※再校:書き損じの俺を、君はまだ読み続けてくれますか?
黄金の洗浄が終わり、鏡面世界を支配していた偽りの極光が消え去った。後に残ったのは、剥き出しの白大理石。その冷たい床に、カイル様は崩れ落ちるように膝を突いた。
マリエラの設定した「完璧な王子」という呪縛が解け、彼の背中にのしかかったのは、耐え難いほどの沈黙。
「……ああ、そうだ。俺は、ずっと……」
カイル様が、震える指先で自分の額を覆う。リリアーヌが、そっと彼に近づいた。彼女の足音だけが、静まりかえった聖堂に高く響く。けれど、カイル様はその手を拒むように、深く、深く頭を垂れた。
「来ないでくれ、リリアーヌ。……君の清らかな黄金のインクで、俺を洗わないでほしい」
その声は、かつての朗々としたものではなく、ひび割れた古紙のように掠れていた。カイル様の瞳には、今、リリアーヌの力によって可視化された「自分の醜い履歴」が映し出されている。
【※履歴:厳しい現実を避け、安易な承認(嘘)に身を委ねた】
【※判定:己の意思による、愛の放棄】
「俺は……操られていたわけじゃない。いや、そう思い込みたかっただけなんだ。マリエラが囁く、甘く、責任のない幸福。君と共に歩むために必要な『痛み』から、……情けなくも、逃げ出したんだ」
カイル様の頬を、一筋の雫が伝い、大理石に落ちて弾けた。それは魔術の解呪などではない。彼自身の心が流した、本物の「悔恨」という名のインク。
「マリエラを、悪魔だと呼ぶことは簡単だ。……けれど、その悪魔を招き入れたのは、俺の心の『余白』だった。君を……君との美しい日々を、ただの『ノイズ』だと切り捨てたのは、俺自身なんだ、リリアーヌ!」
カイル様は、床に転がっていた黒い羽ペン――マリエラの残した「偽造の道具」を拾い上げると、あろうことか、それを自らの胸、設定の核心部へと突き立てた。
鏡面世界が激しく軋む。彼は叫びを噛み殺しながら、自らの意志で、自らの人生に「赤入れ」をしていく。
【※修正:俺は被害者ではない。君を裏切ることを選んだ『加害者』だ】
自らの誇りを、「完璧さ」を、その手で無残に切り裂く。
それは、リリアーヌに許されるためではなく、己が歩むべき「物語」の誠実さを取り戻すための、あまりに不器用で、壮絶な魂の添削。
「……リリアーヌ。今の俺には……誇れるプロットも、美しい装飾も残っていない。あるのは、この無様な『修正痕』だらけの魂だけだ」
カイル様は、血を流すような瞳でリリアーヌを見上げた。拒絶されることを、何よりも恐れながら。それでも、もう二度と「読み手のいない自分」には戻りたくないと願う、一人の男の顔をして。
「……こんな、書き損じだらけの俺を……君は、まだ読み続けてくれるのか?」
リリアーヌは、黄金の万年筆を静かに閉じ、彼を見下ろした。そして、ひび割れたその頬に、冷たくも柔らかな指先を添える。
「……ええ。私、完璧な名作よりも……傷だらけで、読み解くのが困難な『悪筆な原稿』ほど、愛おしくて堪らなくなりますの」
リリアーヌは微笑み、カイル様を抱きしめた。鏡面世界の瓦礫の中で、二人の影は一つの「正解」を描くように、重なり合った。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
カイル様が「俺」を取り戻すために選んだのは、許しを請うことではなく、己の弱さを認め、その罪を「設定の核心」に刻みつけるという、あまりに痛切な自己添削でした。
「操られていただけの被害者」という安易な物語に逃げず、自分を「加害者」であると断じた彼の姿に、校閲者としてのリリアーヌ様は何を見たのか。
完璧な名作よりも、傷だらけの悪筆な原稿こそが愛おしい――。
そのリリアーヌ様の言葉は、本作がずっと描き続けてきた「物語」というものの定義を、一つの「正解」へと導いた気がします。どんなに汚れてしまった人生でも、読み続けてくれる人がいる限り、それはまだ「完結」ではないのだと。
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