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言葉遊びをご飯に添えて

それが、クッキーの崩れ方

作者: 雪解雫

「現状維持では、後退するばかりである」


その言葉は、どういうわけか私の耳の奥に残っていた。

いつか、テレビで聞いたこの言葉。確か、有名なねずみのキャラクターの作者が残した言葉だったはずだ。夢の国の作者なのに、言ってることは夢を見させてくれないんだなと思ったのを覚えている。そんな言葉が、最近ことあるごとに顔を出す。


就職して三年。同期はどんどん昇進試験を受けたり、転職を決めたり、結婚したりしている。皆生きる理由を持っていて、明日の予定も、明後日の予定も、次の休みの予定まで決まっている。

仕事をしている以上、自然と予定は入るものだけれど、どれもやりがいを感じられない。もちろん休みの日の予定なんかない。学生時代だって、行事に勉強に日常に恋、全てに一生懸命な皆の中で、私だけがなんだか取り残されていた。冷めてるやつだと思われていたんだろう。同情したのか、それとも同類だったのか、声をかけてくる人はいたけど、今でも関係の続く友達は一人もいない。


任された仕事は普通にこなしているけれど、人と関わるのは好きじゃないし、大きな仕事も荷が重い。まぁ、大きな仕事なんて、任されたことないんだけど。こんな消極的なやつには、誰も仕事を任せたくないってことなんだろう。


別に不満があるわけじゃない。でも特にこれといった成果もないし、死ぬ理由がないからなんとなく生きているような、生きる意味の見つけられない人間だ。友達がいないんだから、もちろん恋人もいない。


唯一嫌なのは、同窓会で近況を語るとき、いつも「まあまあ」「ぼちぼち」としか言えない自分。そんな時あの言葉が蘇ってくると、さらに最悪だ。


みんなが進んでいる。私は立ち止まっている。

つまり、後退しているのだろうか。


前へと進む電車の中、私は手すりにつかまって揺られていた。誰の事も公平に、前へと連れて行く。人生にも、こんなシステムがあったらいいのに。


でも、現実はそうはいかない。誰も降りない小さな駅で降車する。蛍光灯がチカチカと点滅していた。


その不確かさがちょっと嫌な感じを胸に残した。だから、煌々と光を放ち続ける駅前のコンビニになんだか惹きつけられてしまって、クッキーを一つ買った。

チョコチップ入りの、ちょっと固いやつ。

なんだか帰るのが面倒で、イートインで食べることにした。なんでそんなことをしたのかはわからない。コスパ悪いのに。机に肘をついて一口かじったら、ぼろっと欠片がこぼれて、落ちた。


「それが、クッキーの崩れ方」


誰に言うでもなく呟いて、少し笑った。

アメリカの映画で聞いたセリフの直訳だ。

「That's the way cookie crumbles」

――人生は思い通りにいかない、仕方ない。そんな意味だったはず。


思い出そうとしても、なんの映画だったかはもう覚えてない。

主人公の顔すら出てこないし、他のシーンも出てこない。

そういえば、一時期洋画をよく見てたんだっけ。

きっかけも覚えてないし、別にハマってたってほどじゃない。

でも、ちゃんとこの言葉だけは取り出せた。


クッキーの欠片から、チョコチップだけ取って食べる。

舌の上の甘さは、すぐ消えた。でも、久しぶりにほんのちょっと幸せだったような。


崩れた欠片は、どうやっても元の形に戻らない。

けれど、拾って食べればちゃんと甘い。

だったら、崩れ方にも意味はあるのかもしれない。


翌朝、少し早起きして、会社へ向かう電車を一本ずらした。

いつもよりすいている車内で窓の外を眺めていると、心が少しだけ軽くなる。

立ち止まってもいい。後退したっていい。


どうせ人生は、クッキーみたいに崩れていくんだから。

大事なのは、崩れたその一片を、ちゃんと自分で味わえるかどうか。


そう思ったら、進んでいないはずの自分が、少し前に進んだ気がした。


気がしただけ、かな。

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