第2話 路地のトラブル、被害ゼロなのです
太陽の下、わたしたちは大通りを歩くのです。
多くの人や馬車が行き交い、屋台もたくさん並んでいました。
他にも店が構えられていて、まさに商業区画と言ったところなのです。
そんな中でもわたしたちの幟は、とても目立っていました。
涼しいですし。
ところで、先ほどは売れましたが、氷に需要なんかあるのかと思いますか?
答えはイエスなのです。
たとえば――
「氷屋ちゃん! 魚の保冷用に、2本ちょうだい!」
とか。
「今日は氷菓が大量に売れそうだ! 氷屋! 3本ほど頼めねぇか!?」
とか。
「テメェら、熱中症だけには気を付けろよ! お! 良いところに氷屋が! 1本を5等分してくれよ!」
などなのです。
ちなみに、基本的には1本単位で売っていますが、オプションで加工も承っているのです。
5等分にする程度の加工なら、5%増額なのです。
それぞれから代金を受け取ったわたしは、氷とレシートを手渡しました。
グラは基本的に無言で付いて来ているだけで、仕事中に話すことは少ないのです。
でも、周囲を警戒していて、常にわたしを気遣ってくれているのがわかるのです。
そのことを恥ずかしいと思うと同時に……う、嬉しく思わなくもないのです。
顔が赤くなってしまうのを感じましたが、すぐに表情を改めました。
「ネージュ」
「わかっているのです。 被害ゼロ、優先なのです」
進行方向からやって来ていた、馬車の様子がおかしいのです。
次の瞬間、車輪が外れて馬車が横に傾きました。
不運にもその場にいた若い男性が、轢かれそうになっているのです。
なおかつ、酒樽でも積んでいた上に火種が近くにあったのか、放っておいたら大惨事になりそうでした。
もっとも、そうはさせませんが。
「グラ、火を」
「承知」
短くやり取りしてから、行動に出るのです。
恐怖のあまり、腰を抜かした男性と馬車の間に割って入ったわたしが、右手を翳して精霊力を高めました。
すると、瞬きする間に巨大な氷の壁が斜めに生成され、馬車を滑らせて止めたのです。
初級氷術、【氷壁】。
効果は見たままで、相手の攻撃を受け止めることが出来るのです。
氷術師であれば、誰でも使えるものですが――
「今の見たか? 無詠唱だったぜ」
「見た見た! しかも、あの強度……流石は氷屋ちゃんだね」
「普通の氷術師じゃ、仮に馬車を止めても粉々になってたよなぁ」
「だよねぇ。 まぁ、氷って最弱属性だし」
氷は最弱……そう言う者ほど、冬を知らないのです。
野次馬たちの声が耳朶を打ちましたが、取り敢えず無視しました。
それより気になるのは、酒樽の方です。
とは言え、グラなら問題ないと思いますけど。
グラに目を転じて――半拍。
「1、2、3……施行」
そこには、火種を凍らせた彼がいました。
口からは、白い呼気が漏れているのです。
火を「消す」のではなく「凍らせる」辺り、流石としか言いようがないのです。
こちらを向いたグラは小さく頷き、わたしも同じように返しました。
こうして事態は終息しましたが、むしろここからが本番。
未だに立ち上がれない男性の傍にしゃがみ込んだわたしは、真っ直ぐな声で問い掛けました。
「大丈夫ですか?」
「え……あ、うん! 大丈夫だよ、有難う! 本当に助か――」
「お礼を言うくらいなら、氷を買いやがれ……です。 初級魔術使用手数料は、10%増額なのです」
「え!? いや、まぁ、それくらいなら良いんだけど、今は手持ちがないんだよ」
申し訳なさそうにしている男性を、じっくり観察しました。
ふむ、嘘は言っていなさそうなのです。
こうなると、タダ働きになっても仕方がない……などということはないのですよ。
氷屋を舐めないで下さいなのです。
「でしたら、1か月の定期購入の契約をお願い出来ませんか? そうすれば、今日の手数料はなしにするのです」
「定期購入か……。 まぁ、氷は必要なものだし、助けてもらったし、それでお願いするよ」
「有難うなのです。 では、こちらの契約書にサインをお願いなのです」
鞄から書類とペンを取り出して、男性に記入を勧めました。
これでタダ働きは免れましたし、むしろ大きなプラスなのです。
被害はゼロ、代金は満額……それが商売なのです。
ほどなくして男性が書類を書き終わり、不備がないかを素早くチェック。
「問題ないのです。 これで、契約完了なのです。 早速明日から配達しますが、時間指定はありますか?」
「うーん、10時以降なら大丈夫かな。 妻が家にいるから、受け取れると思うよ。 明日来てくれたら、代金を支払うように言っておくから」
「……よろしくなのです」
「こちらこそ、よろしくね。 じゃあ、僕は行くから。 ホント、助けてくれて有難う」
爽やかな笑みを浮かべた男性が、走り去りました。
妻、ですか……。
わたしもいつか、そう呼ばれる日が来るのでしょうか。
だとすれば、その相手は――
「ネージュ」
「ひゃい!?」
「……大丈夫か?」
「な、なんともないのです。 それより、どうしたのです?」
「野次馬が増えて来た。 警備隊もやって来る頃。 面倒ごとになる前に、この場を離れるのが最善」
「事情聴取とか面倒ですからね……。 わかったのです」
妙なことを考えそうでしたが、即座に立ち直ったのです。
まだ心臓が、少しドキドキしていますが……。
心配してくれたのか、グラが六花の髪飾りの位置を、軽く直してくれたのです。
こうした気配りが出来るのが、彼らしいのです。
それはともかく、本当にタッチの差でしたね。
わたしたちが離脱してすぐに、警備隊がやって来るのが見えました。
その中の1人は灰色の短髪で、筋骨隆々の大男。
色黒の肌と歴戦を思わせる傷だらけの鎧、巨大な戦斧が印象的なのです。
こちらを見ている気がしますが……気のせいということにしておくのです。
【氷壁】は解除しているので、濡れた跡だけでは証拠にならないはずなのです。
そうして現場を離れたわたしたちですが、闇雲に走っていた訳ではありません。
ちゃんと、目的地を目指していたのです。
そこは大通りに面した店舗の1つで、『ラナ・ランドリー』という洗濯屋さん。
基本的には家で洗濯出来るのですが、物によってはお願いした方が良い服もあるのですよ。
それらを鞄から取り出したわたしは、店の中に入りました。
すると、カウンターに立っていた1人の女性、ラナさんがニコリと笑ってくれたのです。
抱擁感がある柔らかそうな体型、群青の三つ編みロング、薄青の瞳、藍染めの割烹前掛け、白シャツ、巻きスカート。
相変わらず、清潔感のある人なのです。
そんなことを思いながら、服をカウンターに置いて尋ねました。
「どれくらいで出来るのです?」
「そうねぇ。 18時頃には、終わってると思うわよぉ」
「わかったのです」
「汚れは綺麗にしないとねぇ」
「よろしくお願いしますなのです」
それだけ告げたわたしは、洗濯屋さんを出ました。
外で待っていたグラと視線を交換し、どちらからともなく歩き出しながら声を発するのです。
「今日は結構良い調子なのです」
「まだ午前中だ。 気が早い」
「言われなくても、わかっているのです。 もっと、じゃんじゃん売るのです」
「強欲」
「うるさいのです。 商売人として、当然なのです」
ピシャリと言いつつ、グラの肩を氷ハンマーでコツン。
まぁ、彼の感情はわかり難いですが、冗談なのは伝わって来るのです。
そのことに苦笑して、足を交互に動かしました。
このときわたしは、油断していたつもりはありません。
それでも、1人の人物がこちらを窺っていたことに、気付くことは出来なかったのです。
ネージュの帳簿
残り氷柱=19本→13本
今回収入=+605メル(氷柱6本販売、加工手数料+5%×1)
前回までの収入=+100メル
今回支出=-0メル
前回までの支出=-0メル
―――――――――――――――
収支総合計=+705メル
定期購入契約(1か月)×1件=2,000メル
次回目的地=工房区域
次回「第3話 空に道を敷くのです」、21:30に投稿します。
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