1 アルデウス王国
夜も更ける中、王宮の裏門から宮殿内へ一台の馬車が入っていく。門をくぐった馬車は、点々とともる明かりの中、王族が住まうエリアへ続く道を進む。
しばらくすると、年配の侍女らしき女性が待つある入口の前で停まり、馬車から、フード付きの黒いローブを羽織った女性がすっと降り立つ。
「お待ちしておりました。ロザリオさま。王がお待ちです」
「ありがとうございます」
「……石は……」
「はい。今回も確かに」
フードからのぞく金に輝く髪、意思の強さを宿す群青の瞳。彼女の名前は、ロザリオ・グロスター。この国の影の任務を担う侯爵令嬢である。
影の任務。それは、代々グロスター家に受け継がれる特別な能力ゆえの役割。死の世界に逝った者と言葉を交わせる能力と、そして、あの異世界へと渡れる力。
*****
ロザリオを王の元へ案内するのは、王付き侍女のアレクシア。年齢はもうすぐ八十にとどく。前王からも信頼があつく、現在の王の側にもつき、王宮内の情報はもちろん、市井の情報にも広く情報網を持つ、王の懐刀的存在の侍女だ。
アレクシアが、二人の衛兵が立つ重厚な扉をたたく。
「ロザリオさまが参りました」
すると、扉が開かれ、王の私室のひとつへ通された。
「人払いを」
アレクシアが部屋の中にいる者たちに伝え、自分もお茶の準備のために部屋から出ていく。
部屋の中には、王とロザリオのふたりだけになった。
「お呼びにあずかり光栄です。ラウール王」
そう言いながら美しいカーテシーで、王へ挨拶をするロザリオ。
「顔を上げよ。もう態度をくずしていつものようにしてくれロザリオ」
「では」
ロザリオは、羽織っていたローブをぬぐと、部屋着でくつろぐ王の向かい側のソファへ座り、にっこりと微笑んだ。王もまるで自分の娘を見るような優しい目ロザリオを見ている。
「明日、ラウラレ界に石を収めにいってもらう」
と言いロザリカに箱を渡す。
「最近の街の様子はどうだ。なにか不可思議な出来事など起こっているか」
「はい。墓地に咲く、不思議な花が。夜になると、その下に眠っている人の言葉を伝えると言うのです。それに喜ぶ人もいれば恐れる人もいて。街は密かに噂になっています」
「墓地に咲く花……。それは誰でも見ることができるのか」
「はい。咲いている時にその場に行けば、誰もが見ることができているようです。ただ、昼夜問わずいつ花が咲くは分からず……。たまたまその場に居合わせた人が見ているのです。そのため、恐ろしがって墓地に近づかない者もいれば……」
「ん? どうした?」
「……亡くなった人に会いたいという一心で、墓地に通う人もいるようです」
「会いたい、か……。例えば?」
「未解決事件で家族が殺された遺族……。病気で子供を亡くした母親……。夫が遺言を残さずに亡くなった未亡人……」
そういう話すロザリアの目に、暗い影が落ちる。
「気持ちは分かるのです。でも、だからといって、その気持ちにとわられすぎて、墓地に通い続けるというのは……。仕事もなげうって、いつ咲くとも分からない花にすがることは、果たして良いことなのでしょうか」
「ロザリア、お前は見たのか、その花を」
「いえ。見ていません。ただ……」
「ただ?」
「わたくしが石を、石を持ち帰ってきた三~五日後に、花が咲くようなのです。初めはわたくしは花のことも知りませんでしたし、石との関係など、考えもしなかったのです。でも、話を聞いていくうちに、花が咲いたと思われる日は、私が石を持ち帰ってきた三~五日後の気がして。きちんと調べて統計を取ると、間違いありませんでした」
このことを聞くと王の顔に驚きの影が落ちた。
「あの石に関係している、というのか……。まさか……。いや、信じられん」
王とロザリアの間に沈黙が流れる。
すると、扉の外から、重苦しい空気に風が流れるようなアレクシアの優しい声が聞こえた。
「お茶のご用意ができました。よろしいでしょうか」
王はため息と一緒に「入れ」と声をかける。
湯気が立つポットと、王宮の庭だけに咲くバラのモチーフがあしらわれたティーカップが載せられたワゴンを押しながら、アレクシアが入ってくる。彼女が淹れるお茶は、王族たちが認めるおいしさを誇る。香りはもちろんのこと、どの茶葉を使っても、その茶葉の香りと効力が飲む者の全身を包み込んでくれるようなのだ。
「本日は、オレンジピールとカモミールを合わせたものになっております。よろしいでしょうか?」
「ぜひ」
ロザリオは、満面の笑みでこたえる。
「わたくし、いつも思っているのです。アレクシアは魔法を使えるのでないかと。そうでなければ、このおいしさを作ることはできないと思うのです」
アレクシアは、「なにを言っているのか」という微笑みを浮かばせながら、お茶を淹れたカップをふたりに運ぶ。
部屋の中に、オレンジのさわやかな香りが広がり、先ほどまでの沈んだ空気を洗い流してくれるようだった。
「ロザリオさま。石をお預かりしてよろしいでしょうか」
お茶でひと心地ついた頃合いを見計らって、アレクシアが切り出す。
ロザリオはうなずいて横に置いた長方形の小箱を手に持ち、フタを開く。箱の中に置かれているのは、紫色の光を帯びたこぶし大の石が一つ。
「今回も無事、石の生命の交換ができておりました」
「うむ。任務ごくろうであった。なにか変わったことはあったか?グラダナス殿は健勝であるか?」
「グラダナスさまはいつものように眠っていらっしゃいました。ただ、側近の方がおっしゃるには、最近何者かが、プラチナチェーンのボックスのいくつかに侵入しようとした形跡があるそうなのです」
「うーむ。で、グラダナス殿はなにかおっしゃっているのか」
「グラダナスさまは、今はまだ気にせずに様子を見ようとのことです」
「そうか。分かった。では、こちらも動かずに様子を見ていこう。ロザリオよ、お前には大きな負担をかけて申し訳ない。誰も手伝ってやれぬのがつらい」
「いえ。そんなことはございません。この仕事はわたくしの生まれ持った使命です。それにわたくしは、影の役割を気に入っておりますので、どうかお気遣いなきよう」
そう言ってロザリオは笑顔を返した。
*****
この王国アルデウスは、次元の異なるゲーム界といわれている「ラウラレ界」とお互いの持つエネルギーを交換し、それぞれの存在を支え合っている。そのエネルギーの素となっているものが、ギャロファーと呼ばれる『石』だ。
アルデウスの石とラウラレ界の石はを99~111日ごとに交換することで、それぞれの国のエネルギーを石に移し合う。それにより、それぞれの世界のエネルギー得て各々の世界の存在を維持させている。
そして、この光る石をアルデウス王国からラウラレ界に運ぶ役割を担うのが「影」。「影」以外の人間は、ラウラレ界へ行くことはできない。それは王であっても。
「影」の使命を持つ者は、手に燃える炎のような赤い石を握って生まれてくる。そして今、「影」の使命を持つ者が、ロザリオなのだ。
*****
「ロザリオ、俺に送らせてくれ。なぜ今日城に来ると言ってくれなかったんだ。いくら影の役割があるといっても……。俺は、お前の婚約者だろう……」
国王との話が終わり、部屋を出て廊下を歩くロザリオに、一人の男が足早に近づいてきて、彼女の腕をつかんで不満げに言葉を投げかける。
「サイラス。手を放して。わたくしは今日は、影の役割を担う者として、こちらに参りましたの。仕事なのです。王直轄のし・ご・と、です。あなたには関係ありません」
「……。分かってる。でも、帰りは家まで送らせてくれ。馬車を用意してある」
「影は目立ってはいけないのですよ。本当に分かっていらっしゃる? 私はあなたの婚約者である前に、影の使者なのです。そこをお忘れなきよう」
ロザリオはそうぴしゃりと言い放つと、廊下をひとりで進んでいく。
「……分かったよ。分かった。じゃあ、明日の昼に城で待ってるから」
「明日? なにかお約束がありました?」
「城で勉強会。婚約者としての」
「…………。そうでした。では明日、うかがいます」
ロザリオはため息とともにそうつぶやき、来た時に乗ってきた馬車が待つ裏門へと廊下を進んでいった。
そんな彼女の後姿が見えなくなると。サイラスは、誰かを呼ぶように指を鳴らした。すると、どこからか濃い紫色のマントを羽織った小柄な男性があらわれ、サイラスの前にひざまずく
「サイラスさま、何用で」
「ロザリオの護衛を」
男はサイラスが言い終わるか終わらないうちに、さっと姿を消した。
*****
「今日もお城かー。しかもサイラスと昼食。めんどくさい……」
「ロザリオさま、お口がすぎます。婚約者としての自覚をお持ちください」
そう言いながら、侍女のセイラがドレスの腰のリボンをぎゅっとしめる。
「だって。だって。もう王族の歴史も十分学んで、周辺国の歴史も会得したし。社交のマナーだって完璧だわ。……それにわたくしは次男サイラスの婚約者であって、将来皇太子妃になんてならないもの」
「ロザリオさま……いい加減お口を慎まれてください」
昨日とは、同じ人物とは思えないきらびやかなドレスを身を包み、侍女セイラを従えロザリオは宮殿内の回廊を歩いていた。昼食の前に、義姉のクラリスさまと約束があったので、セイラを控室に残し、ひとり王族の住居エリアへ急ぐ。クラリスの部屋の前に立つ衛兵に要件を伝え部屋に入る。
「クラリスさま。お借りしておりましたローブをお返しにあがりました」
すると、美しい黒髪を腰までなびかせたセイラがにっこりと微笑みながら、ロザリオを迎え入れる。
「ロザリオ。昨日戻ったのですね。国王から聞いています。いつも大変な任務、ありがとう。なにか問題はあった?」
クラリスは、柔らかな光をたたえる大きな黒い瞳を優しく潤ませロザリオを労わるように声をかける。そんなクラリスが、ロザリオは大好きだった。目を見てほほ笑まれると、うれしくて体の力が抜けてしまうようになる。
「クラリスさま……。ありがとうございます。今回もなにも問題なく、石を持ち帰ることができました。いつもお守りに持たせていただくこのローブのおかげです」
ロザリオはそう言うと、持っていたローブをクラリスに返した。
「このローブには、特殊な防御魔法を編み込んでいるので、いざという時にあなたを守ってくれるでしょう。いくらこの国のための影の任務といっても、女性ひとりでラウラレ界に行かせるなんて、わたくしは反対。でも、国のためには任務をやめることはできない。だから王族の一員として、せめてあなたを守れるすべを渡したいの。いつも本当にありがとう。あ、でもいつものようにローブのことは、誰にも内緒ね。私が余計なことをしていると怒られてしまうから。特にサイラスが知ったら、やきもちを焼くのでぐれぐれも……」
そう言いながらクラリスは唇に人差し指を当て、内緒の合図を送る。
「ふふ……。また次にラウラレ界に行く日が決まったら教えてね。それまでにより強い防御を編み込んでおくわ」
「クラリスさま、なんてありがたいお言葉。わたくし、このローブがあるのであちらに行くのは全然怖くありませんし、任務を楽しんでおりますので、どうぞご安心ください!」
クラリスは、そう言うロザリオをそっと抱きしめた。
「お食事のご用意が整ったそうでございます」
扉の外から衛兵の声がかかり、ふたりはそろって昼食の広間に向かった。
広間の大きなガラスの扉は、美しい庭に面していて、扉を開けると緑の香りを含む心地よい風が部屋に流れこんでくる。
国王とサイラスの兄であるローランド、サイラスはすでに席についていた。
「なに二人で内緒の会合をやってるんだよ。ロザリオ、城にきたら、最初に俺のところへ来てほしいと言っているだろう。姉上もそこは気を使っていただきたい」
サイラスが少しいらだったように言うので、ロザリオはしおらしく下を向きながら
「ごめんなさい。わたくしからクラリスさまのお部屋に伺ってしまったの。午後からの講義に必要な王族の資料をお借りしに。あなたに資料がほしいと言うのが、はずかしくて……。私ができない婚約者だと思われたくなくて……。ごめんなさい」
と言った。こう言えばサイラスはなにも言えないと知っているのだ。
先にテーブルについたクラリスが下を向いて笑っているのが見えた。国王もローランドも微笑ましくふたりを見つめる。
サイラスはバツが悪そうに、しかしうれしそうに少し頬を染めて小声で言う。
「あ、ああ。そうだったのか……。あ、ああ。すまない……。姉上、申し訳ない……」
そして、和やかな雰囲気の中で昼食会が始まった。
アルデウス王国は、国王ラウールが治める国。王妃は数年前に病気で亡くなっており、第一王子であるローランドとその妃クラリス、第二王子のサイラスからなる。
そのサイラスの婚約者が、ロザリオ。
近隣国とは長く友好関係が続いている平和な国家だか、この国の存在は、ギャロファーと呼ばれる『石』によって成り立っているのだった。