第4話 宝石売り場の赤坂さん(後編)
この二日間、泣きながら席を立った美香のことと、消えた指輪のことが原因でパニックに陥っていた陽介は久しぶりに安堵した。
婚約指輪を買った時もそうであったが、赤坂さんと話をするとなにごともうまくいくような気がする。
母が長年信頼をしてきた気持ちが陽介はよく理解できた。
「ちなみにですが、川野様」ノートを見つめていた赤坂がたずねた。「会社ではどこに婚約指輪を保管されていたのですか?」
「えーっと……」陽介は金曜日のことを思い返した。
「更衣室のロッカーです」
「なるほど。そのロッカーに鍵はかけていましたか?」
「はい」
「そうですか。すると、盗まれた可能性があるのは『自宅』と考えられますね。なにか心当たりはありませんか?」
そう聞かれた陽介はもう少しで「ええ、一人います」と答えそうになった。だが、身内の恥になると、どうにかすんでのところで自制した。
陽介の頭の中に皿の上のパンをいとも簡単に盗んだ姿が浮かんでいたのだ。
「ヨウスケのものはわたしのもの。わたしのものはわたしのもの」
数十年間、聞きつづけてきた声が聞こえてきた。
……まさか、あいつが?……。
疑心暗鬼。
……そんなわけはない。血のつながった妹を疑うなんてどういうことだ?……。
自問自答。
疑う負の心を振り払おうと、陽介は小さく息を吐いた。だが、そんな陽介をあざ笑うように
「お金のことは安心して。特別なルートがあって」
「割のいいバイトがあるの」
今にも下着が見えそうな恰好をした蘭がそう言った。
「あの……どうかされました?」
赤坂のその声で、陽介ははっと我に返った。
「いいえ、特に。はい、大丈夫です」
犯人が特定できたわけではないが、赤坂のおかげで一歩前進したような気になった陽介は礼を言って帰ろうとした。すると、
「もう一つだけ考えられる可能性があるのですが——」
そう言って赤坂が口に手を置き、つぶやいた。「でも、まさか……」
「え? どういうことですか?」すぐに陽介が反応した。
「いえ、……だけど、そんなことがあるのかしら……」
「なんですか? どんなことでもいいので言ってください。なんとしても指輪を探し出したいんです」
「わかりました。でも、あくまでも可能性ですからね」
そこまで言うと、赤坂が緊張した表情を見せた。
「誰かが、空っぽのジュエリーケースとすり替えた、のではないかと」
「すり替え……」陽介が困惑した顔つきになった。「それも考えなくてはいけませんか?」
「あくまでも可能性の問題です。しかし、仮にすり替えたのだとすると計画的な犯行ということになりますね」
「計画的犯行?」
「ええ、だってまったく同じこの赤の手提げ袋を用意する必要があるのですから」
そう言うと、赤坂はカウンターの下から一枚だけ袋を取り出した。そしてさらにつづけた。
「それだけじゃありません。川野様が持っている空のジュエリーケースは当店でしか販売していないものです。そのケースも用意する必要があるのですから」
「そうか……そうなりますね」
「ちなみにですが、誰か川野様の結婚を邪魔しようとする人物に心当たりはないですか?」
「……」
そう聞かれた陽介は必死に考えを巡らせてみた。
だが、金曜の夜からの疲れもあってかうまく頭が働かず、なにも思い出すことができなかった。
しばらく陽介の様子を見ていた赤坂がゆっくりと口を開いた。
「必ず指輪は戻ってきますよ。安心してください」
そう言うと、赤坂は思慮深い表情を見せた。
なるほど、母が長年信頼を置くはずだ。僕なら、指輪を取られたとしか考えることができないところだった。
……赤坂さんがいれば、どうにか取り返すことができるかも……。
深々と頭を下げる赤坂の姿を見ながら、陽介はきらりと輝く指輪を手にした犯人の姿を思った。