※却下:そのバッドエンド、私は認めません
ボリス様の背後で、空間を埋め尽くす赤いノイズが、暴力的な『朱』となって私を飲み込もうと迫る。それは魔力というより、有無を言わさぬ「世界の強制力」。リリアーヌ・ヴァン・アストレイドという存在を、この物語から強引に消去しようとする理不尽なペン先。
「リリアーヌ。君の存在は、今のプロットには『不要な一筆』だ」
感情を欠いたボリス様の声が響く。あまりの圧力に、黄金の万年筆を握る指が震え、膝が折れそうになる。
(……ああ、そうですわね。私のような「校閲者」は、書き手にとってはさぞ邪魔な存在でしょう)
けれど、私は逃げない。まだ深い眠りの中にいるカイル様がいる。鏡面世界で、あんなに不器用に、けれど真っ直ぐに私を求めてくれた、あの震える魂を……。今度は、現実で私が守る番なのだ。
「全自動洗濯機の『スカスカな設定』から、カイル様の『心の誤植』まで……。この世界、少しばかり『乱筆』が過ぎるようですわね」
私は、歯を食いしばって、ボリス様との距離を一気に詰めた。精霊様の黄金の輝きを、溢れんばかりにペン先に込める。
「――却下ですわ!」
空中に叩きつけるように描いたのは、巨大な黄金の拒絶。私を消去しようとする赤いノイズと、私の黄金の執念が激突し、室内に凄まじい衝撃波が吹き荒れる。
「……っ、あああああッ!」
力負けする、と思ったその瞬間。私の震える右手に、力強い、けれど少し冷たい手が重ねられた。
「リリアーヌ。……君のペンを折らせはしない。俺がすべて叩き斬ってやる」
響いたのは、紛れもないカイル様の声。瞳には虚ろさはなく、自らの罪を認め、それでも明日を書き込もうとする確かな光が宿っている。
「カイル、様……っ」
「……俺の人生(原稿)は、まだ真っ黒に汚れたままだ。……だが、君となら、もう一度最初から書き直せる気がするんだ」
重なった手から、信じられないほどの熱量が流れ込んでくる。二人の意志が黄金のインクとなって爆発し、ボリス様を操っていた赤い『記述の糸』を、文字通り焼き切った。
「な……ッ!?」
糸の切れた人形のように、ボリス様がその場に崩れ落ちる。同時に、部屋を支配していた赤いノイズは、あえなく霧散していった。
静寂が戻った室内で、残されたのは、醜くのたうち回るマリエラの絶叫だけ。
「嘘よ、認めないわ! 私が、私が選ばれるはずだったのに……どうして、どうしてえぇぇッ!」
彼女が縋り付いていた「偽りの聖女」という原稿は、今や見る影もなく真っ黒に汚れ、彼女自身の存在をシュレッダーにかけていく。
私はカイル様に支えられながら、ゆっくりと彼女を見下ろした。
「マリエラ様。貴女の物語は、読者(世界)に拒絶されましたわ。……これ以上、誰かの人生に書き損じを増やすのはおやめなさい」
私は冷ややかに、最後の一筆を突きつける。
「貴女という原稿は、ここで『廃棄』です。さようなら」
嵐の過ぎ去った窓外には、夜明けの光が差し込み始めていた。
「……カイル様」
「ああ。……俺の人生は、まだ書き損じだらけだ。これから、どれほどの赤が入るか分からない」
「ええ。ですから――」
私は彼の隣に並び、朝日を見据えた。
「私が一生をかけて、貴方の隣で校閲を続けますわ。……これで一旦、『校了』です」
廊下からは、異変を察知した衛兵たちの騒がしい足音が近づいてくる。けれど、繋いだ手の温もりがある限り、どんな『追記』も恐れることはない。
不格好な真実を抱えたまま、私たちの新しい物語が、ここから始まる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。これにて第4章【四校】、完結となります。
洗濯機の詐欺から始まり、カイル様の魂の救済まで。一見バラバラに見えますが、すべてリリアーヌ様という校閲者の手によって、あるべき形へと正されました。
共に歩むことを決めたカイル様とリリアーヌ様。
ですが、ボリス様を操っていた「赤いノイズ」の正体は、まだ謎に包まれたままです。




