第8話 1日の締めなのです
エレメンは、いくつかの区画に分かれているのです。
それは以前にも説明しましたが、そのどこにも属さない場所があるのです。
今いる未開発区画が、まさにそこなのです。
未開発区画と呼ばれていますが、厳密に言えば1度は開発されたのです。
ですが、過去の大災害によって、崩壊してしまったのだとか。
それ以降は手を付けられず、放置されているのです。
だからこそ、都合が良いのですが。
深夜の都市郊外。
荒れ果てた土地で、わたしとグラは向かい合っていました。
こういったことは、今日だけでも何度もありましたけど、雰囲気が全く違うのです。
物理的に空気が重くなったかのように錯覚し、冷や汗が止まらないのです。
いつもは優しく見守ってくれているグラが、今だけは冷然とした眼差しを送って来ました。
正直、怖くて仕方ないのです。
しかし、逃げる訳には行かないのですよ。
「始めるのです」
わたしが告げ――白い呼気が流れました。
一瞬にしてグラが精霊力を高め、知らぬ間に【氷武】を発動していたのです。
伸ばした右腕に氷の刃が生成され、月明りを美しく反射していました。
綺麗なのです。
そして、速過ぎるのです……。
三拍を数える時間すらありませんでした。
これだけでも圧倒的実力者と思い知らされましたが、負けじとわたしも【氷武】を発動します。
グラと鏡合わせのように装備した氷剣を、ゆらりと構えました。
対するグラは自然体で立っていますけど、全く隙は見当たりません。
頬を伝った汗が顎から地面に落ちて、染みを作るのです。
そして――
「1、2、3……来い」
「はいなのです」
「被害ゼロ」
「優先なのです」
戦端が開かれました。
わたしたちは、氷屋なのです。
ダンジョンに潜る冒険者でもなければ、闘技場で賞金を稼ぐ闘士でもないのです。
それでも、何があっても乗り越えられるように、訓練は欠かさないのですよ。
全速力で駆け出したわたしは、瞬く間に射程内に入るのです。
躊躇いなく氷剣を引き絞り、グラの顔に突き出しました。
自分で言うのも何ですが、普通は反応すら出来ないはずなのです。
ところが、彼は普通ではないのです。
「見事」
軽く首を傾げただけで、躱されました。
更に彼は体を横に回転させ、氷剣を真一文字に振り切ろうとしたのです。
させないのです。
グラと自分の間に、【氷壁】が聳え立ちました。
これで、少しは時間が稼げ――
「浅慮」
強靭な耐久力を誇るはずの【氷壁】が、バターのように斬り裂かれたのです。
そのまま迫り来る刃を前に、わたしは後退せざるを得ません。
相変わらず、馬鹿げた切れ味なのです。
そこにグラは踏み込んで来ましたが、わたしとて逃げてばかりではないのですよ。
激しく動きながらも精確に精霊力を練り上げて、力ある言葉を紡ぎました。
「【氷槍陣】」
無詠唱ではなく、魔術名が必要となる簡易詠唱。
中級氷術、【氷槍陣】。
瞬間、グラの足元から、無数の氷柱が突き上がりました。
ですが、彼は大きくサイドステップするだけで、あっさりと範囲から逃れたのです。
多少足止めは出来ましたが、戦果はないに等しいのです。
念の為に言っておきますが、わたしの【氷槍陣】を凌ぐことなど、並の使い手には不可能なのですよ。
威力も範囲も、誰にも負けないのです。
しかし、いくら嘆いても現実は変わりません。
今出来ることを、頑張るだけなのです。
再び精霊力を高めたわたしは、次なる魔術を発動しました。
「【飛氷武】」
【氷槍陣】と同じ、中級氷術なのです。
わたしの周囲に、10を超える氷の武器が生成されました。
剣に始まり、槍や斧、ハンマーなど。
作れる武器の精度や強さは、術者の力量に依存するのです。
迎撃態勢を整えたわたしは、再び攻め入って来たグラに向かって、氷の武器をけし掛けました。
「行くのです」
前後左右から、グラを攻撃するのです。
いくら彼でも、これだけ手数があれば――というのは、甘い考えなのです。
超速で氷剣を振り乱したグラは、ほとんどの武器を斬り刻み、残りは素手で粉砕しました。
ここでも弁明させて欲しいのですが、わたしの【飛氷武】はそれほど柔ではないのです。
グラが特別なだけなのです。
逆に言えば、こうなることは想定内なのです。
グラが【飛氷武】を処理している隙に、懐に入り込みました。
至近距離で、彼と目が合ったのです。
思わず頬が熱を帯びましたが、そのようなことで動きが鈍ったりはしません。
「はッ!」
右腕の氷剣を、逆袈裟に斬り上げました。
それに対してグラは軽くバックステップを踏み、紙一重で避けるのです。
更に踏み込んだわたしは、今度は袈裟斬りに氷剣を振り下ろしました。
斬線が往復するような感じなのです。
中々に避け難いはずなのですが、グラは少し身を反らすだけで回避しようとして――
「ここなのです!」
斬り掛かりながら練っていた精霊力を氷剣に注ぎ、剣身を伸ばしました。
それによって攻撃範囲が変わり、彼の目測を狂わせたのです。
グラの正確無比な距離感が、あだとなったのです。
ほんの微かに、グラの片眉が跳ねました。
そうして、わたしの氷剣がグラの体を斜めに裂こうとしましたが、まだ彼に届くことはありません。
「賞賛」
目視出来ない速度で彼の腕が翻り――氷剣が断たれました。
メインウェポンを失ったわたしに、出来ることはありません。
諦めそうになりましたが、グラの瞳はこの先を求めているのです。
であれば、わたしはそれに応えなければなりません。
鋭く息を吐いたわたしは、彼との間に【氷壁】を生成しました。
これでグラの攻撃が防げないことは、証明済み。
もっとも、今回の目的はそれではないのです。
【氷壁】に足を掛けたわたしは、そこを足場に後方宙返りしました。
それと同時に、膨大な精霊力を練り上げたのです。
極限まで集中したわたしの世界から、音が消えました――半拍。
グラが接近していましたが、織り込み済みなのですよ。
溜めた精霊力で、3つの魔術を発動しました。
「【氷槍陣】」
まずは、数秒を稼ぐ足止め。
グラに跳躍を強いることで、次の一手を打つ時間を確保したのです。
「【飛氷武】」
宙に漂う、多数の武器。
同時に【氷武】を再発動し、氷剣を腕に装着しました。
このときには、グラも立ち直っていたのです。
ですが……計算通りなのです。
グラを迎え撃つのではなく、自分から前に出ました。
【飛氷武】で攻めつつ、氷剣をグラの胴に突き込んだのです。
ほとんどの武器が斬り捨てられ、殴り砕かれ、わたしの刺突も躱されたのです。
まったく……凄過ぎるのです。
薄っすらと笑みを浮かべてしまいましたが、まだ終わっていません。
わたしとすれ違うようにして、背後を取るグラ。
そこに、残った最後の【飛氷武】である巨大ハンマーが、高速で飛来しました。
しかし、当然のように察知していた彼は、裏拳で粉砕しようとして――通過。
グラの横を通り過ぎて、彼方へと飛んで行くかに思われましたが――
「喰らうのです!」
途中で掴み取ったわたしが、殴り掛かったのです。
無理やりだったせいで手が痛いですが、構っていられません。
刹那の間だけ反応が遅れたグラの顔に、ハンマーは吸い込まれましたが、パシッと。
まるでオモチャのような気軽さで、受け止められたのです。
ここまでですね……。
盛大に嘆息したわたしは、無念な気持ちを胸に呟きました。
「参りましたなのです」
「訓練、終了」
宣言とともにグラは氷剣を音もなく消し去り、わたしも魔術を解除しました。
その際、グラは何も残さなかったのに対して、わたしはどうしても水が滴るのです。
これだけでも、氷術の練度の違いが表れているのですよ。
落ち込みそうになりましたが、グラの優しい声が耳朶を打ちました。
「強くなったな、ネージュ。 特に途中の、【氷武】の剣身を伸ばす発想は素晴らしい」
わたしの乱れた髪をとかし、ずれた六花の髪飾りを直してくれました。
顔には無表情が張り付いていますが、満足そうにしているのがわかったのです。
それでもわたしは納得出来ず、少しぶっきらぼうに言い返してしまいました。
「有難うなのです……」
「何か気になるのか?」
「気になると言いますか……結局、グラには何1つ通用しないのです。 いつまで経っても、これではいけないのです」
正直な気持ちを明かしたわたしは、涙を堪えるのに必死でした。
情けないのです。
俯いて唇を噛み締めていると、グラは優しく頭を撫でながら、言い聞かせるように口を開いたのです。
「ネージュ、我と比べる必要はない。 キミはキミらしく、地に足を着けて成長して行って欲しい」
「グラ……」
「限られた条件下で、我とここまで戦える者は少ない。 ネージュ、キミは間違いなく強い。 それを忘れるな」
「……はいなのです」
「良い子だ」
「う、うるさいのです」
子ども扱いされたわたしは顔を背けて、氷ハンマーでグラの胸元をコツン。
彼の声は、決して温かくはなかったですが、不思議と心がポカポカしたのです。
気付けば微笑を漏らし、胸に手を当てました。
トクン、トクンと、心臓の音が聞こえるのです。
チラリとグラを見ると、こちらを凝視していました。
な、何なのですか?
疑問に思ったわたしが密かに焦っていると、グラがわたしの手を取ったのです。
き、急にいったい何を!?
目を丸くしたわたしは動転して、ハンマーを消し去ってしまいましたが、彼は淡々と言い放ちました。
「無茶をしたな」
「え? あ……そう言うことなのですね……」
「ネージュ?」
「な、何でもないのです。 大丈夫なのですよ、ちょっとした擦り傷なのです」
「否定。 それでは、セレーナと変わらない」
「う……」
「帰って手当てするぞ」
「わかったのです……」
自分の発言を引き合いに出され、小さく呻きました。
すると、グラの氷膜がわたしの手のひらを覆い、痛みが和らいだのです。
何度も経験がありますが、本当に不思議なのです。
思わず応急処置してもらった手を眺めていましたが、あることを思い出しました。
いそいそと懐からカードを取り出し、満面の笑みでグラに差し出したのです。
それを受け取った彼は小さく頷き、指でツンと。
すると、カードの枠に六花が咲きました。
これはわたし専用のポイントカードで、訓練でグラに褒められた日に、押してもらえるのです。
10個溜まったら、1つお願いを聞いてもらえるのです。
訓練は必須ですけど、これがあることでモチベーションが上がるのですよ。
1つ増えて、これで3つになりました。
微笑んだわたしはポイントカードを仕舞い、グラに向かって手を差し出したのです。
勿論、怪我していない方なのです。
対する彼は何も言わずにわたしの手を取り、指を絡めました。
訓練の帰りは、いつもこうなのです。
誰にも見られる心配がないので、安心なのです。
……べ、別にやましいことなど、ないのですけれど。
頬が赤くなって、縮こまったわたしを不思議そうに見つめつつ、グラは歩み出しました。
完璧な制御能力を誇るグラの足元には何もなく、わたしの足元で砕けた霜は静かに消えたのです。
こうして今度こそ、氷屋の1日は終わりなのです。
ですが今日を境に、わたしたちの日常は崩れてしまうのでした。
ネージュのメモ帳
【氷武】の応用=◎(グラに褒められたのです)
【飛氷武】の応用=△(手を怪我したのです)
グラポイント=2個→3個
今日の被害ゼロ=実績◎
次回目的地=自宅
燭台の火が怪しく照らす、石造りの部屋。
さして広くもなく、あるのは円卓と3脚の椅子。
そして壁には、大きな旗。
描かれているのは、渦の紋様。
椅子に腰掛けた3人の人物は、フードを深く被っている為に、正体が判然としない。
だが、声を聞けば性別はわかる。
「餌の食い付きはどうだ?」
最初に声を発したのは、男性のもの。
年老いているとまでは言わないが、若くもなさそうだ。
「まだ、目立った動きはありません。 ですが、そろそろ動き出すと思われます」
続いて聞こえたのは、女性の声。
こちらは、それなりに若く聞こえた。
「まぁ、新ダンジョンって警戒されがちですからね。 つっても、冒険者なら放っておかないっしょ」
最後の1人は、かなり軽薄な印象の男性。
ただし、漂って来る気配はただならぬものがある。
2人から報告を受けた最初の男性は、一拍置いてから声を発した。
「引き続き頼む。 人工精霊実験は、今が大事だからな。 協力者との連携も忘れるな」
「かしこまりました」
「りょーかいです」
人工精霊実験。
不穏な空気しかしないが、現時点で詳細は不明。
同時に席を立った3人は、右手を左胸に当てて言葉を連ねた。
『精霊の意を我が身に』
それを最後に、彼らは行動を開始した。
ランプの火が消され、室内に静寂が満ちる。
エレメンの影が、蠢き始めた。
次回「朝の襲撃者、歩く広告塔なのです」、明日の21:00に投稿します。
よろしければ、★評価とブックマークで応援して頂けると、励みになります。