番外編5 月が満ちる間に4
一方そのころ、ヤンはというと…
「義兄上、一つお願いがあるのですが…」
ザイードとライからの手紙の内容がほぼ同じであったことにゼノは自身の伝手をたどって様々な物資を用立ててやろうとほくそ笑んでいた。
そこにやってきたのはヤンだった。
「お前から私にお願いというのは珍しいな」
「あ…その…」
思わぬ商機に頬が緩んだのか、ゼノの笑みを見てヤンがひるんでいた。
「なんだ?言ってみろ」
「その…義兄上の蔵書をお借りしてもよいでしょうか?」
「蔵書?なにか気になるものでもあるのか?」
「その…新たに学びをと思いまして…」
町にいたとき、職人であったヤンは暇さえあれば研究に精を出し、あれこれと試作品を作っていたとゼノは弟のカドから話を聞いていた。
「馬鹿正直な分、熱中すると離れられないんですよ、仕事も女も」と言って笑っていた。
ゼノの元に来て、1日の半分は訓練、半分はゼノについて商売に携わっていた。
初めのころは夕飯の時にも寝落ちするほどであったが、最近は少し余裕が出てきたらしい。
「ユエに訓練を増やすようにお願いしたのですが、増やせばいいってもんじゃないと怒られました。なので、余裕のできた時間で商売の方の知識を固めようと思いまして…」
ゼノは唖然とした。
若い男が余った時間でやることが訓練と勉強とは恐れ入った。
ヤンと同年代の若い男は、なにかと時間ができれば悪さの相談か、賭博まがいに興じるか、女の噂に花を咲かすか、だろうに。
自分たちの裁量で納められる範囲での悪さや賭博であればゼノも咎めるつもりもない。
にもかかわらず、ヤンは悪さにも賭博にも女にも一切興味がないと言いたげだ。
ユエからは想定していた訓練を大幅に前倒しで施していると聞いている。
1日の訓練時間も予定からは2時間ほど長くとっているともだ。
商売ではゼノがあちこちに連れまわし、新しい知識をメモを取る時間もないほど詰め込んでいる。
にもかかわらず、時間に余裕が生まれたか…
これが若さか、そもそもの素質か…
「彼は影としての素質があります。正直、この騒動が終わったら私の配下にしたいくらいです」とユエが漏らしたのを聞いた。
「蔵書は書庫に行き好きなものを読んでいい。いちいち許可など…カドはうるさいか?」
弟のカドは本の虫で、蔵書を乱されるのを嫌う傾向にあることを思い出した。
「はい…子どものころに姉と兄と一緒に怒られたので、義兄上にはまず許可をと思いまして」
「そうか。あいつは本に関しては悪食だから、ファナにも成人していなかったお前たちにも見せたくないものでもあったのだろう」
「見せたくないもの?」
「ああ、官能本もたくさん蔵書されているからな」
「んな…!」
ヤンが顔を赤くすると、ゼノはニヤリと笑った。
「書庫にあるものなら好きに読んでいい、ユエにも言っておけ」
「ありがとうございます」
ニコッと笑みを浮かべるヤンにゼノは予想以上の成果をあげる褒美を取らそうと思った。
ザイードとライから来た手紙をヤンの目の前に突き出した。
ザイードの手紙は西の反転文字で書いてある手紙だが、一文ヤンでも読めるように東の文字で書かれていた。
ライの手紙は旧友にあてるような文面が並んでいた。
どうやら暗号のようだということはわかった。
「彼女は散財を楽しんでいる」
「嬢ちゃんはレンカ姐さんやリーフェのおかげで笑顔が増えた」
それらの文を見てヤンの目から大粒の涙がこぼれた。
「リァン…リァン…」
書かれた文字に愛しい女性の面影を求めるようにそっと撫でた。
ライからは月に1度ほどゼノ宛に手紙が来ていて、必ずリァンについて書かれた一文があった。
初めの数回は「彼女は生きている」だけしか書かれておらず、今すぐにでも町に帰って屋敷に乗り込みたいと思った。
レンカとリーフェが来たあたりから、「彼女は耳飾りを身につけるようになった」「彼女は将棋に勝てない」「彼女の刺繍は上手だ」など日常のちょっとしたことが書かれるようになった。
「楽しんでいる」とリァンの感情がわかるように書かれたのは初めてのことだった。
ライのゼノへの暗号文もザイードの西の反転文字で書かれていることもわからないが、ヤンで読める文字で書いてあることとは多くはかけ離れていないだろう。
そうであってほしい、と思った。
「ありがとうございます、義兄上」
「なに、ライ殿はちゃんと約束を守る男だな。ザイード殿も義理堅い」
「はい」
目元を袖口でぬぐって、ヤンはゼノに対して一礼をした。
とはいえ、町の屋敷では万が一があり得そうなのが怖いところだ。
男と女だ。
しかも、どちらもヤンが生きているとは知らない。
何かの拍子で当事者の2人が本当の意味でできあがって仕舞えば、事態は反対に動く可能性もある。
それだけは、注意しなければならない。
ゼノの視線が部屋から出ていこうとするヤンを追いかけた。
扉の端に長いスカートの端が見えたから、ユエがその場にいて今までの話を聞いていたのだろう。
事実、ヤンが驚いた顔をしている。
この二人も男と女だ。
どう転がるかまだまだ注視は必要だが、この2人が手を組み、寝首をかかれないように気をつけねばな、とゼノは思った。




