第11話 ダンジョン攻略は、管轄外なのです
体力は余裕ですが、心がぐったり。
日が暮れるまでセレーナさんに、わたしとグラは連れ回されたのです。
商業区域を練り歩き、服屋さんやアクセサリー屋さん、本屋さんにぬいぐるみ屋さん。
とにかく、目に入ったところには、片っ端から入る勢いでした。
彼女がここまでアクティブな人だとは、思っていなかったのです。
幟のお陰で涼しかったですが、そうではなければ、今頃汗だくだったと思うのです。
髪の毛、乱れていませんか……?
不安に思ったわたしが頭に触れていると、横からすっとグラが手を伸ばし――半拍。
ゆっくりとわたしの髪を整え、髪飾りの位置も正してくれました。
有難うなのです。
言葉ではなく目でお礼を告げると、彼は小さく頷いたのです。
心が通じ合っているように感じたわたしは、微笑を浮かべていましたが――
「あの、わたしのこと忘れてない?」
不満そうな、セレーナさんの声が耳朶を打ちました。
慌てたわたしですが、表面上は平静を取り繕って言い放ちます。
「忘れていないのです。 覚えていた上でなのです」
「それはそれで酷いんだけど……。 折角、奢ってあげるのに」
「その言い方は、恩着せがましいのです。 有難いのは確かですが、こちらから催促した訳ではありません」
「そうだけど……。 相棒くん、何とか言ってあげてよ」
「承知。 ネージュ、我らはご馳走になる身だ。 相手からの申し出だとしても、感謝を忘れてはならない」
「グラ……。 わかったのです。 セレーナさん、ごめんなさいなのです」
「ホント、相棒くんの言うことはちゃんと聞くのね……。 気にしないで? わたしも、本気で言った訳じゃないし。 今日、付き合ってもらったお礼な訳だし」
苦笑をこぼしたセレーナさん。
そう、わたしたちは今から、彼女にご馳走になるのです。
と言いますか、既にお店にいるのです。
商業区画にある酒場の1つで、周りでは大勢の大人が酒盛りをしているのです。
樽の匂いと油の煙が、雰囲気を演出していました。
当然、未成年であるわたしは飲酒出来ませんけど、食事なら問題ありません。
ちなみに、セレーナさんは22歳だそうなのです。
年上だとは思っていましたが、想像よりお姉さんだったのです。
グラに関しては……秘密なのです。
背の高い丸テーブルを、立ったまま囲んだわたしたち。
すると、何やら芝居掛かった声が聞こえて来ました。
「風の向きに幸福はあるものさ。 だから僕は進むのさ」
酒場のステージに立った、20代後半くらいの青年。
長身痩躯で、深い緑の肩下ミディアムヘアーを、低い位置で一つ結び。
薄い翡翠の瞳が目を引くのです。
亜麻色のシャツ、薄手のロングベスト、乗馬パンツ、軽いストール。
手に持った小型のリュートを、掻き鳴らしていました。
吟遊詩人の、ソネさんです。
お客さんたちの受けは悪くありませんが、わたしはすぐに目を逸らして告げました。
「そろそろ、何か食べたいのです」
「わかった、わかった。 でも、もう少し待って? 順序は正しくしないとね」
「むぅ、セレーナさんは、そればかりなのです」
「信条だもの。 貴女たちにだってあるでしょう?」
「……被害ゼロ」
「優先」
「ふふ、息ピッタリね。 そう言うことよ」
心底楽しそうに、セレーナさんは笑いました。
あまり言いたくありませんが、認めざるを得ないのです。
わたしが何とも複雑な表情で黙っていると、ようやくして店員さんが飲み物を運んで来てくれたのです。
わたしはオレンジジュース、グラはアイスコーヒー、セレーナさんは果実酒。
なんだかわたしだけ子どもっぽいですが、致し方ないのです。
そうして、全員分の飲み物が揃ったのを確認したセレーナさんは、グラスを掲げて言いました。
「じゃあ……乾杯!」
「……何に乾杯なのです?」
「えっと……細かいことは気にしないの! こう言うのは、ノリが大事なんだから!」
「良くわからないのですが……」
「ネージュ、難しく考えなくて良い。 寝起きのように、頭を空っぽにしろ」
「だ、誰の寝起きが、頭空っぽなのですか!」
あまりにも失礼なグラの物言いに、氷ハンマーで肩をコツン。
まったく、わたしを何だと思っているのですか。
ですが……。
「……やってみるのです」
「うんうん、それで良いのよ。 じゃあ、改めて……乾杯!」
「……乾杯、なのです」
「乾杯」
丸テーブルの中央で、カチンと軽くグラスを合わせました。
なんだか、不思議な感覚なのです。
乾杯なんて、グラとすらした覚えがないのです。
何故か恥ずかしくなったわたしは、グラスで顔を隠すようにチビチビとオレンジジュースを飲みました。
それからは順番に料理が運ばれて来て、3人で食事を楽しんだのです。
どれも美味しくて、思わず唸ってしまいました。
グラも興味深そうにしており、何事かを考えていたようなのです。
話の中心は、やはりと言うべきかセレーナさん。
わたしとグラが、どちらかと言えば静かなタイプというのもあるでしょうが、彼女は話すのが好きらしいのです。
お酒が入っていたことも、多少は関係しているかもしれませんが。
周りの雰囲気もあって、わたしも段々と楽しくなって来ました。
初めての経験の連続ですが、グラの言っていたように、悪くありませんね。
やっぱり、グラは凄いのです。
わたしが内心で、改めて相棒を称賛していた、そのとき――
「聞いたか? 新ダンジョンに向かった冒険者パーティが、誰も帰って来ないんだってよ」
「らしいな。 結構、名のある冒険者もいたみてぇなんだけどなぁ」
「取り敢えず、ヤバそうだな。 俺たちは、近付かない方が良さそうだ」
「だな。 命あっての物種って言うしよ」
などと言う、ご飯が美味しくなくなる話が聞こえて来ました。
彼らに悪気はなさそうでしたが、効果はてきめんなのです。
それまで楽しそうにしていたセレーナさんの顔が、あからさまに強張りました。
明らかに平静を失っており、今にも酒場を飛び出しそうなのです。
どうすれば良いかわからないわたしは、不安げに見守るしかなく――白い呼気。
この近辺の温度だけが少し下がり、ハッとした様子のセレーナさんが、グラに振り向きました。
それを受けた彼は、静かに言葉を紡いだのです。
「1、2、3……落ち着け。 焦ったところで、良いことはない。 急を要するなら、余計に冷静であるべきだ」
「……そうね、ごめん」
「謝る必要はない」
そう言ってグラは、アイスコーヒーに口を付けました。
対するセレーナさんは、沈痛な面持ちで俯いていましたが、次いでこちらを決然とした眼差しで見つめて来たのです。
その後の展開は、語るまでもないでしょう。
「氷屋さん、お願い。 わたしと一緒に、ダンジョンに行ってくれないかしら」
「……何度言われても、駄目なのです。 わたしは、氷屋なのですから。 ダンジョン攻略は、管轄外なのです」
「人の命が懸かってるのよ? 今ならまだ、助けられるかもしれないわ」
「だとしてもなのです。 わたしは、どこの誰とも知れない人の命より、自分とグラの生活を守りたいのです」
必死に頼み込んで来るセレーナさんと、真っ向から視線を絡めました。
彼女の気持ちは、わかっているつもりなのです。
それでも、わたしにはわたしの、超えられない線があるのです。
その想いを込めて見つめていると、やがて彼女は大きく溜息をつきました。
そして、困ったように笑いながら告げたのです。
「それが、貴女の順序ってことね。 だったらこれ以上、無理強いは出来ないわ。 一応聞くけど、相棒くんも同じ考えなの?」
セレーナさんに問われたグラは、沈黙を選択していました。
熱くも冷たくもない、無の表情。
諦めた様子のセレーナさんは、丸テーブルに多めの代金が入った革袋をジャラと置いて、踵を返したのです。
その背中に、気付けばわたしは問い掛けていました。
「1人で行くつもりなのですか?」
「今から救出隊を要請していたら、手遅れになるかもしれないからね」
「……どの道、もう手遅れかもしれません」
「そうね。 でも、まだ生きてる可能性もある。 全員は無理でも……順序を間違えなければ、救える命はあるはずよ」
「貴女自身の命が危険に曝されても、ですか……?」
「簡単に死ぬつもりはないわよ。 ただ、助けられるかもしれないのに、見て見ぬふりをするのは嫌なだけ」
「……そうですか」
もう、無駄なのです。
この人は、わたしが何を言っても翻意しないのです。
何が正解かわからず、俯いてしまいました。
きっとセレーナさんは、手を貸さないわたしを軽蔑したのです。
それでも、わたしは自分の主張を曲げるつもりはないのです。
……辛くないと言えば、嘘になってしまいますけど。
ところが――
「有難う、氷屋さん、相棒くん」
「え……?」
「今日1日、付き合ってくれて。 こんなに楽しかったの、久しぶりよ」
「セレーナさん……」
「無事に帰って来れたら、また遊びましょうね」
満面の笑みで振り向いた彼女は、それだけ言い残して、颯爽と歩み去りました。
その姿が見えなくなっても、わたしは入口から目を離せませんでしたが、何かを振り切るようにポツリと言葉を落とすのです。
「わたしは氷屋……なのです」
そのことに、わたしは誇りを持っているのです。
誰にも文句は言わせないのです。
必死に胸中で呟いていると、グラが淡々と声を発しました。
「ネージュ、帰るぞ」
「……はい、なのです……」
精算を終えて酒場を出たわたしたちは、並んで家に向かいました。
セレーナさんがいなくなり、これで日常に戻ったと言えます。
ですが……全然、嬉しくないのです。
悶々とした気持ちが収まらず、胸元でギュッと手を握りました。
隣を歩くグラを見上げても、彼は何も言いません。
ただ真っ直ぐと、正面を見据えているのです。
いつものことですが、それが今は寂しかったのです。
頬に、水滴が落ちました。
空を見上げると、小雨が降り始めているのです。
まるで、今のわたしの心情を、現わしているかのようなのです。
視線を下ろしたわたしは、体を引き摺るようにして歩を連ねました。
ネージュの帳簿
残り氷柱=完売
今回収入=+0メル
前回までの収入=+4,000メル
今回支出=-0メル
前回までの支出=-0メル
―――――――――――――――
収支総合計=+4,000メル
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次回目的地=自宅
次回「胸のざわめき、数える3つなのです」、明日の21:00に投稿します。
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