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出会い

 オルデン王国南方の大都市アルプは、海に面した街である。ただ、だからといって海運業が盛んかといえば、そういうわけでもない。

 なにしろ、異世界パルミスにおいては、海とは魔物の領域。船を使うにしても、せいぜいが、陸に近い沖を移動する程度である。夜間は、陸に停泊しなくては魔物の大軍に襲われてしまうので(魔物は日光に弱い)、そんな具合になってしまうのだ。


 街並みは背の低い建物が多く、ペンキの塗られた建物はほとんどない。どこか、色あせたような雰囲気を感じさせる。


 ギラギラと照り付ける日差しの元、通りを歩く人々の服装は半袖、半ズボン。それに日よけの薄手のマントを羽織っていたり、つばの広い帽子をかぶっていたり。


 そんな中を、帽子もかぶらず、マントも羽織らず、それどころかゆったりとしたそでと裾のスモッグを着た男が、足早に歩いている。

 青を基調としたスモッグに、首から下げた黄金の正円のアミュレット。太陽教の聖職者。教導師きょうどうしである。

 ガッシリとした体つきに、四角い顔。短く刈った髪。ダルトン五十二歳。


 長年、同国の大都市クラングランの大教会で副教会長を務めていたダルトンは、一年前にアルプの街の大教会長として赴任した。

 気性の荒い周辺の街や村の教会長のまとめ役として奮闘。ようやく、職務にも慣れれてきて、一息つけた頃合いである。


 浜辺に出た。

 潮風がダルトンの教導着をバサバサと撫でる。

 その風に乗って、歓声が聞こえてきた。

 浜辺に人が集まっている。その中央にあるのは、周囲にロープを張った四角いリング。そこで、二人の男が殴り合っていた。


 拳闘。

 大陸西方では、組合格闘と並んでメジャーな格闘技である。


 ダルトンは駆け出した。

 砂を蹴散らして砂浜を走る。いくつになっても、拳闘の試合はダルトンの血をたぎらせるのだ。

 ダルトンは、太陽教会の教導師きょうどうしで行う拳闘大会で、何度も優勝したことがある拳闘士。拳闘をこよなく愛するファイターなのである。


 観衆の間を体をねじりこませながら進み、リングが見える位置に陣取る。

 金を賭けているため観衆の熱狂はすごい。手を振り回し、唾を飛ばして叫んでいる。


 並べられた板の上に青い布かけられたリング。風によって流れてきた砂が、青いキャンパスをまだらに染めている。

 それに血だ。


 拳にグローブをつけて戦う教会のルールと違い、この賭け試合はむき出しの拳のみ。

 上半身裸で、下は膝丈のズボン。二人の拳闘士はそんな姿で戦っている。


 ルールも単純だ。

 時間無制限。どちらかが立てなくなるまで殴り合う。当然、大怪我をするものも多いし、死者が出ることもある。


 試合は一方的だった。

 そもそも体格差がありすぎる。一方は中肉中背といったところだが、もう一方は二メートル近い長身。長身の男は長いリーチから繰り出す拳で、相手を近寄らせずに一方的に殴っている。


 嗜虐心に満ちた顔は、拳闘を楽しむというより相手を痛めつけることによろこびを見出しているように見える。

 それほど鍛えた体つきでもなく、技術もつたないので、単に体格と運動神経に恵まれているのだろう。


「やっちまえ、ガーマス。ぶっ殺せ」

 そんな声が聞こえてくる。

 

 ガーマスの相手は、もはや戦意を喪失している。

 ガーマスの拳をなんとか防ごうとするが、ガードした腕の上から容赦なく殴らている。


 やがて、その腕が下がった。

 そこにガーマスのパンチが伸びてきて、男の顔面にヒット。

 男は後ろに倒れた。


 審判がゴングを鳴らし、試合終了を宣言。ガーマスの腕を取って天にかかげる。


 本格的に鍛えれば良い拳闘士になりそうだが……。

 ダルトンは傲慢な態度で笑うガーマスを見て、軽く首を振った。

 あれでは三流どまりだろう。


 敗者の男の仲間と思しき青年たちが、ダルトンを呼んだ。

 ボロボロの男を治して欲しいということだろう。

 本来、教会外で、神の恩恵である癒しの御力おちからを、使うのはよくない。魔物退治による修行、『破魔はまの行』の最中ならばともかく、教会に属した身が出先でというのは。


 治療を受けるならば、教会にきて寄進を納めてからにしなさい。

 そう突き放すのが、このアルプ周辺の教区を預かる大教会長としては正しい姿勢である。


 だが、ダルトンはそんなことなど構いもせずに、気軽に敗者を治した。


「まあ、そう固いことを言わずとも良かろう。助けを求める者がいて、貸せる手があるなら、それを貸すのが人の情というものだからなあ」

 などと、考えるダルトンであった。




◇◇◇




「聞いているのですか、大教会長」

 眼鏡をかけた30半ばの女性が、きつい眼差しをダルトンに向けている。


 教導着の青いスモッグに、頭をおおう青い布。胸元の銀色のアミュレット。目つきが悪いことをのぞけば、中々の美人である。


「うむ、しっかりと聞いていたぞ。途中まではひと言も漏らさずに、頭に入れた。まったくの杞憂だぞ、シスター・ルーシー」


「途中まで?」

 ルーシーの眼鏡の奥の目が光ったように見えた。


「いや、私も年をとったものだなあ。集中力が途切れてしまった。うん、このあたりで少し休憩を入れた方がいいかもしれん。休憩にしよう。君の説教は、どうもくどくてねちっこくてなあ。どこぞの誰かを彷彿させるような」


「それは私や、そのどこぞの誰かではなく、大教会長の性格に問題があるのではないですか。そもそも、私も大教会長に、今更、溜まっているお仕事をなんとかしてください、などと言いたくはないのです。こんな、子供に言うようなことをね。なぜ、私が、ヘンネ教会の教会長から、屋根の補修はいつになったら許可してもらえるんだ、と怒鳴られなくてはならないのですか」


「いや、しかし、おかしいぞ。私はクラングランにいた頃も、似たような感じで怒られていた気がする。あの頃は副教会長だったのに、だぞ。つまり、そういった業務は副教会長の業務なのではないか?」


「私はきちんと自分の為すべきことをしました。あとは、大教会長のサインがあれば、それでことは解決したのです。ヘンネの教会長が、乗り込んでくるようなこともなかったのです」


「あ、ええと、うむ。呼んでくれれば良かったのだ。なにも君が矢面に立たなくとも」


「教会長は不在でしたので。浜に拳闘を見に行っていたそうですね」

 底冷えのする声で言ってから、顔を下に向ける。

「ああ、こいつの四角い顔に肘をめり込ませて粉砕したい」

 ボソッとつぶやいた。


 コホン、コホン、とダルトンは咳をして、不穏当な発言をかきけした。


 アルプ大教会の大教会長室である。

 窓際に、やたらと頑丈そうな木製の大きな机。歴代の大教会長の趣味が反映された多方面にまつわる専門書が詰まった本棚。

 部屋にあるものといえば、そんなところである。

 ちなみに、机の上には書類が山積みになっている。


 その山積みになった書類に手を置いて、ルーシーは言った。

「いいですか。これらが片付くまで、大教会長の外出は認めません。一歩も外へ出てはいけませんよ」


「いや、私も人間だからな。腹も減れば、眠くもなる。一歩も外へ出るななどと、無茶を言うものではない」


「問題ありません。食事はわたくしがこちらにお運びしますし、寝具も運び入れます」


「そんな無駄な手間をかけるくらいなら、いっそう君が、私の代わりにこれらを処理した方が良いのではないか?」


「殴りますよ」


 ダルトンはルーシーがかなり本気になっていると見て諦めた。これ以上は危険だ。

「わかった。ちゃんとやるから。もう少しだけ、軟禁するのは待つのだ。大丈夫。私はやるとなったらやる男。聖王クラリオンも言っておる。重要なのは必要なときに必要なことができるかどうかだ、と。つまりそういうことだ」


 ふん、とルーシーは鼻で笑った。

「やればできるという者は、結局、なんの役にも立たない。才能とは実績によって語られるもので、架空の結果で示されるものではない。そして自分を御し得ない者をただの無能というのだ。聖賢者ルボルディオのお言葉です。つまりそういうことですね。まあ、いいでしょう。お手並み拝見といきましょうか。有能なる大教会長殿」


 ダルトンはわざとらしくため息をつくと、書類に向き直った。


「余計なことだが、もう少し肩の力を抜くと良いぞ。せっかく、美人なのだから、そう眼光鋭く、周囲を威嚇せず、もう少し笑いなさい」

 書類を読みながら言った。


 その言葉に怒るかと思われたルーシーだったが、薄っすらと頬に朱がさした。思いがけなく美人と言われて照れたのだ。

 コホン、と大きく咳払いすると、ルーシーは大教会長室を後にした。


 廊下を歩きながらも、少し厳しく言い過ぎたかしら、と後悔する。

 確かにダルトンが決済すべき書類は溜まっているが、重要なものは処理してあるので大きな支障はない。

 それでもダルトンの先任の前教会長のことがあるので、つい過敏になっているのだ。


 日々の怠慢から腐敗が始まる。

 そして腐敗は放置すれば次々と周囲を浸食していく。


 ダルトンがアルプ大教会に赴任する半年ほど前。元大教会長が収賄の罪で、教会を放逐された。

 彼の汚職を中央教会に告発したのはルーシーだった。


 ルーシーはもともとアルプの出身である。

 幼い頃、教会の日曜礼拝に感銘を受けて、ずっと教導師きょうどうしになることに憧れていた。

 学校を卒業後、クラングランの大教会で見習いとして学び、その後、病に倒れた母を診るために、こちらに戻ってきた。


 前大教会長ケビンは、柔和な顔つきの見るからに慈悲深そうな男だった。

 実際に彼は優しかった。好みの若い男性教導師に対しては。


 教区の中心である大教会には教導師きょうどうしを育てる役割もある。それぞれ女性教導師と男性教導師を育てる大教会は別になっており、アルプは男性教導師の育成を行っていた。

 そのため教会で働く教導師きょうどうしも男性が大半を占める。

 ルーシーを始めとする女性教導師は、肩身が狭く蔑視されている風潮があった。

 

 ルーシーとしては、ケビンが夜な夜な男性教導師といかがわしい行為をすること事態は、不快ながら許容できた。

 太陽教は、特別、性行為に対して厳格ではないし、聖職者だからとそれらの行いを禁止することもない。


 ケビンが見習いに対して、やたらとスキンシップを取りたがるところも、まあ、エスカレートしすぎなければ、と大目に見ていた。


 ただ商人から賄賂を貰って薬に大教会の承認与えるのは、一線を越えていた。

 ルーシーは密かに証拠を集め、それらを中央教会に送って不正を正した。

 その結果、大教会長、副教会長を始めとして、何人もの教導師きょうどうしが放逐された。


 その後、ルーシーは副教会長に抜擢され、正式な大教会長が赴任してくるまでのつなぎとして、代理で大教会長の職を兼任した。

 多くの教導師きょうどうしが処分されたため、教区のことに精通する者がほかにいなかったためだ。


 つい書類仕事をなまけるダルトンの態度に厳しくなるのも、そういった経緯があってのことである。



 さて、ルーシーが去った後、ダルトンは宣言通り黙々と書類を読み、サインをし、と仕事を片付けていった。

 もちろん、溜めに溜めた書類がそう簡単に片付くはずもない。

 二時間経ってもあまり減った様子はなかった。


 ふむ、とダルトンは書類の山を見て思った。

 どうも作業効率が落ちているようだ。

 少し体を動かして気分転換をしてこよう。


 肩を回して立ち上がる。

 部屋を出るときに、ルーシーがいないことを確認する。


 別にシスター・ルーシーを恐れているわけではないぞ。ただ無用な問答を避けるためであって。

 などと自分に言い訳をする。


 アルプ大教会は通り側に礼拝堂と診療所が並ぶ。その奥に会議室や大教会長の執務室などがある事務館。食堂や見習いが学ぶ教学館。そして見習いや教導師の寄宿舎がある。


 事務館を出たダルトンは教学館と寄宿舎の間にやってきた。そこは地面がならされ、運動ができるようになっている。


 木に吊るされたサンドバックを叩く若者。

 走り込みや自重トレーニングに性を出す若者。

 端にはロープを張ったリングもあり、そこでスパーリングをしている者たちもいる。


 彼らはダルトンの顔を見ると、手を止め、駆け寄ってきた。

 全員、顔が輝いている。


「みんな、励んでいるな。よしよし」

 ダルトンは、汗を滴らせる若者たちを眺め、うんうん、と頷いた。


「しばらくはご指導いただけないのでは、とみんなガッカリしていんですよ」

 若者の一人が言った。


「副教会長、怒ってましたからねえ」

 別の若者が言った。

 

「うむ、長居はできんのだ。なぜか、とどこおってしまった仕事を、片付けなくてはならんからな」

 まるでシステムが悪いかのように言うダルトンだった。

「だが、少しは体を動かさんと、頭の血のめぐりも悪くなろうというものだ」


 言ってダルトンは若者たちの指導を始めた。パンチのフォームを見たり、スパーリングを見たり。

 しまいには自らサンドバックを殴り、ミットをつけてパンチを受け。最終的にはリングに上がって、スパーリングの相手をした。


 そして、はっ、とダルトンが気が付いたときには日が暮れていた。


「なんということだ。つい……。やはり、拳闘は楽しいなあ」


 楽しいなあ、ではない。

 若者たちは、講義に戻ったり、職務に戻ったりと入れ替わっていたが、ダルトンは一人だけ、ずっと残り続けていたのだ。

 これではルーシーに詰められるのも仕方がないことである。


 ただ練習場に入り浸るのもダルトンの責任ばかりともいえない。

 なにしろダルトンは、太陽教会では知らぬ者のいない拳闘の達人である。男性見習いは元より、男性教導師たちにもファンが多い。


 もともとアルプ大教会は前大教会長の個人的な趣味により、棒術よりも拳闘に重きを置いて指導していた。

 土地柄もある。毎日行われている浜の賭け試合を見てもわかる通り、拳闘がバーラン(棒でボールを打って、ゴールまで運ぶスポーツ)やエイトウォー(4対4の格闘技)などより、よほど人気を博している。


 そのため、ダルトンが大教会長として赴任すると大歓迎された。休日などは男たちが教会に詰めかけ指導を仰ぎにくる始末。

 大教会長なのに、説教よりも拳闘のコーチを尊ばれるダルトンであった。


 

 あれほど、叱られたのに結局、二時間しか書類仕事をしなかったダルトン。しかも、そのことをまったく気に病んではいなかった。

 

 一方、説教をした方は、ダルトンに放った言葉の刃の数々をじくじくと後悔していた。

 ルーシーは真面目で優しい女性なのである。


 出身がアルプなので、ルーシーは寄宿舎暮らしではなく、毎日、教会へと通っている。夜道を早足で歩いて家へと向かう。

 いつもよりも遅い時間になってしまった。

 アルプ大教会の教導師きょうどうし不足が原因で、ルーシーのところにくる仕事が多いのである。

 そんな様でダルトンが書類仕事をサボってばかりいれば、腹も立とうというものである。


 近道として通り抜けようとした繁華街の側の路地。そこで押し殺したような声と、笑い声が聞こえてきた。

 きびすを返そうとしたものの、押し殺した声は、すすり泣きのように聞こえた。それに何かを殴る音。


 ルーシーも副教会長に抜擢されるだけあって優秀である。女性教導師の必須科目である掌底しょうていと肘、膝や蹴りを武器にした東方由来の格闘技、嘗脚闘しょうきゃくとうを習得している。しかも、そこそこの腕前である。


 おまけにダルトンとは違って、見習いのうちに魔物と戦う『破魔はまの行』を済ませていた。実戦経験がある。


 ルーシーが路地の奥に踏み込むと、少し開けた空間があった。足元にまかれた光石で明るく、それが4つの人影を作っている。


 一人の男が、もう一人の男を殴っている。それを笑って見ている二人の男。

 殴られている男は、血と涙で、うっ血して青くなった顔を汚している。

 殴っている男は、いかにも楽しそうで、それが彼の一方的な暴力であることを物語っていた。


「おら、お前も打ってこいよ。それじゃあ、練習にならねえだろ」

 殴っている男が言った。


 殴られている男がなにか言ったが、言葉になっていなかった。


「やめなさい」


 ルーシーの怒鳴り声。男が振りかぶった拳を止めた。全員の視線がルーシーへと向く。


「なにをやっているのですか? 一方的な暴力を主はお許しになられませんよ。戦意のない者を殴るなど、卑しい行為です」

 鋭い眼差しで男を睨みつける。


 殴っていた男。髪を逆立てた二十前後の青年は、舐めるような視線でルーシーの顔や体を見た。


 ルーシーは露骨に性的な目で見られたことに、恐怖や嫌悪よりも怒りを感じた。


 教導師きょうどうしを娼婦を見るような目で見て。


「ちょっとばかりとうが立ってるけど、いい女だな。付き合えよ。一緒に酒でも飲もうぜ」

 とどめとばかりに口説いてきた。


 なんという不心得な。


 ルーシーはそれでも自制し、青年を睨んだ。彼女の上司たるダルトンの姪ならば、この時点で相手を殴り倒していることだろう。


「ともかく、もう殴り合いはやめなさい。そんなことをしても拳が痛いだけだし、むなしくなるだけよ」


「練習だよ、練習。拳闘のさあ」

 言った側から、男がまた殴る。


 殴られた男は壁に頭をぶつけて、ずるずると崩れた。


「そんなにも練習したいのならば、私が相手になりましょう」


 その言葉に、男が吹き出した。見ていた二人の男も大笑いする。

 だが、ルーシーが踏み込み、髪を逆立てた男の顔を掌底しょうていで打つと、その笑いが凍り付いた。


 男はそのままよろけて膝をついた。低くなったその頭を、容赦のない回し蹴りで蹴飛ばす。


「一方的に殴られる気分はどうですか? 楽しいですか?」

 ルーシーは言った。


 地面に頬をつけて呆然としている男を、眼鏡の奥の緑色の瞳で冷たく見下ろす。


「てめえ、このアマ」

 男が起き上がった。だが、足元はふらついている。

「おい、見てないで、てめえらも手伝えよ」

 傍観していた仲間に怒鳴る。

 

 壁に背を預けていた二人の男が、ルーシーの退路を塞いだ。


 早まったか。

 ルーシーはさすがに状況に危険を感じた。

 男三人を相手にするのは厳しい。


 それでも焦りは一切表に出さずに、覚めた表情のまま腰を落として足を開く。


 その時だった。

 顔を腫らして倒れていた青年が、突如、起き上がり、髪を逆立てた男の胴に組み付いたのだ。


「い、行け、行けよ」


 もごもごとした不明瞭な声。だが、その意志ははっきりとルーシーに伝わった。


 ルーシーは動いた。大きく足を振り上げ、渾身のハイキックを敵に見舞ったのだ。

 さらに、そのままくるりと回転して、背後の男に向き直ると、懐に飛び込み、その顎を掌底しょうていで打ち上げる。

 隣の男は、肘で吹き飛ばした後に、掌底しょうていを腹に打ち込んで沈める。


「ほら、逃げるわよ」


 顔を腫らした男の手をつかむと、ルーシーは駆け出した。

 全速力で路地を抜け出し、そのまましばらく夜道を走り続ける。

 途中から緊張感と危機感は汗とともに無くなり、妙に楽しくなってきた。


 後ろから、ひいひい、と息を切らした声が聞こえて、ようやくその足を止める。


 住宅が並ぶ通りだ。窓から漏れる灯りが、点々と地面を彩っている。


 男が膝に手をついて、下を向き、ぜえぜえと荒い息を吐いている。彼のもう片方の手を握ったままだと気が付き、ルーシーは慌てて放した。


「顔を上げなさい。治療してあげますよ」


 男がいびつに膨らんだ顔を上げる。あらためて見ると、ひどい有様だ。


 ルーシーはベルトに下げている袋から小瓶を出すと、蓋を開いて中の粒をひとつを手の平に出した。それを口の中に放り込む。


「主よ、御力おちからをお貸しください。この者の怪我を癒す御力おちからをお貸しください」

 左手で銀のアミュレットにそっと置いて、祈る。


 ルーシーの体が淡く白い輝きを放つ。その光が右手に集まり強くなる。

 ルーシーは光る手を男の頬に添えた。

 今度は男の顔が黄色い光に包まれた。


 教導師きょうどうしが使う神の奇跡、御力おちからである。


 すぐに青年の顔は治った。きりっとした凛々しい顔立ちである。通った鼻筋に黒い瞳。さらさらの黒髪。そして、ルーシーが思っていた以上に若い。十代後半といったところか。


「なぜ、殴られていたんですか?」


「知らねえよ。暇だったんだろ」

 ぶっきらぼうに返す。

「リックの奴は、いつもそうだからさ」


「いつも? いつも殴られているんですか、彼に」


「練習だよ、練習。拳闘の稽古をつけてやるってさ」


「殴り返せば良いではないですか」


「やってるよ。でも、当たらねえんだよ」

 青年がムッとした顔で言う。

「リックはあれでも、拳闘士なんだ。試合にだって出てる」


 それから、ロイは、はっ、と気が付いたようにルーシーを見つめた。

 その真剣な瞳にルーシーはなにか胸がドキドキとした。

 慌てて、年甲斐もなく、年甲斐もなく、と心の中で唱える。


「あんた、気をつけろ。しばらく、街を歩かない方がいい。リックの奴、絶対、あんたをただじゃおかねえよ」


「ああ、なるほど。確かに、しばらくは人通りのない道は、避けた方が良さそうですね」


 重いがメイスも持ち歩くことにしよう、とルーシーは思った。

 ルーシーは嘗脚闘しょうきゃくとうよりも、棒術の方が得意なのである。


「のんきなこと言ってんなよ。教会から出るなって。マジで襲われるぞ。あんた、その、美人だしさ」


 美人と言われてルーシーは頬が熱くなった。

 だから年甲斐もなくと言ってるでしょう、と心で叫んで、バチンと自分の頬を叩いた。


「あんたは強いかもしれないけど。リックの兄貴は拳闘のチャンプなんだ。強いんだよ。しかもロクデナシなんだ」


「チャンプ……チャンピオンですか。ブラザー・ダルトンとどちらが強いのかしら」

 四角い顔を思い浮かべる。


 ルーシーが何気なくつぶやいたダルトンの名前は、青年に思いもがけない作用を与えた。


「ダルトン。教会の拳闘士大会で負けなしのダルトン導師」

 目がキラキラと輝いている。


 ルーシーには見慣れた顔である。よく教会の見習いたちがダルトンに向けている顔である。いや、見習いばかりではなく、教会で働く同僚たちも、ダルトンと話すときはそんな顔をしている。


 書類仕事をサボる癖さえなければねえ、とルーシーは常々思うのだった。

 面倒見も良いし、汚職とは無縁の清廉さがある。トラブルに対する対処も適格だし、危険に対して身を張ることもいとわない。

 なによりも、ダルトン大教会長には、そこにいるだけで周囲の者の心を安定させるような包容力があった。


 クラングランにいた頃は、あの勇者アルフレッドを支え、導いていたというが、それも頷けるところがある。


「なあ、ダルトン導師に拳闘を教えてもらえないかな?」

 男が言った。


「ええと、そうですね」

 ルーシーの歯切れは悪い。


 今日、ダルトンに、拳闘の指導ばかりにかまけて書類仕事をないがしろにしている、と非難したばかりである。

 さすがに拳闘を教えて欲しいという若者を紹介するのはバツが悪い。


 だが、男のすがるような眼差しをはねつけることはできなかった。


「分かりました。頼んでおきます。休日に教会へいらっしゃい」


「本当かい。本当にダルトン導師に教えて貰えるのか」

 男が感激のあまり、ルーシーの両腕をつかんだ。ぶんぶん揺らす。


 ルーシーは、それに顔を赤くした。また、年甲斐もなく、年甲斐もなく、と心の中で唱え続けた。

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