第12話 動き出したスマホ
たしかに、そのシルバーに輝く指輪は陽介が宝石売り場で購入したものだった。
いまだ誰の指にもはめられていないその婚約指輪は、きたるべき時がくるまで静かにその身を隠していた。
誰の目にもつかない、その場所で。
★
「ふー」
トオルからの告白を受けて以来、連日、陽介の口からはため息ばかりが出た。
充実した生活とは真逆、仕事場と家の往復の日々だった。
どちらかで『やりがい』なり、『安らぎ』なりを感じられるのなら問題はなかった。
だが、陽介にとって身の置き所が二ヶ所しかないにもかかわらず、どちらも気の休まる場所ではなかった。その理由は明らかだった。
「来月、ハワイに遊びに行こうかな、って思って」
夕食後、蘭が近くのスーパーへ行くような口振りで言った。
「どこにそんなお金があるの」
家計簿アプリを睨んでいた母が蘭をじろりと睨んだ。
資金の出処に疑いの目を向けているようだった。
「だからいつも言ってるでしょ? わたしには割のいいバイトがある、って」
そう言うと、蘭は部屋から出ていった。
蘭のお金の問題に疑いの目を向けているのは母だけではなかった。
「ねえ、このサンダル、かわいくない?」
そう陽介に自慢した蘭だったが、その価格が十万円であることから陽介の心は大きく揺れた。
しかも、それはあの指輪が消えて数日後のことだったから、なおさらのことだった。
「……」
オフィスでは、斜め前に座る内藤飛鳥の視線が気になった。
言葉を交わすわけではないが、まっすぐに陽介を見つめるその目は日毎にこう言っているように感じていたのだ。
『川野先輩の結婚相手はわたしですから』
つけているはずのない指輪が内藤飛鳥の左手の薬指で光ったように、陽介の目には映った。
『これが、先輩が買ってくれた婚約指輪』
芸能人が婚約会見でそうするように、内藤飛鳥が陽介に向かって左手の薬指を見せてきたような気がした。
……彼女なら……僕が婚約指輪を買ったことを察知したかもしれない……それで、プロポーズを阻止するために、ロッカーの鍵をこの机から盗んで指輪を手に入れた……ジュエリーケースから指輪を盗むことも、なんなら、同じ手提げ袋やケースを用意して『すり替え』ることだってやりかねない……。
そう頭の中で考えていると、それまで下を向いていた内藤飛鳥がふと顔を上げた。
ストレートの長い黒髪と透き通るような真っ白な肌は何百年も昔からある日本人形を思い起こさせた。
いつもより赤い口紅がほんの少しだけ動いた。
にやりと意味ありげに笑ったその顔は、陽介の頭から離れることはなかった。
★
蘭か、内藤飛鳥か。
そう二人を疑っては、
「いや決めつけるのはよくない」
と、自問自答する日々を陽介は送った。
どちらかに、もしくは、両者に指輪について問いただす勇気が出ない陽介は森の中で迷った少年のようにすっかり衰弱しきっていた。
「どうしたの? 食べる量が少ないわよ……」
いつもはうまくごまかすことができるのに、食欲が落ちたことが母にばれてしまうほどだった。
そんなある日の夕方、仕事を終え、電車に乗ろうとしているときにスマホが動いた。久しぶりに目にした名前だった。
「あの、川野様……例の指輪の件なのですが……今度こそ、わかったかもしれません」




