第七話 初めての取引?(2)
素材店を出たアイリとジルは、それぞれ小さなショルダーバッグを背負い、手元には金貨二枚と銀貨六枚が残っていた。
「さて……そろそろ休める場所を探そうか。ジル、まだお店見たい?」
「んー、大丈夫~」
「じゃあ、お部屋探しに行こっか」
「賛成っ!」
ジルは満面の笑みでうなずいた。
二人はトピッドの教えてくれた方向を頼りに、道すがら何人かの遺忘者にも道を聞きつつ、ついに町の宿屋にたどり着いた――その名も『眠りの地』。
外観は他の建物と同じく、灰色の岩を積み上げた重厚な造り。
そして、人間の町とは異なり、遺忘者たちの宿泊スタイルには独自のルールがあった。
というのも、彼らは一度眠ると十日や半月は平気で眠り続けるため、宿泊は「月単位」での契約が基本。
期間内であればいつ使ってもいいが、設備の破壊は禁止。月に一度、スタッフが部屋の清掃と点検に来るという仕組みになっている。
その料金は――銀貨三十枚。
日割りにすると、一日につき一枚。決して安いとは言えないが、今のエリィの所持金ならなんとか支払える額だった。
一ヶ月分の宿泊料を払ったあと、案内された部屋はとてもシンプルだった。
小さなテーブルと椅子、そして広めのダブルベッドが一つだけ。
もちろん、トイレなんてものはない。なにしろ住人は屍体だ。用を足す必要なんてないのだから。
スタッフが部屋を出て行こうとしたその時、アイリはふと思い出したように声をかけた。
「あの……お風呂って、ありますか?」
転生してからというもの、ろくに体を洗う機会もなかった。
生前の習慣が、未だに抜けきらない。
スタッフは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて答えた。
「……新人さんだね?」
「うん、そうです」
「この大陸はね、水がとっても貴重なんだ。生者の町みたいに、気軽にお風呂に入れるわけじゃないよ。最初は慣れないかもしれないけど、すぐ慣れるさ」
「……そうですか」
アイリは少し残念そうに、そっとため息をついた。
そんな彼女の様子を見たスタッフは、少しばかり心を痛めたのか、声をひそめるように言った。
「でもね、もし体を拭くだけでいいなら――水を買えばなんとかなるよ」
「水って、おいくらですか?」
「洗面器一杯分で……銀貨三枚だよ」
――高すぎる。
生者の大陸なら、銀貨一枚で何百リットルもの水が手に入るというのに。
ここでは、たった一杯の水がその価値だ。
「二杯、ください」
「了解。すぐに届けるね」
スタッフが出て行ったあと、アイリとジルは部屋に戻った。
「やったー! やっと部屋に泊まれる~!」
ジルは嬉しそうに声を上げた。
普通の遺忘者の新入りなら、とてもじゃないがこんな生活はできない。
宿に泊まるどころか、水すら買えない者も多く、ほとんどが広場の隅に転がって眠るのが常だ。
仮に日雇いの仕事をしても、稼げるのはせいぜい銀貨一枚程度。
もし不死者にも食事が必要だったら、すでに飢え死にしている者も少なくないだろう。
アイリのように、初期から高ランクのゾンビやスケルトンを倒せるような魔法の才能を持つ者は……まさに百人に一人の逸材だ。
やがてスタッフが戻り、水を入れた洗面器二つとタオルを届けてくれた。
使い終わった水は、部屋の外に出しておけば回収されるという。
二人はまったく恥じる様子もなく、部屋の中で体を拭き始めた。
水が少ないため、完璧にきれいにはなれないが、それでも心も身体もずいぶんとすっきりした。
「……これからは、そう簡単に水浴びもできないだろうな」
アイリはぽつりとつぶやいた。
(せめて今日は、少しだけ贅沢を)
身支度を整えたあと、二人は並んでベッドに寝転がった。
やや硬めのマットレスだったが、遺忘者にとっては十分すぎるほど快適だ。
何よりも――久しぶりの布団。
転生して以来、初めて触れるやさしい感触だった。
ついに、アイリは転生の塔を出てから「初めての安らぎの空間」を手に入れたのだ。
ここまでの数日間、彼女はずっと神経を張り詰めていた。
ジルの面倒を見ながら、周囲の安全確認を怠らず、常に気を張っていた。
「……ジル、おやすみ」
「うんっ! おやすみ、姉御!」
そう言葉を交わしたあと、アイリはすぐに深い眠りへと落ちていった。




