第5話 お茶と新ダンジョン、却下なのです
どうして、このようなことになったのでしょう。
いえ、まぁ、別に良いと言えば良いのですけど。
奢ってくれるそうですし。
上機嫌に前を歩くセレーナさんの背を見つめながら、そのようなことを思うのです。
隣のグラは、一見すると何を考えているのかわからない無表情。
ですがわたしは、彼が警戒心を抱いていると察しているのです。
グラのこういう態度は珍しく、それだけセレーナさんが、油断ならない相手ということでしょうか。
A級冒険者と言っていましたし、強いのは間違いないのです。
ダンジョンは特例としてS級が出ることはありますが、冒険者は最高がA級なのですし。
少しばかり不安に思ったわたしは、気付けばグラに寄り添って、幟に触れていたのです。
これはわたしたちの旗印で、絆そのもの。
ひんやりとした空気が、心地良いのです。
そんなことを思っていると、グラが手を伸ばして頭の髪飾りに触れました。
驚いたわたしが振り向いた先には、変わらず感情の起伏に乏しい顔がありましたが、自然と心が落ち着くことが出来たのです。
薄く微笑んで胸中で感謝しつつ、そっと傍を離れました。
グラの優しさに甘えてばかりでは、いけないのです。
氷屋の代表は、わたしなのですから。
人知れず気合を入れていましたが、セレーナさんは能天気に声を上げました。
「あ、あの鍛冶屋さん、わたしがいつもお世話になってるところなのよ。 工房区画じゃなくて、闘技場近くに店を構えてるのって珍しいわよね」
「はぁ、そうなのですね」
気のない返事をしながら視線をずらすと、『フェロ鍛冶店』という看板が目に映りました。
40代くらいの男性が、一生懸命に鎚を振り下ろしているのです。
鉄錆色の短髪に分厚い眉、朱色の瞳、厚手のズボンに黒のタンクトップ、鉄芯のブーツ。
胸板が厚く腕は太いのです。
何やら「鉄は熱いうちに打てってなぁッ!」などと叫んでいますが、暑苦しいのでやめて欲しいのです。
すぐに前を向いたわたしが引き続き歩いていると、やっと目的地に着いたようなのです。
「ここに入りましょう」
笑顔のセレーナさんが示したのは、お洒落なカフェでした。
人気店なのか人も多そうですけど、席はあるのでしょうか?
疑問に思ったわたしですが、セレーナさんは躊躇いなく中に向かって、店員さんに声を掛けたのです。
「すみません、3人お願い出来ますか?」
「申し訳ありません、ただいま満席で……って、セレーナ様!? いつもお世話になってます!」
「こちらこそですよ。 それで、お願い出来ますか?」
「勿論です! こちらへどうぞ!」
最初は断ろうとした店員さんですが、セレーナさんの正体を知るなり対応が変わりました。
これが権力なのですか……。
少しばかり違う気もしますが、特別扱いされているのは事実なのです。
微妙な思いを抱えたまま、セレーナさんに付いて行くわたしとグラ。
案内されたのはテラス席で、外から丸見えなのです。
当然というべきか、セレーナさんに注目が集まって、ちょっとした騒ぎになっていました。
なるほど、彼女を宣伝代わりに使っているのですね。
闘技場の覇者と言い、有名人は大変なのです。
今回に関しては、ウィンウィンの関係っぽいですが。
などと考えつつ、セレーナさんの向かい側にグラと並んで座りました。
すると彼女は、メニューを開きながら問い掛けて来たのです。
「何にする? 遠慮しなくて良いわよ?」
「……本当に奢りなのですね?」
「えぇ、本当よ。 その代わり、少しだけわたしの話を聞いてくれる?」
可愛らしく小首を傾げるセレーナさん。
やはり、交換条件があるのですね。
もっとも、その方がむしろ納得なのですけど。
グラに目を向けると、彼は小さく頷きました。
それを受けたわたしも頷き返し、はっきりと告げたのです。
被害ゼロ、優先なのです。
「聞くくらいなら構わないのです。 あくまでも聞くだけ、なら」
「ふふ、随分と警戒されちゃってるわね。 良いわ、交渉成立ね」
そう言ってセレーナさんは、改めてメニューを差し出して来たのです。
さて、どれにしましょうか。
正直に言って、わたしたちは普段こういったお店に来ないので、良くわからないのです。
そんなわたしをセレーナさんは不思議そうに見ていましたが、相棒は違いました。
「1、2、3……提示。 ネージュ、これはどうだ? 甘そうで、キミの好みに合いそうだ」
「ショートケーキ……確かに美味しそうなのです。 白いですし」
「肯定。 飲み物はどうする? 砂糖漬けのコーヒーは非推奨」
「う、うるさいのです。 アップルティーにするのですよ。 グラはどうするのです?」
余計なことを言われたわたしは、顔が熱を帯びるのを感じながら、氷ハンマーでグラの肩をコツン。
しかし彼は欠片も反応することなく、平然と言ってのけました。
「選択。 我はアイスコーヒーにする」
「ケーキは食べないのですか?」
「不要」
「奢りなのに勿体ない気もしますが……わかったのです」
メニューを選んだわたしたちは、セレーナさんに目を向けたのです。
しかし彼女は、何やら口元を手で隠しながら、ニヤニヤ笑っていました。
どうしたのです……?
怪訝に思ったわたしが黙っていると、セレーナさんは心底楽しそうに言いやがりました。
「本当に2人は仲良しね。 こっちが恥ずかしくなるくらい」
「な……!? へ、変なことを言わないで欲しいのです。 わたしとグラは相棒なのですから、これくらい普通なのです」
「はいはい、ご馳走様」
「まだ食べていないのです!」
「落ち着け、ネージュ。 それより、キミは決めたのか?」
「あ、うん。 わたし、ここでは同じメニューしか頼まないから」
「なら、サッサと注文しよう」
「わかったわよ」
肩を竦めたセレーナさんは、店員さんを呼んで注文を伝えてくれました。
むぅ、からかわれたようで不愉快なのです。
とは言え、ケーキは楽しみなのです。
存在は知っていましたが、食べたことはないのです。
贅沢は敵……なのです。
そうしてワクワクしながら待っていると、ショートケーキとアップルティー、アイスコーヒーが運ばれて来たのですが――
「……セレーナさん」
「どうしたの、氷屋さん?」
「それは何なのです?」
「うん? あぁ、これはわたしの専用メニューで、激辛100倍カレーって言うの」
「凄く辛そうなのです……」
「当たり前じゃない。 辛くしてるんだから」
「空気が目に染みるのです……」
「すぐに慣れるわよ」
あっけらかんとセレーナさんは言いますが、理解出来ないのです。
人より少しだけ甘いものが好きなわたしからすれば、あれは最早食べ物ですらないのです。
折角のショートケーキも、なんだか美味しくなさそうに見えて来ました……。
しょんぼりとしたわたしに構わず、セレーナさんは美味しそうにカレーを口に放り込んでいるのです。
人の気も知らないで……。
不満をぶつけたくて仕方ないですが、奢ってもらっておいてそれは駄目なのです。
小さく嘆息したわたしは、強烈な匂いと目に染みる空気を無視して、ショートケーキをフォークで切り分けようとしましたが――半拍。
グラの口から、白い呼気が漏れました。
その途端に、わたしの眼前に薄い氷の膜が張られ、匂いと空気を遮断したのです。
反射的に振り返りましたが、グラは何でもないようにアイスコーヒーを飲んでいました。
本当に……変なところで過保護なのです。
思わず苦笑したわたしは、改めてショートケーキを食べ始めました。
とても甘くて、美味しいのです。
今度は、グラにも食べさせてあげたいのです。
そう思っていると、正面から視線を感じました。
あっという間にカレーを平らげたらしく、セレーナさんがわたしとグラを交互に見ているのです。
今度は何だというのですか?
身構えたわたしが不審そうにしていると、彼女は意外そうな声を漏らしました。
「ふぅん。 思ったより、両想いっぽいわね」
「な……!?」
「氷屋さんの一方通行かと思ってたけど、相棒くんも意外と――」
「いい加減にするのです! そんな話なら、もう終わりなのです! グラ、帰るのです!」
「承知」
乱暴に席を立ったわたしは、本気で店を出ようとしました。
しかし、直前でセレーナさんが、焦って声を上げたのです。
「待って、待って! もう言わないから! 用件は全く別なのよ!」
「……これが最後なのです。 助けてもらった借りがなければ、とっくに帰っていたのです」
「わかったわよ。 もう、冗談が通じないんだから」
「何か言いましたか?」
「いいえ! それより、これを見て?」
そう言ってセレーナさんが取り出したのは、1枚の新聞紙。
これは……。
見覚えのある内容を読みつつ席に戻ると、氷の膜が音もなく消滅しました。
グラに横目で感謝してから、正面に向き直るのです。
そんなわたしにセレーナさんは、真剣な顔で言い放ちました。
「新ダンジョンが見付かったんだって。 知ってた?」
「はい。 今日、号外を撒いている人がいたのです」
「そう、それなら話は早いわ。 わたしと一緒に攻略――」
「却下なのです」
「速くない!?」
「考えるまでもないのです」
「どうして? 朝からずっと見てたけど、貴女たち相当強いわよね? だからこそ声を掛けたんだし」
ずっと見ていた……全然気付かなかったのです。
ところがグラは全く動じておらず、様子を見る限り知っていたらしいのです。
だったら、教えてくれても良かったのに。
いえ、それは甘えなのです。
頭を切り替えたわたしは、改めて断りの言葉を紡いだのです。
「関係ないのです。 わたしたちは氷屋であって、冒険者ではないのです」
「そこをなんとか! 報酬なら弾むから!」
両手を合わせて、拝むように頼み込んで来るセレーナさん。
報酬を弾む……。
A級冒険者が報酬を……。
は……い、いけないのです、いくらお金をもらえようが、わたしたちは氷屋なのです。
ダンジョン攻略は管轄外なのです。
微かな葛藤を振り切って、わたしは断固として突っぱねました。
「駄目なのです。 だいたい、強い人なら他にもいくらでもいるのです。 その人たちに、お願いすれば良いのです」
「ううん、貴女たちより強い人はいないわ」
「……言い切るのですね。 根拠はあるのですか?」
「身のこなし、魔術を操る練度、雰囲気……他にも理由はあるけど、決め手は勘かな」
「評価してくれたことだけには、感謝するのです。 ただ、わたしたちはあくまでも氷屋なのです。 どうせなら、氷の出来を褒めて欲しかったのです」
「あ、それも凄いと思ってるわよ? あれだけ完璧に均一な氷を作り上げるなんて、並大抵のことじゃないもの」
「良くわかっているのです。 うちの氷はエレメンで……いいえ、世界一の氷なのです」
「そうそう! だから、一緒に攻略――」
「嫌なのです」
「うぅ、ガード固いわね。 そうだ、相棒くんは? どう考えてるの?」
わたしでは埒が明かないと悟ったのか、セレーナさんは標的を変えました。
無駄なのです。
グラだって、答えは一緒に決まって――
「理由は?」
「え?」
「ダンジョンを攻略する理由は?」
「えっと……そりゃ勿論、誰より先に宝物を手に入れる為に決まってるでしょう? あとになればなるほど、旨味はモンスターの魔石だけになるんだから」
「否定。 キミの理由はそれではない」
「……どうしてそう思うの?」
「A級冒険者、【水槍の勇者】が金銭面で苦労しているとは思えない。 危険を冒してまで、一番槍を務めるのはリスクが高過ぎる」
キッパリと言い切られたセレーナさんは、押し黙ったのです。
それにしても、グラが聞く耳を持ったのは意外でした。
いったい、どうして……。
まさか、彼女が綺麗だから……?
だとしたら、頭を小突いてでも連れ帰るのです。
色香に惑わされるグラなんて、見たくないのです。
そう考えていたわたしですが、セレーナさんが大きく息を吐き出したことで、意識を引き戻されました。
すると彼女は顔を背けながら、言い難そうにポツリポツリと声を落としたのです。
「相棒くんの言ったことが、本当の理由よ」
「どう言う意味なのです?」
「だから、新しいダンジョンを最初に攻略するのって、凄く危険なの。 どんなモンスターが出るかわからないし。 だから、わたしが先に行って、情報を集めようと思ったのよ」
「つまり、自己犠牲ですか……」
「そんなつもりはないわ。 無事に帰るのは、大前提だもの。 貴女たちに頼んだのだって、安全を確保する為だし。 でも……確かに氷屋さんに頼むことじゃなかったわね、忘れて頂戴」
「……わかったのです」
困ったように笑いつつ、セレーナさんは言いました。
こちらとしては、最初から覚えるつもりはなかったのです。
セレーナさんの考えはわかりましたが、他人の為に体を張るのはわたしの流儀に反するのです。
それに、わたしたちは氷屋。
戦いは最終手段であって、本質は別なのです。
グラは無言でこちらを見ていますが、わたしの結論は変わらないのです。
ふと空を見上げると、夕焼けに染まり始めていました。
頑張って、残りの氷を売り捌かないとなのです。
それが、氷屋の仕事なのです。
ネージュの帳簿
残り氷柱=10本
今回収入=+0メル
前回までの収入=+1,005メル
今回支出=-0メル
前回までの支出=-0メル
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収支総合計=+1,005メル
定期購入契約(1か月)×1件=2,000メル
後日5本契約×配送料、初級魔術手数料+20%=600メル
グラの氷膜=-0メル(相棒割無償)
次回目的地=商業区画(配達)
次回「スタンプと応急処置、完売なのです」、明日の21:00に投稿します。
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