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13/21

第12話 胸のざわめき、数える3つなのです

 家の前まで帰って来たわたしは、雨で濡れ切っていました。

 それほど強くはありませんけど、それなりに長い距離を歩いたからなのです。

 どうせなら、この鬱屈とした気持ちを、洗い流してくれたら良かったのです。

 玄関で立ち止まったわたしに、グラがいつもと変わらぬ目を向けました。

 それを受けたわたしは、ほとんど条件反射のように体が動きます。

 丁寧に一礼して、囁くような声を発しました。


『1、2、3……帰宅』


 いつもならこの言葉を口にすると、ホッとした気分になるのです。

 しかし今日は、どうしても何かが引っ掛かっていました。

 何故だか足が動かず、その場に佇んでいると、グラの口から白い呼気が漏れました。

 瞬間、わたしの身を覆っていた冷気が微かに退き、雨の冷たさがマシになったのです。

 それから――半拍。

 わたしの背中を優しく押したグラが、淡々と告げました。


「風邪をひく。 風呂に入れ」

「……はいなのです」


 逆らうことなく返事したわたしは、ノロノロとした動作で中に入りました。

 そのまま浴場に向かい、服を脱いで洗濯籠に放り投げたのです。

 六花の髪飾りだけは、丁寧に扱いました。

 贅沢は敵ですが、お風呂周りだけはきちんとした設備を揃えているのです。

 大きめのバスタブに、広い洗い場、シャワーも完備。

 入浴の時間はわたしにとって、至福のひとときなのです……が、今日はそんな気分ではありません。

 シャワーを浴びて髪と体を洗い、湯船に肩まで浸かりました。

 体は温まりましたが、心は寒いままなのです。

 口元をお湯に沈めて、ブクブクと泡を立ててみました。

 特に意味はなく、なんとなくやってみたかったのです。

 少しは気が紛れるかと思いましたが、そのようなことはありませんでした。

 再びゆっくりと湯船に浸かり直したわたしは、天井を見上げて息を吐いたのです。

 今頃、セレーナさんはどうしているのでしょうか。

 この雨の中、ダンジョンに向かっているのでしょうか。

 だとしたら、救出する前に体調を崩してしまいそうなのです。

 急激に不安になったわたしは、首を横にブンブンと振って、立ち上がりました。

 浴室を出てタオルで体を拭き、パジャマに着替えたのです。

 この雨では、訓練もお休みですから。

 被害ゼロ、優先なのです。

 そうしてわたしが部屋に戻ると、グラが幟の状態を確かめていたのです。

 濡れても問題ないはずですが、あれはわたしたちの旗印。

 絆そのもの。

 大事にしないといけないのです。

 その想いと同時に、やはりわたしは氷屋なのだと再認識しました。

 なのに……どうしても、胸のモヤモヤは収まってくれません。

 苦しくなったわたしは、ポツリと声をこぼしたのです。


「今日は、もう寝るのです……」

「承知。 おやすみ」

「おやすみなのです……」


 逃げるように自室に入り、ベッドに潜り込みました。

 そうです、寝てしまえば良いのです。

 そうすれば、いつも通りの朝が待っているはずなのです。

 わたしは氷屋、明日もしっかり稼ぐのですよ。

 ……。

 眠れないのです……。

 寝付きは良い方だと思うのですけど……。

 諦めたわたしはベッドで身を起こし、窓の外を眺めました。

 雨雲が空を覆っており、月が見えないのです。

 より一層不安感に襲われたわたしは、気付けば床に足を着けていました。

 そして、導かれるように自室を出て、グラの部屋の前に立っていたのです。

 音は全くしていないので、もう寝てしまったのかもしれません。

 そう考えたわたしですが――


「どうした?」

「ひゃ!?」


 前触れなくドアが開いて、悲鳴を上げました。

 ビ、ビックリしたのです。

 慌てたわたしは反射的に氷ハンマーを生成し、グラの胸元をコツンとして言い放ちました。


「お、驚かせるな、なのです」

「謝罪。 そのようなつもりはなかった」

「も、もう良いのです。 それより……入って良いのです?」


 恐る恐るグラに尋ねると、彼はわたしの顔をジッと見つめてから、身振りで中へと誘いました。

 と言いますか、このような時間に男性の部屋を訪ねるだなんて、ふしだらに思われませんか……?

 いえ、グラがわたしに手を出すなど、あり得ません。

 なんとなくガッカリした気がしましたが……き、気のせいなのです。

 顔が赤くなっていると思いますけど、暗くて見えないはずなのです。

 微妙にぎこちない動作でグラの部屋に入ったわたしは、ベッドにチョコンと腰掛けました。

 すると彼は隣に座り、ゆっくりと問い掛けて来たのです。


「それで、どうした?」

「……わからないのです」

「わからない?」

「はいなのです……。 わたしが今、何をどう思っているのか……わからないのです」

「そうか」

「グラは、どう思いますか……?」


 そこでわたしは、グラの横顔をみつめました。

 彼は正面を見ており、わたしには興味がないかのようなのです。

 グラの態度にわたしは悲しみを覚えましたが……それは早合点だったのです。

 おもむろに手を伸ばしたグラが、優しく頭を撫でてくれました。

 今まで何度もしてもらって来たのに、今回はやけに心が穏やかになったのです。

 それでも根本的な問題は解決出来ておらず、わたしの内側にはずっと、棘のようなものが刺さっている感覚がしました。

 しかし、グラはあくまでも平坦な声を発するのです。


「問。 ネージュ、我らの仕事は何だ?」

「……氷屋です」

「正解。 氷屋の仕事は何だ?」

「街の人たちに、氷を売ることなのです」

「正解。 氷を買ってくれる人たちは、我らにとってどう言う存在だ?」

「大事なお客さんなのです」

「正解。 では、ネージュにとってセレーナはどう言う存在だ?」

「それは……」


 そこで、わたしは言葉に詰まりました。

 わたしにとって、セレーナさんは……昨日会ったばかりの、知り合いなのです。

 氷を買ってくれたのでお客さんでもありますが、少し違う気がするのです。

 これが、答えのはずなのです。

 それなのに……。


「わからないのです……」


 どうしてか、そう口走っていました。

 昨日会って、お茶をして、今朝には家に押し掛けられて、仕事にも付いて来られて、一緒に街を散策して、夕食をともにして、乾杯した……知り合いなのです。

 頭ではこう考えているのに、どうしても納得出来ません。

 そうして、懊悩するわたしにグラは――


「そこに答えがある」

「え……?」

「ネージュ、自分の心から目を背けるな。 本当はキミだって、もうわかっているはずだ」

「グラ……」

「信条を守るのは大事だ。 しかし、ときにはそれを曲げてでも、成さねばならないこともある。 それを見誤るな」

「……はいなのです」


 グラの言ったことを、完全に理解出来たかと言えば、自信はありません。

 ですが、それでも……わたしは、決心したのです。

 胸に手を当てて瞑目し、声には出さず数を数えました。

 1、2、3。

 心を落ち着ける、魔法の儀式。

 グラの受け売りですけど、だからこそ効果は抜群なのです。

 瞳を開いたわたしは、グラに微笑んで言い放ちました。


「グラ、有難うなのです。 お陰で、ぐっすり眠れそうなのです」

「僥倖。 役に立てたなら、良かった」

「グラには、いつもお世話になっているのです。 では、今度こそおやすみなのです」


 そう言ってわたしは立ち上がり、足取り軽く自室へと引き上げるのです。

 グラの部屋を出る直前に振り向くと、彼は軽く手を挙げていました。

 その仕草が少しおかしくて、苦笑してしまったのです。

 先ほどとは打って変わって、清々しい気持ちなのです。

 ベッドに横になったわたしは、再び窓の外を眺めました。

 未だに雲は広がっていますが、その隙間から月の光が差し込んでいるのです。

 それを見たわたしは薄く微笑んで、静かに眠りに就くのでした。











 ネージュのメモ帳


 グラ=最高の相棒

 信条=ときには曲げることもある

 セレーナさん=未記入


 今日の被害=冒険者さん行方不明


 次回目的地=街の公園

次回「幟を掲げ、新ダンジョンへなのです」、明日の21:00に投稿します。

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