第四話 そのトロールですか?(2)
「ん?」
アイリは首を傾げた。
遺忘者の視力は非常に優れているが――
それでも、目の前に現れた異様に太ったシルエットは、あまりにも遠すぎて輪郭が見えなかった。
とはいえ、彼女は臆することもなく、ただ好奇心を刺激されたように目を細めた。
「なにあれ~? ここらの敵っていつもガリガリ骸骨か、ぐちょぐちょゾンビばっかだったから……あれ、ちょっと珍しいかも?」
それにしても、動きが遅すぎる。
そのデブ影が近づくまでに30分以上もかかった。
ようやく姿をはっきりと確認できた頃――
距離はまだ十数メートルもあった。
そして、現れたその姿は――
どこからどう見ても、「グロい」の一言だった。
縫い目だらけの巨体。
腹の肉はえぐれて中の臓器が丸見えなのに、なぜかこぼれ落ちず……
歩くたびに、緑色の粘液がどろりと垂れてくる。
頭部はつるっ禿げ。
片目は飛び出し、もう片方はくぼんで見えない。
それでもアイリの顔には、何の嫌悪感も浮かばなかった。
(うーん……不死者になってから、見た目に対しての耐性すごいな)
「……たぶん、トロールのアンデッドだね?」
こっちに気づいてるのは明白。
だが、そのデブトロールは逃げるそぶりもなく、淡々と近づいてくる。
アイリは静かにドリンクを片付け、
スコップを構えた。
隣で寝ているジルを起こすつもりはなかった。
自分ひとりで、十分――
魂の炎が、どくどくと脈打ち始める。
「もしかして、生前の私は戦闘狂だったのかな……?」
そんな疑問が一瞬よぎったが、
彼女の手のスコップはすでに――戦闘モード全開だった。
ついに、トロールが10メートル先まで近づいた。
そして、その巨体が口を開いた――
「アァ……」
……その声が、合図となった。
「魔法使いチャージ!」
アイリの姿が、閃光のごとく消えた。
トロールの目には、本来まだ距離のあった小さな死体が、一瞬で目の前に現れ――
その加速を活かして、手にしたスコップを振り下ろそうとしていた。
「ヒッ――!?」
思わず腕を頭上にかざす。
ドガッ!
スコップがトロールの腕に激突。
だが、皮膚は想像以上に硬い。
強烈な反動がアイリを襲い、
魂の火が一瞬、グラついた。
「くっ……!」
空中での後方回転――
落下するその途中、
アイリの指先から放たれたのは紫の閃光!
「シャドウアロー!」
だが、トロールは意外と素早く反応し、
左手で「パァンッ!」と打ち払った。
攻撃は無効――
アイリは静かに地面に着地し、手にしたスコップをわずかに持ち上げる。
第二波の攻撃は、すでに準備万端だった。
その構えに、トロールもようやく声を発した。
「ま、待って――!」
しかし、アイリは止まるつもりはなかった。
アイリの姿は、すでに消えていた。
「チャージ、再発動!」
一瞬で間合いを詰め、
今度はスコップの刃を――臓器が露出した腹部へ。
「ヤバい……!」
トロールも必死だった。
防御など間に合わない。
アイリのスコップを、右腕の拳で叩き落とす!
「ちょっ、スコップ壊れるッ!」
大切な装備への危機感が、アイリの判断を変える。
攻撃方向を変え、連続魔法――!
パパパパッ!!
シャドウアローが連射される。
だが、トロールの巨体には傷一つ付かない。
《シャドウアロー》の残光が消えた瞬間――
……あれ? さっきまで突っ込んできた、あの小さな死体が――消えた?
ま、まさか――!
トロールがハッとして上を見上げたその時、
視界いっぱいに“何か”が迫ってくる。
それは――スコップ。
「ドゴォン!!」
凄まじい衝撃音とともに、スコップがトロールの頭部を直撃。
「……なるほど、上に――」
そう思った瞬間、トロールの意識は、静かに闇へと沈んでいった。