第9話 朝の襲撃者、歩く広告塔なのです
窓から差し込む日差しと6時を知らせる鐘が、情け容赦なくわたしを目覚めさせたのです。
むぅ、忌々しいのです。
いえ、まぁ、寝坊するよりはマシなのですけど。
不意に窓の外を眺めると、理由もなく胸がざわめく感覚がありました。
きっと気のせい……なのです。
口に手を当てて欠伸をしながら、ベッドの上で軽く伸びをしました。
うぅん、昨日は頑張ったので、少しだけ疲れが残っているのです。
しかし、氷屋たるもの、その程度で挫ける訳には行きません。
鋼の精神でベッドから降り立ったわたしは、部屋の洗面所で顔を洗って歯磨きをして、パジャマから着替えました。
髪はボサボサですけど、これで良いのです。
わたしにとっては万全の状態を作り、部屋を出ました。
「あ、おはよう」
「おはようなのです」
朝の挨拶をして、食卓に着くのです。
クロワッサンに小さなバターが添えられ、健康を考えられたサラダと、コンソメスープ。
今朝も美味しそうなのです。
用意してくれたグラが、エプロンを外しながら向かいの席に座り、隣には――
「……て、何故いるのですか!?」
紅茶を嗜んでいるセレーナさん。
思わず席を立って叫んでしまいましたが、わたしに非はないのです。
いるはずのない人が家にいたら、誰でもこうなるのです。
ところが彼女は、いけしゃあしゃあと言いやがりました。
「何故って、言ったじゃない。 また会いましょうって」
「言いましたけど、翌日の朝とは聞いていないのです!」
「そうだったっけ? まぁ、良いじゃない」
「良くないのです! 帰るのです! グラ! どうして家に上げたのですか!?」
「説明。 彼女はクロワッサンを差し入れてくれた。 更に、あとで氷を買ってくれるそうだ」
「だからって……!」
「まぁまぁ、落ち着いて? 折角なんだし、一緒に食べましょうよ」
「何が折角か説明してみやがれなのです!」
肩を怒らせて、怒鳴り散らかしました。
朝から余計な体力を使ってしまったのです。
ですが、この時間はわたしにとって、非常に大切なのです。
グラと2人きりの、心休まる時間なのです。
だからこそ、余所者には出て行ってもらって――グラの口から漏れる、白い呼気。
わたしの周囲の温度が僅かに下がり、頭が冷えた気がするのです。
すると、グラが口を開きました。
「ネージュ、恩には報いるべき。 セレーナには、昨日に引き続き今日も世話になった。 そして、我らは氷屋。 氷を売るのは当然のこと」
「……グラは、何とも思わないのですか? 他人と一緒でも、平気なのですか?」
「肯定。 ネージュも、たまには我以外の人物と関わるべき」
「……余計なお世話なのです」
わたしは、グラさえいればそれで良いのです。
などということは、口に出来ません。
悲しくなって、涙が溢れそうになりました。
そのとき――
「……!」
「案ずるな。 我にとって、ネージュが特別なのは動かぬ事実。 ただ、見分を広げて欲しいだけだ」
いつの間にか席を立っていたグラが、わたしの傍に来て頭を撫でたのです。
いつもそれで誤魔化されるとは、思わないで欲しいのです。
ただ……今回は許してあげるのです。
溜息をついたわたしは、自分の席に腰を下ろしました。
それを見たグラが椅子に座り直すのを待ってから、セレーナさんに向かって渋々口を開くのです。
「仕方ないので、今日だけは一緒に食べるのです。 今日だけは」
「大事なことだから、2回言った感じね……」
「文句あるのです?」
「いいえ。 それより、髪はそのままで良いの?」
「大丈夫なのです。 あとで、グラに整えてもらうのです」
「ふーん。 相棒くんにねぇ」
「……何か?」
「別に? 自分の髪を任せるだなんて、よっぽど信頼してるんだなって感心しただけよ」
「グ、グラは相棒なのですから、当然なのです」
「それにしたって、限度があると思うけど」
「う、うるさいのです。 早く食べるのです」
「はいはい」
「はいは1回なのです!」
まったく、一々喧しい人なのです。
ですが……こんなに大声を出したのは、久しぶりかもしれないのです。
良いことだとは言い切れませんが、新鮮な体験なのは否定出来ません。
これが、見分を広げるということなのです?
チラリとグラを窺うと、バッチリ目が合ったのです。
そして、彼は軽く頷きました。
どうやら満足しているようですが、わたしには良くわからないのです。
その後は、大人しく朝ご飯を食べました。
悔しいですけど、クロワッサンは美味しかったのです。
それから、セレーナさんがいても、意外と空気は悪くなかったのです。
大して会話はありませんでしたが、彼女の人柄によるものでしょうか。
だからと言って、今後も一緒にとはなりませんけど。
朝食を食べ終わったわたしは、片付けをしてからグラに呼び掛けました。
「グラ、準備するのです」
「承知」
いつものように、化粧タンスの前に腰掛けるのです。
すぐにグラは櫛を手に持って、髪をとかしてくれました。
それは良いのですが……。
「……何か言いたいことがあるのです?」
セレーナさんにすぐ近くで観察されて、居心地が悪いったらありゃしないのです。
しかし彼女はすぐに答えず、本気で感心したように声を落としました。
「相棒くん、本当に上手ね。 ビックリしちゃった」
「ふふん。 グラは何でも出来るのです」
「否定。 我にも出来ないことはある」
「そうかもしれませんが、わたしの期待を裏切ったことはないのです」
「肯定。 我は、ネージュを裏切らない」
優しく髪を扱いながら、何でもないように誓ってくれるグラ。
正直、とても嬉しかったのです。
目を細めて、幸せな気分になっていましたが――
「わたしも、明日からお願いしようかしら」
「絶対駄目なのですッ!」
「じ、冗談よ、冗談。 そんなに怒らなくても良いじゃない」
体ごと振り向いて却下すると、セレーナさんは胸の前に手を挙げて苦笑を浮かべ、僅かに仰け反っていました。
まったく、何を考えているのですか。
グラが他の女の人の髪を手入れするなんて……考えたくもないのです。
改めて腰を落ち着けて鏡を見据えると、ムスッとした自分と相対しました。
心地良かったのが、台無しなのです。
不満で仕方ありませんでしたが、そこに頭上から落ち着いた声が聞こえました。
「ネージュ、六花を」
「あ……はいなのです」
髪のセットが終わり、グラに髪飾りを渡しました。
丁寧な手付きで受け取った彼は、いつも通り完璧な位置に付けてくれたのです。
やはり、これがないと締まらないのです。
崩れないようにそっと触れると、なんとなくホッとしました。
パーフェクトネージュとなったわたしは立ち上がり、颯爽と工房に向かったのです。
「今日も、しっかり稼ぐのですよ」
「承知」
グラの返事を背中で聞いて笑みをこぼし、工房でいつも通り氷を生成。
彼が運んで来た籠に、手早く詰めて行きました。
その様子をセレーナさんは他人事のように眺めていましたが、そうはさせないのですよ。
「セレーナさん、こちらへ来て下さいなのです」
「うん? どうしたの?」
「約束の氷を売るのです」
「あ、そうだったわね。 100メルだっけ?」
「2,000メルなのです」
「……え?」
「2,000メルなのです」
「いや、聞こえてはいたんだけど……。 なんでそんなに高いの?」
「1か月用は2,000メルなのです。 看板を見ていないのですか?」
「確かに書いてたけど……。 わたし、1日用のつもりで……」
「それならそうと、言ってくれないと困るのです。 こちらはもう、1か月用を作ってしまったのです。 キャンセルしたいなら、倍額なのです」
「……はめたわね?」
「何のことやら、なのです」
「はぁ……わかった、払うわよ」
「毎度ありなのです」
「この場合、ポイントカードはどうなるの?」
「あれは、1日用を買ってくれたとき限定なのです」
「あ、そう……」
何やらげんなりしているセレーナさん。
ちゃんと確認しないから、そうなるのですよ。
グラも呆れ返っているようでしたが、気にしないのです……と、思いましたけど……。
「……やっぱり、今回はスタンプを1つ押すのです」
「え? 良いの?」
「特別なのです。 その代わり、今度は1日用を買うのです」
「えっと……一応、有難う」
苦笑気味にお礼を言って、ポイントカードを差し出すセレーナさん。
そこにわたしは、六花印をポンと咲かせます。
笑みを深めた彼女は、ポイントカードを仕舞いました。
それから、1か月用の氷とレシートをセレーナさんに渡したわたしは、満面の笑みで言い放ったのです。
「有難うなのです。 毎日買ってくれるなら、明日も来て良いのです」
「いや、それは流石に無理と言うか、1か月用を何本も買ってどうするのよ」
「それはどうぞご自由になのです」
「まったく、もう……。 ほら、そろそろ出発するんでしょ?」
「そうですけど……まさか、付いて来る気なのですか?」
「1か月用を買ってあげたんだから、断ったりしないわよね?」
「……わかったのです」
本当は断りたかったですけど、それは不義理過ぎると考え直したのです。
グラの様子を見ると、肩を竦めるだけでした。
まぁ、特例のスタンプはこう言うときのことも、想像しての行動だったのです。
それに……使えそうなのです。
内心でニヤリと笑ったわたしは、グラとともに玄関に並び立ちます。
そして、彼が担いだ籠に幟を取り付けました。
これがないと、商売は始まらないのです。
周囲の温度が2度ほど下がり、戸を開け放ちました。
横目でグラとアイコンタクトを取り――半拍。
同時に口を開くのです。
『1、2、3……出発』
「被害ゼロ」
「優先なのです」
いつもの合言葉を呟き、外に出ました。
既に街は活気付いており、賑やかな声が聞こえて来るのです。
少し離れた場所から、「あ、氷屋だ。 ……て、セレーナさん!?」などといった声も、上がっていました。
やはり、彼女は目立つのですね。
計算通りなのです。
さぁ今日も、完売を目指すのですよ。
胸中で気合を入れたわたしが戸締りを確認していると、クスリと笑ったセレーナさんが言葉を連ねました。
「それ、出掛けるときも言ってるのね」
「悪いのですか?」
「ううん、良いと思うわよ。 1、2、3……出発、か。 わたしもやってみようかな」
「真似するな、なのです」
「ふふ、わかってるわよ。 ほら、行きましょう。 最初はどこを回るの?」
「……商業区画なのです。 それから、定期購入のお客さんの家に配送するのです」
「なるほどね。 その順序……正しいわ。 こう言うの初めてだから、ちょっと楽しみかも。 相棒くんも、よろしくね」
「よろしく頼む」
「よろしくするな、なのです!」
向かい合って挨拶を交わしていた2人の間に割って入り、氷ハンマーでグラの肩をコツン。
少し強めになってしまいましたが、仕方ないのですよ。
そんなわたしに向かって、呆れた様子でセレーナさんが、失礼なことをほざきました。
「もう、独占欲強いわね。 余裕がない女の子は、嫌われるわよ?」
「な……!? も、もう良いのです!」
ズンズンと足を踏み出したのです。
もう、セレーナさんが来てから、ペースを乱されっ放しなのです!
グラが平然としているのが、余計に腹が立つのです!
ただ……心底は憎めません。
いまいち心の整理が付きませんが、とにかく氷を売るのです。
そうすれば、きっと落ち着くのです。
自分を納得させたわたしは、通りを歩き始めました。
いつもとは違う、スタート。
しかし、わたしは知らなかったのです。
このとき既に、事態は動き出していたことを。
先ほどまで晴れていた遠くの空に、渦雲が静かに膨らんでいました。
ネージュの帳簿
残り氷柱=20本
今回収入=+2,000メル(1か月用氷柱1本販売)
前回までの収入=+0メル
今回支出=-0メル
前回までの支出=-0メル
―――――――――――――――
収支総合計=+2,000メル
歩く広告塔 (セレーナさん)←売上貢献に期待
次回目的地=商業区画
次回「市場で仕入れなのです」、明日の21:00に投稿します。
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