第7話 幟を外して、ただいまなのです
配達を終えてから洗濯物を回収したわたしとグラは、セレーナさんを連れて家に帰って来ました。
わたしたちの家は居住区でも外れの方にあるので、彼女は初めて見たのか、物珍しそうにしているのです。
さて、それではいつもの挨拶なのです。
グラとアイコンタクトを取ったわたしは、隣り合って玄関に向き直りました。
背後でセレーナさんが、不思議がっている気配がしましたが、今は放っておくのです。
そして、グラと同時に一礼し、口を開いたのです。
『1、2、3……帰宅』
これを言わないと、お仕事が終わった気がしないのです。
再びグラと視線を交換したわたしは、微笑を浮かべました。
すると、セレーナさんがクスリと笑ったのです。
何なのでしょう?
疑問に思って振り向くと、彼女は心底楽しそうに言葉を紡ぎました。
「ホント、貴女たち面白いわね」
「……それは、褒めているのですか?」
「うーん。 褒めてるって訳じゃないけど、悪い意味じゃないわよ」
「良くわからないのです。 それより、サッサと家に入るのです」
「はいはい、お邪魔します」
要領を得ないことをのたまったセレーナさんを促して、わたしたちは家に入りました。
中は当然のように真っ暗ですが、グラがすぐにランプを点けてくれたのです。
うちに電気などという、贅沢なものはないのですよ。
グラの背中から空になった籠を下ろして、幟を取り外すのです。
今日も1日、お世話になったのです。
愛おしそうに表面を撫でると、ひんやりとした手触りが返って来ました。
大事に玄関に立て掛けたわたしは、籠を所定の場所に運びながら告げたのです。
「そこに座っていて下さいなのです」
「あ、うん」
玄関に佇んだままだったセレーナさんに、ダイニングテーブルの椅子を勧めました。
その間にグラは、棚から薬箱を取り出しているのです。
流石は、相棒なのです。
籠を片付けたわたしは、グラから薬箱を受け取って、セレーナさんの隣に腰掛けました。
椅子の角度を変えて向かい合い、消毒液と絆創膏を取り出すのです。
これで充分なのです。
「腕を出すのです」
「うん。 お願いね」
大人しく言う通りにして、微笑んだセレーナさん。
それを確認したわたしは、グラに目配せしたのです。
すると、応急処置として使っていた氷膜が輝きながら溶けて、あとには水滴すら残っていません。
本当に、傷を保護する為だけに使われていたのです。
やはり、グラは凄いのです。
まぁ、当たり前と言えば当たり前なのですが。
そう思いながらわたしは、傷口に消毒液を吹き掛けて、清潔な布でチョンチョンと馴染ませて行きました。
セレーナさんは微動だにしておらず、全く平気そうなのです。
ですがそれは、痛みに耐えられているというだけで、痛くないはずがないのです。
彼女が本当は、何かを抱えているように感じたわたしですが……詮索禁物なのです。
こちらも、探られたら困ることもあるのです。
そうして消毒を終えたわたしは、絆創膏をペタリと貼りました。
我ながら完璧なのです。
内心で満足していると、セレーナさんはしげしげと絆創膏を眺めてから、お礼を言って来ました。
「有難う、助かったわ。 放っておいても大丈夫だったと思うけど、治療するに越したことはないから」
「そう思うなら、次からはきちんと手当てするのです。 被害ゼロ、優先なのです。 と言いますか、貴女ほどの水術師なら、回復魔法を使えそうなのです」
「まぁ、ね。 でもほら、回復魔法って精霊力の消費が多いから。 なるべく温存するようにしてるの。 そうしないと、本当に必要なときに足りなくなるかもしれないから。 ……順序、間違えたくないの」
また出ましたね、順序。
セレーナさんの顔には笑みが浮かんでいますが、今にも泣きそうに見えるのは気のせいでしょうか?
彼女が何を思っているのか、わたしにはわかりません。
それでも、敢えて探るつもりはなかったのですが――
「何の順序だ?」
静観を決め込んでいたグラが、突然問い掛けたのです。
珍しいのです。
やっぱり彼は、セレーナさんに特別な感情を……。
い、いえ、そのようなはずはないのです。
グラに限って、そのようなことは……。
そう思いつつ、不安な気持ちは消えてくれません。
モヤモヤとしたまま様子を窺っていると、セレーナさんが俯き気味に、ポツリポツリと声を落としました。
「……大事なものの順序よ」
「大事なもの?」
「そうよ、相棒くん。 1人の人間が守れるものには、限界があるの。 全てを救おうだなんて、傲慢だわ」
「肯定。 我もそう思う」
「でしょ? だから、順序が大事なの。 誰から、何から、どこから守るか。 わたしは、それを間違えたくないのよ」
膝の上で両手をギュッと握り締めて、声を絞り出したセレーナさん。
まるで、自分に言い聞かせているようなのです。
対するわたしは、何も言うことが出来ませんでした。
彼女の言っていることはわかりましたが、いまいちピンと来ないのが正直な感想なのです。
しかし、グラは違うようでした。
「理解。 ただし、忘れてはならない」
「……何を?」
「1人の人間が守れるものには、限りがある。 だが、守る人間が増えれば、守れるものも増える。 キミが多くを守りたいと言うなら、1人で背負うべきではない」
「……だったら、貴方が手を貸してくれるの?」
「それとこれとは、話が違う。 我らは氷屋。 ネージュがそう主張する以上、我もその通りに動くまで。 ダンジョン攻略がしたいなら、ギルドにでも行くと良い」
「もう、そこまで言っておいて、酷いわね。 ……でも、覚えておくわ」
肩を竦めたセレーナさんが、苦笑を漏らしました。
完全に吹っ切れた訳ではないのでしょうが、少しばかり表情も明るく見えるのです。
グラがわたし以外の人に優しくするのは、あまり良い気分ではありませんが……今回は不問としましょう。
などと折り合いを付けていたわたしですが、不意にセレーナさんが真剣な顔で言い放ったのです。
「氷屋さんは、間違えないでね」
「……何をなのです?」
「順序よ。 何を守りたいのか、しっかり考えておきなさい。 失ってからじゃ、遅いんだから」
「……わかったのです」
「良い子ね。 よしよし」
「子ども扱いしないで下さいなのです」
「ふふ、ごめんなさい」
謝りながらも、セレーナさんはわたしの頭を撫で続けました。
不服に思って頬を膨らませましたが……悪い気はしなかったのです。
その後、しばしして満足したのか、立ち上がったセレーナさんは玄関に向かいました。
わたしとグラが見送っていると、彼女は笑顔で振り向いて声を発したのです。
「じゃあね、氷屋さん、相棒くん。 また、会いましょう」
それだけ言い残したセレーナさんは、颯爽と立ち去りました。
何と言いますか、掴みどころのない人でしたね。
ですが……悪い人ではないのでしょう。
玄関を見つめたままそう考えていると、歩み寄って来たグラがわたしの頭に手を伸ばしました。
そして、微妙にずれた六花の髪飾りを整え、端的に告げたのです。
「食事を用意する」
「あ……お願いするのです……」
グラの手が離れるのを、ほんの少しだけ名残惜しく感じたのです。
しかし、引き留めることはなく、静かに彼の背中を見送りました。
エプロンを身に付けたグラは、慣れた手付きで調理を始めているのです。
そのときわたしの頭には、セレーナさんの言葉がよぎっていました。
何を守りたいのか。
その答えは、難しくありません。
わたしとグラがいる、今の暮らし。
この幸せな時間が、いつまでも続けば良いのです。
ただ……あまりにも、当たり前に思い過ぎていたのかもしれませんね。
そう思ったわたしは、気付けば次のようなことを口走っていました。
「グラ」
「どうした?」
「マッサージでもしましょうか?」
「……何?」
「マッサージなのです。 疲れているのではないですか?」
「急にどうした? 我は疲れてなどいない」
「ですが、いつもグラにばかり負担を掛けているのです。 本当は、わたしも何かするべきなのでは……」
話していると、次第に落ち込んでしまいました。
思い返してみると、わたしはグラに頼ってばかりだったのです。
そのようなつもりはありませんでしたが、自覚したのです。
だからこそ、今後は改善しようと思ったのですが、グラの口から白い呼気が漏れ――半拍。
彼は調理の手を止めて、近付いて来るのです。
グラの顔が見れず、床に視線を落としてしまいました。
ですが、彼はわたしの正面に回り込んでしゃがみ込み、強引に目を合わせて来るのです。
感情が窺い知れない無表情で、てっきり怒られるかと思いましたが――頭を撫でられました。
セレーナさんのときとは違う、馴染み深いグラの手の感触。
何故か、目が潤んでしまいました。
しかし彼は手を動かし続け、噛んで含めるように言葉を連ねたのです。
「ネージュ、キミは何歳だ?」
「17歳なのです……」
「肯定。 その歳で1つの商いを、立派に成立させている。 これは、凄いことだ」
「グラ……」
「1人で頑張り過ぎる必要はない。 その為に、我はいる。 任せるところは任せろ」
「じゃあ……わたしがもっとしっかりしたら、グラはいなくなるのですか?」
「否定。 我がネージュの傍を離れることは、現時点ではない」
「そこは、絶対って言って欲しいのです」
「それが出来ないことは、キミが1番良く知っているだろう?」
「……はいなのです」
そう言ってわたしは、グラのコートを見つめました。
毎日着ているのに、新品同然に綺麗なのです。
わたしの視線に気付いたのか、グラは言葉を付け足しました。
「心配しなくても、大丈夫だ。 今のところ、問題は全くない」
「わかっているのです」
「良し。 では、もう少し待っていてくれ。 約束通り、キミの好物を作る」
「何なのです?」
「ピーマンの肉詰めだ」
「え。 そ、それは、わたしの苦手な……」
「冗談だ」
「……笑えないのです」
コツン、と。
グラにジト目を向けて、氷ハンマーで頭を小突きました。
それでも彼は微動だにせず、淡々と言葉を並べ立てたのです。
「当ててみろ」
「……鶏肉のシチューなのです」
「正解」
「楽しみなのです」
「期待してくれて良い」
その言葉を置き去りに、やる気を滾らせたグラがキッチンに戻りました。
表情からはわかり難いですが、はっきりと伝わって来るのです。
苦笑をこぼしたわたしは、胸に手を当てて瞳を閉じました。
セレーナさんの言っていたことは、大事なことなのでしょう。
ですが、わたしはわたしのやるべきことを、するだけなのです。
胸中で宣誓して、グラの料理を今か今かと待ちました。
そうして完成したシチューに飛び付いたわたしは、あまりの熱さに悲鳴を上げ、グラに呆れられましたが、すぐにフーフーしてもらったのです。
それからは美味しく食べて、この日は終わりを迎え……ません。
食事を終えて、少しだけ甘くしたコーヒーを飲み終えたわたしは、1つ息をついてから言いました。
「行くのです」
「承知」
グラも既に準備出来ており、揃って家を出ました。
完全に日は暮れており、あれだけ活気のあった街が静まり返っています。
頭の片隅でそのようなことを考えながら、わたしたちは足を踏み出しました。
ネージュのメモ帳
消毒液=微減
絆創膏=-1枚
わたしはわたしのやるべきことを
シチューは非常に美味でした
次回目的地=未開発区域
次回「1日の締めなのです」、明日の21:00に投稿します。
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