第6話 スタンプと応急処置、完売なのです
喫茶店を出たわたしたちは、大勢の人に出迎えられたのです。
そのほとんどが、セレーナさん目当て。
中には、わたしを見ている男性もいましたが。
更には――
「ねえねえ。 氷屋さんの相棒って無口だけど、実は超格好良いよね」
「わかる! いつも1歩下がってるからわかり難いけど、良く見るとメチャクチャ格好良い!」
などと言う、けしからん声も聞こえて来ました。
まったく、グラはそういうのとは違うのです。
彼は何と言いますか……あれなのです。
上手く言葉に出来ませんが、とにかく見た目がどうこうという存在ではないのです。
そう思いつつ、なんとなく不安になったわたしは、グラの袖……ではなく、幟をチョンと摘まみました。
彼は不思議そうにしていましたが、素知らぬふりをするのです。
そんなわたしたちを眺めていたセレーナさんは、苦笑しつつ口を開きました。
「時間を取らせて、ごめんなさいね。 でも、2人と話せて良かったわ」
「いえ。 こちらこそ、ご馳走してくれて有難うなのです。 それに、助けてくれて有難うなのです」
「感謝」
セレーナさんに対して、わたしとグラは丁寧に頭を下げました。
要望には応えられませんが、お礼を言うべきときはきちんと言うのです。
その仕草がおかしかったのか、セレーナさんは苦笑を深くしましたが、次の瞬間には事態が急変しました。
「何だとテメェ! 喧嘩売ってんのか!?」
「こっちのセリフだ! やっちまうぞコラ!」
近くの路地の方から、騒々しい叫びが響いて来たのです。
周囲の人々も驚いており、遠巻きに様子を窺っていました。
わたしもそれとなく見たところ、2人の男性が掴み合いを始めているのです。
大の大人が、こんなところで何をやっているのですか……。
呆れ果てましたが、それ以上の感想はありませんでした。
ところが、そうも言っていられなくなったのです。
「喰らいやがれッ! 【火流】ッ」
「うぉッ!?」
片方の男性が、初級炎術を放ったのです。
精霊力の練り方も発動工程も雑でしたが、威力だけは思いのほか高いのです。
装備したナックルガードに刻まれた、渦の紋様が明滅しているのが、少しだけ気になりました。
それはそうと、こんな街中で馬鹿なことを……。
相手の男性は辛うじて難を逃れていましたが、迫り来る炎の波が野次馬たちに襲い掛かりました。
とっとと逃げていれば巻き込まれなかったのに、自業自得なのです。
ですが……隣で白い呼気が漏れ、世界が一段冷えました。
それに気付いたわたしは、一切の迷いもなく告げたのです。
「被害ゼロ、優先なのです」
「1、2、3……施行」
わたしが駆け出すのと、グラが呟くのは同時でした。
精霊力を高めたグラによって、炎の波が氷像と化したのです。
野次馬だけではなく、発端となった男性たちまで目を見開いて固まっていましたが、知ったことではないのです。
既に男性たちの目の前まで辿り着いていたわたしは、練り上げた精霊力で【氷武】を発動しました。
瞬間、伸ばした腕の延長線上に、氷の剣が生成されたのです。
当然、刃は潰しているのです。
その代わりに、容赦はしませんでした。
「ちょっと、ヤンチャが過ぎるのです」
「がッ!?」
「ぐはッ!?」
高速で腕を振るったわたしは、片方の男性の首筋に氷剣を叩き付け、残りの1人の胴に突き込みました。
それによって意識を断ち切られ、白目をむいて倒れ込んだのです。
戦闘は本職ではないので、嫌になるのです。
不満に思ったわたしは、頬を膨らませながら【氷武】を解除しました。
そのとき――
「ネージュ!」
珍しく慌てた、グラの声が耳朶を打ちました。
どうしたのです?
そう思ったわたしですが、すぐに答えは判明しました。
何故なら、頭上で金属音が鳴り、影が落ちたからなのです。
咄嗟に上を振り仰いだわたしの目に飛び込んで来たのは、落下途中の大きな看板。
どうやら、先ほどの【火流】の衝撃で、釘が飛んだようなのです。
などと、言っている場合ではありません。
わたしだけなら躱せば良いですが、ここには失神した男性が2人。
放っておいたら、無事では済まないのです。
半拍だけ空気が止まり、影が濃くなりました。
そこまで考えたわたしは、仕方なく追加で魔術を使おうとしましたが、その必要はなかったのです。
「やっぱり強いじゃない」
楽しそうに笑ったセレーナさんが看板に手を翳し、水の針を連射しました。
それによって看板は壁に縫い付けられ、落下を防いだのです。
あれは確か、初級水術、【水針】。
性能は見たままですが、ここまで精確なのは初めてなのです。
何はともあれ事態は沈静化したかに思われましたが、まだ続きがありました。
「……! 危ない!」
縫い付けた看板の端が崩れ、地面を跳ねて野次馬の女性を傷付けようとしたのです。
それを見たセレーナさんが跳び付き、辛うじて女性は無事でしたが――
「セ、セレーナさん、大丈夫ですか!?」
「えぇ、掠り傷よ」
セレーナさんの右腕に、浅い裂傷が刻まれました。
確かに深くはなさそうですけど、痛みはあるはずなのです。
女性は申し訳なさそうに、何度も頭を下げていました。
それに対してセレーナさんは、笑顔で慰めているようなのです。
どこまでも、お人好しなのですね。
そう思いましたが……これが、彼女の信条なのでしょう。
わたしとは違う考えですけど、悪くはないと感じました。
すると、何とも言い難い気持ちで彼女たちを見やっていたわたしの元に、グラが歩み寄って来ました。
同時に氷像が、地面を濡らすことすらなく霧散するのです。
何度見ても、お見事なのです。
内心で感心していましたが、彼の顔には例によって無表情が張り付いているものの、沈んでいるのがわたしにはわかりました。
だからこそ、敢えて笑顔で告げたのです。
「グラ、お疲れ様だったのです。 今回も、素晴らしい手際だったのです」
「……否定。 我は、ネージュを危険に曝した」
「そのようなことないのです。 わたしなら、全くの無傷なのです。 仮にセレーナさんがいなくても、なんとかしていたのです」
「肯定。 ネージュなら、あの程度の局面は打破出来ただろう。 だが、それと我の失態は別」
真剣な面持ちで、反省の弁を述べるグラ。
むぅ、相変わらず度が過ぎるほど、真面目なのです。
しかし、それはわたしの望むところではないのです。
そう考えて、次のようなことを言いました。
「だったら、罰を与えるのです」
「承知。 何をすれば良い?」
「今日の夕飯は、わたしの好物にするのです。 それで許してあげるのです」
「……本当にそれで良いのか?」
「肯定……なのですよ」
わざとグラの言い方を真似すると、彼は目をパチクリさせているのです。
それがおかしくて笑っていましたが、グラは髪飾りに手を伸ばしながら、恐らく無自覚に反撃して来たのです。
「やはり、ネージュは優しい」
「……ッ! こ、この程度のことで、大袈裟なのです」
不意打ちで褒められて、咄嗟に氷ハンマーでグラの肩をコツン。
ですが、彼は澄まし顔を保っていて、こっちが馬鹿みたいに思えたのです。
不公平なのです。
何ともやるせない気持ちでしたが、そこでセレーナさんの方に動きがありました。
彼女は野次馬たちをグルリと見渡すと、小声で呟いたのです。
「怪我人は、いなさそうね。 順序……正しい」
心底ホッとしたように、セレーナさんは胸を撫で下ろしていました。
順序?
順序って、何のことなのでしょう。
疑問には思いましたが、わざわざ問い質すほどでもありません。
それに、今は他にやることがあるのです。
グラに目配せしたわたしは、野次馬たちの元に近付きました。
こちらに気付いた彼らは、満面の笑みで口々に賛辞を送って来るのです。
「氷屋さん! 本当に助かったよ、有難う!」
「炎術を氷術で止めるなんて、凄過ぎるよ!」
「ホントそれだぜ! いやぁ、氷術のこと侮ってたけどよ、やるじゃねぇか!」
にわかに騒がしくなる野次馬たちを、わたしは冷めた目で眺め、次いで営業スマイルを浮かべました。
そして、鞄から小さな料金表を取り出して指でトントンとしつつ、はっきりと言い放ったのです。
「お礼は結構なのです。 それより、氷を買うのです。 初級魔術手数料込みで、1本につき110メルなのです」
『え』
「ここには10人いるので、1人1本で良いのです。 買うのです」
『はい……』
断っておきますが、エレメンにおいて氷は必需品なのです。
なおかつ、うちの料金設定はかなり良心的なのです。
質も他の追随を許さないのです。
つまり、買って損はないのです。
1列になった野次馬たちに順番に氷を売って、レシートを渡して行きました。
彼らは複雑そうな顔をしていましたが、文句は出なかったのです。
そうしてわたしが商売に精を出していた頃、セレーナさんは警護隊員に事情を説明して、騒動の張本人である男性たちを連行させていました。
中々の段取りの良さなのです。
ただ、その際に「この順序も……正しい」と呟いていたのは、少しだけ気になりましたが、深くは考えませんでした。
氷を売り終わったわたしは満足して頷き、帳簿に六花印をポン。
これは、完売した目印なのです。
そして、もう1つあるのです。
わたしはクルリと振り返って、グラに向かって手を挙げました。
それを見た彼も手を掲げ――パンと。
軽く打ち鳴らすのは、完売したときの習慣なのです。
わたしとグラの呼気が、ふっと揃いました。
今日は厳しいかもと思いましたが、結果的には良かったのです。
ほくほくした気分になっていると、セレーナさんはこちらに近付いて、苦笑しながら口を開きました。
「商魂逞しいわね」
「当然なのです。 売る気がないなら、商売なんてしない方が良いのです」
「結構ギリギリな感じだった気がするけど……。 まぁ、良いわ。 それより、2人ともやっぱり強いわね」
「……ダンジョン攻略は断るのです」
「わかってるわよ。 じゃあ、わたしは行くわね。 こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけど、貴女たちの実力が見れて良かったわ」
そう言って、セレーナさんは手を振りながら踵を返そうとしました。
このまま見送っても、わたしには何の落ち度もありません。
ですが……なんとなく、気が向いてしまったのです。
「待って下さいなのです」
「うん? どうしたの?」
「右腕、どうするのです?」
「右腕? あぁ……どうもしないわよ、本当に掠り傷なんだから」
何ともないことをアピールするかのように、微笑むセレーナさん。
そのことに溜息をついたわたしは、グラに視線を向けました。
すると彼は軽く頷いて、小さく白い呼気を1つ。
それだけでセレーナさんの傷口を薄い氷膜が覆い、応急処置となったのです。
彼女は驚いていましたが、無視して言いました。
「うちに来るのです」
「え?」
「簡単な治療道具ならあるのです。 寄るところはありますが、すぐに帰れるのです」
「……氷、完売したのよね?」
「わかっているのです。 その代わり、これを受け取るのです」
「これは?」
「ポイントカードなのです。 今後、氷が必要になったときは、うちで買うのです。 1日用の氷柱1本で、スタンプ1つなのですよ」
そう言ってわたしは、六花印を見せました。
スタンプを押すのは、わたしたちにとってマイナスではありますが、この六花が咲くのを見るのは好きなのです。
ポイントカードを眺めたセレーナさんは、呆れ果てたようでした。
「ホント、抜け目ないわね……。 でも、そう言うことなら、お言葉に甘えようかしら」
「決まりなのです。 グラ、行くのです」
「承知」
肩を竦めたセレーナさんを引き連れて、わたしとグラは約束の配達先と、洗濯屋さんに向かいました。
いつの間にか日が暮れて、夜が訪れているのです。
時間的に、ちょうど良いのです。
電気がバチッと音を鳴らし、街灯が点き始めました。
ネージュの帳簿
残り氷柱=10本→完売
今回収入=+1,100メル(氷柱10本販売、初級魔術手数料+10%×10)
前回までの収入=+1,005メル
今回支出=-0メル
前回までの支出=-0メル
―――――――――――――――
収支総合計=+2,105メル
定期購入契約(1か月)×1件=2,000メル
後日5本契約×配送料、初級魔術手数料+20%=600メル
グラの氷膜=-0メル(相棒割無償)
次回目的地=帰宅
次回「幟を外して、ただいまなのです」、明日の21:00に投稿します。
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