※深層心理:鏡の迷宮に眠る、貴方の『本当の筆跡』を求めて
万年筆の先が鏡面を貫いた瞬間、世界は耳をつんざくような硬質な音を立てて砕け散った。舞い散る銀色の破片を抜けた先に広がっていたのは、王宮の喧騒とは無縁の、静まり返った「心の聖域」。
天井の見えない大聖堂。白大理石の床は鏡のように磨き上げられ、壁一面を埋め尽くすステンドグラスからは、カイル様との思い出の色を帯びた、淡い極光が降り注いでいた。
(……ああ。ここは、カイル様の心。私たちが積み重ねてきた『物語』そのものですのね)
だが、その美しい聖域は、何者かの手によって無惨に汚されていた。空中に浮かぶ無数の記憶の結晶。その多くが、どろりとした黒いインクで塗り潰され、代わりに見知らぬ女――聖女マリエラとの、甘ったるい『捏造された挿絵』が強制的に上書きされている。
『ふふ……。リリアーヌ。わざわざ彼に嫌われに、ここまで来たのかしら?』
聖域の奥。カイル様の隣に座り、その髪を愛おしそうに撫でるマリエラが、残酷な笑みを浮かべた。彼女の指先に握られているのは、闇に染まった羽ペン。
『見て。彼の中には、もう貴女の書く文字なんて一文字も残っていない。今の彼を動かすのは、私が綴る、愛の旋律だけなのよ』
マリエラの言葉に呼応するように、傍らにいるカイル様が、虚ろな瞳をこちらに向けた。かつて私を「世界で唯一の理解者だ」と呼んだ、あの熱を帯びた瞳。それが今は、見知らぬ泥棒を見るかのように冷たく、ひび割れている。
「リリアーヌ……? ああ、あの『汚れ』を指摘し続ける、無情な校閲者か。……消えてくれ。俺の美しい物語に、君はもう必要ないんだ」
その言葉は、どんな魔法の刃よりも鋭く、私の胸を抉った。指先が震え、黄金の万年筆が零れ落ちそうになる。けれど――。
(……いいえ。騙されませんわ。カイル様は、そんな『ありきたりな台詞』、口になさる方ではありません)
震える手で万年筆を握り直した。私には見えている。彼の背後、ステンドグラスの隅で、今にも消え入りそうに震えている、たった一つの『未修正の記憶』が。
「マリエラ様。……貴女の書くお話は、あまりに品性が欠けていて、読むに耐えませんわ」
私は優雅に、だが確実に、大理石の床へとペン先を突き立てた。
「――【共著奥義:※起源回帰】!!」
直後、床から黄金のインクが溢れ出し、塗り潰された記憶の結晶を次々と洗浄していく。汚れが剥がれ落ち、その下から改ざんされることなく眠っていた純白の記憶――幼い頃の彼が、慣れない手つきで私に贈った、押し花の栞の記憶が鮮やかに蘇る。
「カイル様。思い出して。貴方の物語を、誰にも、貴方自身にさえも汚させはしません。……私が、命を懸けて『完結』まで校了して差し上げますわ!」
聖域を揺らす、リリアーヌの怒号にも似た愛の告白。鏡の破片が歌うように輝きを増し、偽りのヒロイン・マリエラの白いドレスが、リリアーヌの放つ「赤入れ」の閃光に、無残に切り裂かれていく――。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
カイル様の心の中にまで踏み込んだリリアーヌ様。そこで目にしたのは、美しくも残酷に汚された「二人の歩み」でした。カイル様から放たれた氷のような拒絶の言葉。ですが、校閲者としての確かな眼と、愛する者としての直感は、その『ありきたりな台詞』の裏側に隠された、彼自身の震える筆跡を見逃しませんでした。
偽りのヒロイン・マリエラの虚飾を剥ぎ取った先に、一体どのような「カイル様の真意」が残されているのか。
次回も、どうぞお楽しみに!




