第1話 開店準備と料金表なのです
6時を知らせる鐘が鳴り響く頃、わたしの意識は浮上したのです。
窓からは朝日が差し込んで来て、憎たらしいほどに良い天気。
もう少し寝ていたい欲求を抑えて、ベッドで身を起こしました。
暫くボンヤリしていましたが、床に足を着けて立ち上がるのです。
物は最低限の調度品しかありませんけど、それで構いません。
贅沢は敵なのです。
まずは、備え付けの洗面所で顔を洗って、歯磨きをしました。
その後、クローゼットに仕舞ってあった服を取り出して、パジャマから着替えるのです。
足元まである白のローブで、氷の意匠が施されていました。
それを見て一瞬だけ頬が緩み、すぐに姿見と向き合うのです。
寝癖の付いた白銀の長い髪に、薄紫の瞳。
小柄ではありますが、スタイルは良いと思うのです。
顔も良く褒められますが、あまり興味ありません。
可愛いだけじゃ、お腹は膨れないのです。
内心で呟いたわたしは、髪を整えないまま部屋を出ました。
言っておきますが、このまま出掛けたりしないのです。
ただ、それはわたしの役目ではないのですよ。
居間に入った瞬間に、朝ご飯の良い匂いがしたのです。
テーブルの上を見ると、焼き立てのトーストにサラダ、コーンスープ。
オマケにコーヒーまで付いていました。
思わず目を奪われてしまいましたが、これは決してわたしの食い意地が張っているからではないのです。
などと考えていると、エプロンを外しながら、キッチンの方から1人の少年が歩み寄って来ました。
「おはよう、ネージュ。 食べよう」
「おはようなのです。 頂くのです」
促されるままに着席したわたしの正面に座ったのは、相棒であるグラ。
蒼銀の髪に蒼眼、中性的な……まぁ、美少年と言ったところなのです。
見た目に反して家事全般が得意で、食事は彼の当番なのです。
……わたしが出来ないという訳ではないのですよ?
ただ、適材適所というやつなのです。
グラがやった方が、食費も節約出来て美味しいのですから、そうする方がコスパが良いだけなのです。
そんなことを思いつつ、サラダを1口。
うん……野菜を放り込んだようにしか見えないのに、どうしてこんなに美味しいのか謎なのです。
前に聞いたところ、グラは食材の目利きが上手なのだとか。
やけに所帯じみているのです。
そのお陰で美味しいご飯が食べられるのですから、文句を言うのはお門違いなのでしょうが。
チラリと前を見ると、グラも食事を開始していました。
いつも通り、粛々と。
静かな空間が広がっていますが、わたしはこの時間が好きなのです。
薄く笑みを浮かべて、コーンスープを口に含み――
「熱ッ!?」
く、口がヒリヒリするのです……。
これは単に猫舌なだけであって、わたしが悪い訳ではないのですよ。
ですが、グラはこちらに半眼を寄越して、嘆かわしそうに言い放ったのです。
「またか。 いい加減、学習したらどうだ」
「う、うるさいのです。 良いから、早くするのです」
「致し方ない……」
そう言ってコーンスープの器をグラの方に寄せると、彼はそれを手に持って、白い呼気を漏らしました。
そして半拍置いてから、フーフーと。
冷まし過ぎない程度に、コーンスープから熱を奪ってくれたのです。
器を返されたわたしは疑うこともなく、再びコーンスープを掬って口に運びました。
美味しいのです。
幸せな気持ちが胸に溢れました。
それからは特に問題もなく食事を終えて、コーヒーを飲む段階になったのですが――
「ネージュ」
「何ですか?」
「砂糖、入れ過ぎだ」
「仕方がないのです。 わたしは人より少しだけ、甘い方が好きなのです」
「決して少しではない。 それは最早、コーヒーの味がする砂糖の塊だ。 倹約家のキミには合わないはず」
「放っておくのです。 糖分は頭を働かせるには必要ですし、朝はコーヒーを飲まないと始まらないのです。 言わば、必要経費なのです」
「それにしても度が過ぎていると思うが……もう何も言うまい」
呆れ果てた様子のグラが、ブラックコーヒーを飲みました。
むぅ、わたしへの当て付けのつもりでしょうか。
問い質したくなりましたが、それどころではないのです。
「グラ、そろそろ出発準備をするのです」
「承知。 そこに座れ」
「はいなのです」
言われた通りに化粧タンスの椅子に座り直したわたしは、鏡とにらめっこしました。
現時点では髪がボサボサですが、問題ないのです。
櫛を手に背後に立ったグラが、わたしの髪をとかし始めました。
その手付きは優しく、繊細なものを扱っているよう。
これは毎日のことで、髪の手入れもグラに任せているのです。
自分でも出来ますが、彼がしてくれた方が綺麗に仕上がるのです。
なんと合理的な考えなのでしょう。
時折触れるグラの指先は冷たいですが、決して嫌な感じはしないのです。
むしろ、不思議と心が温かくなりました。
間もなくして髪を整え終えた彼ですが、最後の仕上げが残っているのです。
わたしが差し出した、六花の形をした髪飾りを、グラは無言で受け取りました。
これは過去にグラが、わたしの為に作ってくれたものなのです。
特別な力は持たないのですが、だからこそ純粋なプレゼントに思えて、いつでもグラを感じられるのです。
可愛いだけじゃお腹は膨れなくても、この髪飾りは……宝物なのです。
恥ずかしいので、本人には言っていませんけど。
慣れた手付きで彼はわたしの頭に触れましたが、この瞬間は未だに慣れません。
どうしても微かに緊張して、頬が熱くなってしまうのです。
とは言え、時間にすればごく僅か。
「出来たぞ。 気になるところはあるか?」
グラの声で我に返ったわたしは、鏡に映る自分を見つめました。
完璧なのです。
流石はグラだと思って、素直にお礼を言いました。
「大丈夫なのです。 有難うなのです」
「構わない。 それより、出発準備だ」
「わかっているのです」
立ち上がったわたしは、工房に入りました。
ここは他の部屋とは異質で、全面が氷張りになっているのです。
当然、空気は冷たいですが、わたしやグラであれば問題ありません。
中央に置かれた台座に向き直ったわたしは、右手を翳して精霊力を高めました。
精霊力とは、魔術を使用する際に必要なエネルギーのようなものなのです。
訓練によって精霊との意思疎通がスムーズになれば、より効率良く、より強力な魔術を使えるのです。
全ての人間に精霊力は宿っていますが、使える属性は地、水、火、風、雷、氷のどれか1つ。
これは生まれたときから素質が決まっていて、わたしは氷なのです。
話が少し長くなりましたが、高めた精霊力を用いてわたしが生成したのは、多数の氷柱。
大人が両手で掴める程度の太さで、長さは一般的な成人男性の肩幅程度。
今日も良い感じなのです。
わたしが満足していると、工房の入口からグラが声を掛けて来ました。
「出来たか?」
「ばっちりなのです」
「そうか。 では、詰めるぞ」
そう言ってグラが床に置いたのは、巨大な籠。
一見するとどこにでもありそうな籠ですが、これの内側には冷気が満ちていて、氷の状態を維持してくれるのです。
慣れた動作で、作った氷柱を中に入れて行くわたしとグラ。
いっぱいになるまで入れると、かなりの重さのはずですが、彼は何でもないように背負いました。
まぁ、今更驚くことではないのです。
そうして準備を終えたのを確かめたわたしは、他の小道具を鞄に入れて、戸を開きました。
まだ朝早いにもかかわらず、今日も元気な太陽が照り付けて来て、忌々しそうに見上げたのです。
焼き麦の匂いと遠い鍛冶鎚が、1日の始まりを実感させました。
井戸端の水音と、干した布を叩く乾いた音。
これも日常を強く、意識させるのです。
それにしても、今日も暑くなりそうなのです……。
ウンザリとした気持ちになりましたが、そんなわたしに気付いたのか、グラが淡々と告げました。
「ネージュ、幟を」
「あ、そうだったのです」
危ない危ない、大事な仕事道具を忘れるところだったのです。
玄関に立て掛けてあった幟を、グラが背負った籠に取り付けました。
藍色の布に白文字で、シンプルに『氷屋』と書かれており、六花の意匠が施されています。
これがわたしたち氷屋の、旗印なのですよ。
しかも、グラが刻み込んだ術のお陰で、近くの空気を2度ほど冷やしてくれるのです。
有難いこと、この上ないのですよ……。
籠に積んだ氷柱が、澄んだ音で応えたかのようでした。
家の前に置かれた看板にも同じように、文字と六花の意匠が描かれているのです。
更にそこには、簡易的な料金表も載っていました。
1日=100メル
3日=250メル
1週間=500メル
1か月=2,000メル
配送料=通常:+10%、お急ぎ:+15%(1か月以上定期購入者は無料)
この日数は、氷柱が溶けない期間なのです。
なので食材というよりは、保冷や冷房として使われることが多いのです。
勿論、普通の氷も販売しているのですよ。
他にも収入源はありますが、今は良いでしょう。
今度こそ準備を終えたわたしは、隣に立つグラを横目で見ました。
すると彼もこちらを見て、視線を前に戻すのです。
わたしも外を見据え、グラと息を合わせて丁寧に一礼し――
『1、2、3……出発』
「被害ゼロ」
「優先なのです」
いつもの合言葉なのです。
それを口にすると、やる気が湧いて来るのです。
鞄から帳簿を取り出したわたしは、ほんの少し明るくなった声で告げました。
「今日の定期配達2件は、19時と20時までに届ければ良いので、夕方までは足で稼ぐのです」
「承知」
「レッツゴーなのです」
予定を確認しながら、石畳の通りに足を踏み出しました。
むん、今日も頑張るのです。
と思いきや、早速声を掛けられたのです。
「お、ネージュちゃんじゃねぇか! 1日用を1本、売ってくれよ! 今日は暑そうだからなぁ」
そう言ったのは、作業服を身に纏った30代前半くらいの男性。
割とお得意様なのです。
ニッコリと笑ったわたしは、作業員さんに向かってペコリと頭を下げました。
「毎度ありなのです。 グラ」
「承知」
短く告げたグラが屈み込み、背中の籠からわたしが1本の氷柱を取り出すのです。
布に包んで作業員さんに手渡すと、ちょうど100メル支払ってくれました。
それを確認したわたしは、鞄からレシートの束を取り出し、1枚を差し出してから微笑んだのです。
「有難うなのです。 今後とも、ご贔屓になのです」
「おう! いやぁ、それにしてもネージュちゃんは、今日も可愛いな! オジサンぞっこんだぜ!」
「褒めるくらいなら、次は上乗せをお願いするのです」
「お、おぅ……」
「あ、忘れるところでした。 スタンプを押すのです」
「あ、あぁ、そうだったな! 頼むぜ!」
慌てた作業員さんは懐から、1枚のカードを取り出しました。
これはポイントカードで、1日用の氷1本につき、スタンプを1つ押すのです。
そして10個溜まったら、1本プレゼントなのです。
お得意様には配っていて、結構好評なのですよ。
ただし、有効期限は3か月なのです。
長期的な顧客を掴む目的だからと言って、締めるところは締めないといけません。
スタンプを押すと、六花印がポンと咲いたのです。
この瞬間が、わたしは嫌いではありません。
ポイントカードを返すと、作業員さんは性懲りもなくほざきやがったのです。
「ネージュちゃんは可愛いだけじゃなくて、優しいな! 自分から、スタンプのことを言ってくれるなんてよ! ホント、オジサンもうファンで――」
「サッサと仕事に行くのです」
「……はい。 そ、そうだ、次の現場にも伝えておくぜ。 氷、助かるってよ」
「それは有難いのです。 お気を付けて、行ってらっしゃいなのです」
「お、おう! 任せときな!」
ぎこちない笑みを浮かべて、歩み去る作業員さん。
同僚の作業員さんたちと――
「またフラれてやんの!」
「いい加減、諦めろって! 氷屋は、俺らなんか相手にしねぇんだよ!」
「うるせぇ! 俺はネージュちゃん一筋なんだよ! 見てろ、今に振り向かせてやっから!」
「ははは! 無理無理!」
などと言い合っているのを、わたしは無感動に眺めていましたが、グラはそうではありませんでした。
「気の毒だ。 言い方に改善の余地あり」
「良いのです。 可愛いだけじゃ、お腹は膨れないのです。 さぁ、行くのです」
「流石は守銭奴」
「喧しいのです」
思わずツッコみながら、生成した小さな氷のハンマーで、グラの肩をコツン。
これはれっきとした初級氷術で、【氷武】と言うのです。
氷術師なら誰でも使えるので初級扱いですが、作れる武器の強さは術者に依存するのです。
本来なら、このようなことに使うものではありませんけど、グラのせいで反射的にやってしまいました。
彼はまだ何か言いたそうでしたが、言葉を飲み込んだらしいのです。
どちらにせよ、わたしの答えは変わりませんが。
どうせ可愛いと言ってもらうなら……。
チラリと横を見ると、思い切りグラと目が合いました。
「どうした?」
「な、何でもないのです」
反射的に顔を背けてしまいましたが、そこまで慌てる必要ありませんでしたね。
こっそりと深呼吸したわたしは、帳簿に記入してから、気を取り直して歩みを進めました。
これが、氷屋の日常なのです。
ネージュの帳簿
残り氷柱=20本→19本
今回収入=+100メル(氷柱1本販売)
前回までの収入=+0メル
今回支出=-0メル
前回までの支出=-0メル
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収支総合計=+100メル
次回目的地=商業区画
次回「第2話 路地のトラブル、被害ゼロなのです」、21:20に投稿します。
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