第1話:妻の願いを叶える、簡単チャーハンと塩ラーメン
私たちが住む街は、夕方になると急に冷え込むことが多い。
昨晩、妻がYouTubeで中華料理店の動画を眺めながら、「寒いし、チャーハンとラーメンのセットっていいな」と漏らしたのを、私は聞き逃さなかった。
今日の献立は、妻のその一言を叶えるための「片手でも失敗知らず」の二品。
すなわち、簡単チャーハンと簡単塩ラーメンである。
通常、チャーハンは鍋振りが肝心だが、数年前に脳幹梗塞を患い、右半身麻痺の私には重い中華鍋を振ることは不可能だ。
そこで私が使うのが、フッ素樹脂加工の軽いフライパンである。
まずは具材の準備から。
チャーシューやネギは、頼りの相棒であるキッチンバサミでチョキチョキと細かく切っていく。
この作業は時間がかかるが、座ってできるため安全だ。
切った具材はそのままフライパンに入れておいて構わない。
IH調理台にフライパンをかけ、油を入れ温める。
IHはガスに比べて火力が弱いのが玉に瑕だが、私が病気をしてからは、躓きなどの危険を避けるため全て電化しているので、これは仕方のないことだ。
温まってきたら、片手で卵を二個割り入れ、黄身を潰しながら木べらで手早く混ぜていく。
IHはガスのように常に鍋を振れないため、二度ほどフライパンを振って熱を回し、すぐに台に戻して加熱を繰り返す。
そして、具材に半ば火が通るまでこれを続ける。
賛否はあるだろうが、私は「化学調味料」肯定派だ。
「ハイミー」を小さじ一杯投入する。
昔から使っていて、「味の素」より美味しいと感じている。
母曰く、「そもそも、旨味を取りたくて出汁を引いているのだから、最初から旨味だけを効率よく取れる化学調味料を使えば良い」と。
その母の教え通り、コツは卵にあまり火が通らないうちに手早く味付けること。
味付けは鶏がらスープの素と塩コショウ、醤油を少量加える。
北海道で言う「しょっぱく(塩辛く)」なるくらい、しっかりと味を効かせる。
醤油は香ばしさを出すため、フライパンの縁に垂らしてから全体に絡め、最後に鍋肌に沿ってごま油をひと回し。
音と香りが部屋に広がり、「夕食を作っている」という実感と、料理好きだった頃の喜びを蘇らせてくれる。
さて、読者の方はここまでの手順で、ある「違和感」に気づかれただろうか。
そう、ここまで肝心のご飯が、まだフライパンに入っていないのだ。
以前、何度かチャーハンに挑戦したのだが、うまく混ざらない上に、ご飯を撒き散らかしてしまい上手にできなかった。
そこで、私はかつて料理上手だったにも関わらず「炊き込みご飯」だけは下手だった、我がお袋の工夫を思い出したのだ。
母の実家では、昔から葬式や法事では炊き込みご飯がつきものだったが、母はいつもしくじっては自分の姉に怒られていたという。そこで彼女が考えたのが、「味を濃く付けた具材を、後でご飯に混ぜりゃいいんじゃない?」という、炊き込んですらいない「炊き込みご飯」だった。
ひじき、ゴボウ、人参、レンコン、こんにゃくなどを「しょっぱく」なるくらい甘辛く炒め、固めのご飯に混ぜるというものだ。法事以外では鶏モモ肉を入れると更にコクが出て美味い。
それを真似て作ったのが、私の「ご飯を炒めないチャーハン」だ。
先ほど炒めていた具材を、炊飯器のご飯が入っているジャーに油ごと入れる。手早く、切るように満遍なく混ぜたら、「ご飯を炒めないチャーハン」の出来上がりだ。混ぜる際に味見で塩やコショウを足せば、微調整も効く。
思いのほかご飯が油でちゃんとコーティングされていて美味い。パラパラ系ではなくしっとり系としてなら十分美味いのだ。しかも、そのままジャーで保温が効くから、あとは器に盛るだけ。
二口しかないIHコンロで、チャーハンとラーメンを同時に作ると、忙しい上にどちらかが冷めてしまう。しかし、この方法なら温かく食べてもらえるのだ。
私は、次にラーメンの仕込みをする。
具材はチャーハンで余ったチャーシューとネギ、それに市販のメンマで済ませる。スープ用にお湯を沸かし、水は二人で800cc、少したっぷり目だ。スープは鶏がらスープの素。薄めに作ったら、再びハイミーを小さじ二杯。そして塩とラードを入れて味を見る。
時計を見ると、妻が帰宅する十分前。そろそろ麺用のお湯を沸かしておこう。あとは麺をゆでてスープに入れたら具材を乗せるだけで、難しいことは何もないので妻を待つだけだ。
脳梗塞で倒れる前の、週末に凝った料理を振る舞っていた頃を思い出す。あの頃は自分のため、今は妻のため。料理をする喜びは、形を変えて、私の中にずっと残っている。
ガチャ。
「ただいまー! ああ、今日もいい匂い!」
玄関から聞こえる妻の声。パートで疲れて帰ってきた妻が、一番に発するのはいつもこの言葉だ。
「今日は簡単チャーハンと塩ラーメンだよ。冷えた体にぴったりだろ?」
妻はニコニコしながら手を洗い、食卓につく。そして、私が苦心して作ったチャーハンを一口。
「うん! 美味しい! ちゃんとパラパラしてるよ、すごいね。ラーメンも温まるー」
この瞬間が、私にとっての最高の報酬だ。決して褒めてほしいわけではない。
妻のこの満面の笑顔こそが、私がキッチンバサミを握り、片手でフライパンを押さえつけ、毎日工夫を続ける理由だ。麻痺という不自由さを乗り越えた先に、この温かい食卓がある。
料理嫌いの妻は、私の料理を食べる時だけは、世界一の美食家になる。




