 貧民窟の最奥にある古びた屋敷。それが僕とミミの今の住処であり、今まで僕が一度たりとも捕まらなかった理由だ。貧民窟に近づくような命知らずはこの帝都にはいない。貧民窟は入ったが最期、帰りに命はないといわれている。


 本当はそのようなところでミミを一人にさせたくない。でも、ミミの幼く柔らかい手に穢れた罪の色を塗りたくない。犯罪に手を染めるのは僕一人で十分だ。あと、まだミミには僕の悪行と醜さを知らない純粋無垢のままでいてほしい。悠長なことを言ってる場合じゃないことはわかっているつもりだ。ただ、『お兄ちゃん』としてのプライドが、いつもミミを危険に晒してしまうだけ。


 きいいと不快な音が鳴る建付けの悪いドアを開けて中に入る。すると、お腹を押さえていた紫の瞳の可愛いミミが僕の気配に気づくや否や、かわいらしい微笑みを浮かべて近くに駆け寄ってきた。

 

「ただいま。ミミ」

「アクラににぃ!おかえりなしゃい!」

 

 ミミを頑丈な椅子に座らせ、腐った机に盗んできたパンを置いた。その中でも一番おいしそうなクロワッサンをミミに手渡した。ミミは初めて目にするクロワッサンをあちらこちら見回すと、先のほうからじっくりと味わった。

 相当おいしかったのか、眉をグンと上げて幸せそうに顔をほころばせた。僕もつられてついつい笑ってしまった。


 先日川から汲んできた水をコップに入れて渡した。あまり体にいいものではないのに、ミミが嬉しそうしているだけで、僕にはどのような高級品や健康食品よりもずっといいものに見える。


「アクラににぃも食べなよ。お腹ぺこぺこでしょ?」

「うんと、じゃあこのライ麦のパンをもらおうかな。いい?」

「もちろん!」

 

 ライ麦は放っておくと石みたいに固くなってしまうから、早めに食べておかないと後が大変だ。急いでライ麦パンを頬張った。もそもそしていてとてもではないがおいしいとは思わない。まあ、すこしばかりは空腹を紛らわせた気がする。


 唇に付着したパン粉を指で掬って口に入れる。いつもなら外で悪党どもが殴り合い喧嘩をしているはずなのに、今日はどういうわけか静かだった。嵐の前の静けさというか、なんとなく、嫌な予感がした。


 不安になりすぎていると自覚はあるが、念には念を、妹に飛び火しないように、もしもの騒ぎが起きる前に貧民窟を抜け出すとしよう。


「ミミ、もうすぐミミの誕生日だし、一緒に街で誕生日プレゼントを買おうか。」

「まち?あたし行きたい!」

 

 よし。




 ミミとはぐれないように、仲良く手を繋いで街中をてくてく歩きまわる。昼前と比べてだいぶ人通りが減ってきてはいるが、依然として行き交う人々の数は多い。

 さて、あれから貧民窟がどうなったかは分からないが、人が多いときはこうして堂々と顔を(さら)け出していても、案外気づかれないことに気づいた。誰も僕に見向きしない。疑う素振りも見せやしない。みんな僕を取り逃がす。この事実には笑みを零さざるを得ない。


「アクラににぃ、あたしより楽しそうだね」

「うん。すっごく楽しい」

「ににぃは最近暗い顔してばかりだったから、あたしうれしい」


 何気ない会話をしていると、人々がぞろぞろと端に寄りはじめた。何事かと左右をキョロキョロしていると、皇宮がある向こうから豪勢な馬車がこちらへ走ってくるのが見えた。急いで足の遅いミミを背負って路地裏に逃げ込んだ。


 絢爛豪華で大きな馬車が僕たちを横切る。馬車の窓からきれいな洋服を身に着けた男性がうっすら見えた。ミミと同じ紫色の瞳を持っている。良いとも悪いとも言えない複雑な気持ちに吐き気がする。

 

 ミミは瞳をキラキラさせて言った。


「アクラににぃ、あれなに?ぴかぴか」

「お金持ちの人だけが乗る乗り物、馬車だよ」

「歩いたほうが速そうだね。あたしも馬車に乗ってみたい」

「大人になってたくさん稼げるようになったら、僕が買ってあげる。それまでの辛抱だ。できるか?」

「うん!」


 ミミに視線を向けていると、隣から誰かが僕たちに話しかけた。

 

「へえ、食べ物も碌に買えないような小僧が大人になったら馬車を買うと…大人かぶれの卑賎坊ちゃまにも年相応の想像力はあるんだな」

「誰!?」


 咄嗟に街のほうへ体を動かした。そこには、悪人顔でガタイのいい武器を持った男三人余が佇んでいた。男たちはみんなミミを凝視していた。息を吞んで妹を背中に隠す。怖くて全身がぶるぶる震えている。


 手ぶらの子供二人とこん棒みたいな武器を持った悪党が三、四人。到底勝てる勝負ではない。


「僕たちに何か用です?」

「後ろのお嬢ちゃん、いい身なりをしているな。紫の瞳に加えて顔もいい。この愛くるしさは言葉で表すこと自体が失礼だ」


 当たり前のことをさぞ当たり前ではないかように言っている。晴れの日の空は青い、薔薇の花はきれいみたいな。わざわざ法律に書くほどでもない。無学の僕でも知っている常識だ。

 

「それで?」

「少しだけ貸してくれないか?一時間でいい――「いやです。」


 食い気味に言葉を返す。殺意を込めて相手をにらみつける。見知らぬじじいに僕のかわいいミミを渡すわけがないだろう頓珍漢どもめ。地獄に堕ちろ。


「そうか、平和的に解決させてやろうと思ったのだが、残念だ」


 悪党の一人がミミに向かって手を伸ばす。ミミを守ろうとその場に立ちはだかると、二人目が僕の両腕を後ろで掴んで離さない。ミミを守ろうにも力が弱すぎて身動き一つとれなかった。

 必死の抵抗も虚しくもうだめだと諦めかけた――その時だった。


 ぐちゃ、ぐちゃ、という音と共に悪党どもが次々にその場に倒れた。若干俯いてほっと息を吐くと、気づけば地面は真っ赤な血に染まっていた。なんとなく状況を察した。ミミが下を見ようとしたから慌てて目を手で隠した。


「なぜ目を隠す?なにか後ろめたいことでも?」


 僕たちを助けてくれた恩人に話しかけられ、声の方向に目を向けた。思わず「あっ……」と気の抜けた声が出た。途端に瞳があちらこちらに暴れまわる。自覚するくらい目が泳いでいた。

 助けてくれたのは、先ほど馬車に乗っていたミミと同じ紫の瞳を持った男だった。


「見るも無残な複数の死体は妹に悪影響を及ぼすので」

 震えながら答えた。


 数秒間を開けると、それもそうかと紫の男はぱちんと指を鳴らした。いつの間にか死体はおろか血痕すらきれいさっぱりなくなっていた。頭が超常現象に対する理解を拒む。


「これでいいだろう?さあ、妹とやらの瞳の色を見せろ」


 渋々ミミから手を放す。アメジストが幻想的な姿を露わにする。紫はうっとりとした様子でミミを見つめる。


「この子を私に渡せ――「いやです。」

「私はこの国の皇帝だぞ?――「知っています。」

「ではなぜ……」「まだ妹と一緒にいたいからです。」


 くだらない理由だ。皇帝に着いていけばミミは皇女としてより一層可愛らしくなり、豪華なドレスも着られ、空腹なんて知らず、目一杯ご飯も食べられる。馬車にも乗れる。なにかと我慢する必要もない。

 ミミにはメリットしかない。運が良ければ、いいや、高望みしすぎだ。


 皇帝は呆れたのか頭を抱えて大きくため息を吐いた。


「お前の私的な感情で皇女の未来を塞ぐでない。小僧は置いて皇女だけを連れて行け」


 

 皇帝の近衛兵がミミを乱暴かつ丁重に馬車に乗せようとする。僕はミミが兄だった僕に向かって手を伸ばしている姿を黙って傍観していた。事情も知らずに連れていかれそうになっているミミがあまりにも可哀そうで淋しくて、さっと目を逸らした。


「遅いですわ!お父様!」


 馬車から綺麗な装いの少女が一人飛び出してきた。身長はミミより少し大きく、同い年または一、二歳ほど年上のように見える。そして、あの子もまた紫の瞳を持っていた。一目でわかった。皇帝の娘なのだと。


 皇女は皇帝の裾を掴む。


「すぐに戻ると仰ったではないですか!このままでは今日のパーティーに遅刻しますよ!」

「わかったわかった。馬車に戻って三十秒数えていなさい。それまでに戻る」


 服に付いた埃を払うかのように皇女の手を無造作に払いのける。近衛兵は表情から察するに、傍から見れば皇女をこよなく愛す優しい父のように映っているようだが、僕には同じ人間とさえ思っていないように見えた。うっとりと顔を綻ばせてはいるが、全然目が笑っていない。心の底では皇女を娘として見ていないのだろう。


 腸が煮えくり返るほど腹が立った。拳をぎゅうっと握りしめた。たとえミミをあんな皇帝の住処に送ったとしても、歓迎はされないだろうし、幸せにもたどり着けないだろう。ミミは死ぬまでずっとずっと幸せに暮らしているべきだ。僕の大切な妹にはその権利がある。僕が時間を稼ごう。ミミがこんな皇帝から十分逃げられるほどの時間を。


 馬車に乗り込もうとしている皇帝を引き留める。


「お待ちください。一ヶ月だけでいいので、僕に猶予をください。最後に妹と別れる決心をつけたいのです」


 皇帝はしばらく考えた後、ステップから足を遠ざけた。そして、足を引っかけて僕を転ばせた。当たり所が悪かったのか、立ち上がれない。痛い。うめき声を上げた。


 屈んだ皇帝は僕にしか聞こえないような小さな声で言った。


「私は泥棒猫のお前の面子を最低限保ってやるためにお前を見逃しているのだ。牢屋に入れられ、きつい拷問を受け、その姿を異父妹に見せるような恥を晒したくはないだろう?これだから下賤な血が混じった人語を話す猿が大嫌いなんだ」


 皇帝としてあるまじき言葉を好きなだけ並べて満足したのか、皇帝は皇女とミミを連れて皇宮に行った。


 涙がぼたぼた流れて止まらない。全身が痛くて全く動けない。それが治まってきたのは大体三時間後の夕暮れ時だった。


 一人で貧民窟の住処に戻ると、そこではごろつきたちがいつもより激しい喧嘩を繰り広げていた。ぜえぜえ息も切れているし、なにより汗臭い。本能で鼻を摘むひどい匂いだ。僕の家もぺしゃんこに潰れている。殴り合いの最中に崩れたのだろう。

 

 巻き込まれないように急いで貧民窟の外に出た。妹を失い、居場所を失い、思い出詰まった拠点すらも失った。…そういえば、誕生日プレゼント、盗れなかったな。


 ポケットから昼間盗んだパンを取り出した。ミミが喜ぶと思って、サプライズで渡す予定だったチョコチップパン。チョコレイトが溶けて手にべたついた。


 大きな口で頬張り、ペッと地面に吐き捨てた。

最後までお読みくださりありがとうございます。続きはいずれ出します。

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