番外編2 悪女と毒婦の内緒の話2
あの時、屋敷に上がり町からレンカの姿が消えた。
1人の女性の姿を見なくなり、屋敷での散財、そして悪女・毒婦の噂…
町で起こった暴動と皇帝を失脚させた傾国。
町で流れた噂に多少矛盾があれど、人々は同じ時期にいなくなったレンカに注目するだろう。
レンカほどの美人なら、気の迷いが起こることは理解できるだろうから。
そうは言っても、噂の悪女や毒婦は成敗されている。
それがこの町の認識だ。
だけど、密かに生きていて、変わらずどこかで男を惑わしていると思われているのもこう言った噂には必ずつきものだ。
真実と嘘が混ざり合って、人々の想像力を掻き立てる。
だから後世まで残るような妖しく残酷な物語になるのだ。
真実やその登場人物が何を思い何を考えていたかなど大きな問題ではない。
レンカは噂を思い出してみた。
享楽と淫蕩に男を溺れさせた毒婦、この噂はもうすでにレンカのことじゃないか、という噂も聞こえてくる。
否定しても自分のことと言われ続けるだろう。
皇帝を失脚させた傾国、これだってそれだけの美人はレンカではと言われている。
人の口に戸は建てられない。
残り1つの悪女は…どう考えても自分ではない。
レンカは高笑いなどしない。
ニコリと怪しく微笑むだけで、男でも女でも魅了してしまうのだから、高笑いをする必要などない。
「全部は嫌だね」
そう言ってレンカはプイっと横を向いた。
「レンカさん!」
レンカを責めるような声が出たが、レンカが微動だにしなかった。
「まあ、レンカさんてば、意気地も度量もないのね」
ファナは本気かわざとかレンカを焚き付けた。
「ああ、悪いが、とてもじゃないけど、全部は引き受けられないね。柄じゃない」
「そんなことないわ!レンカさんは魅力的よ。男も女も魅了されるわ」
「賞賛はありがたいが、私も身の程を弁えているよ」
「身の程?どの口が言うのかしら?」
「なんだって?」
2人は睨み合った。
ファナはわざとツンとして、挑発するような流し目をしてみせた。
「身の程を弁えていたらザイードさんみたいな男を落とそうなんて考えないでしょ?」
ファナの言葉と態度を受けてレンカは肩をすくめた。
「そうかい?そりゃファナ姉さんには土台無理かもしれないけどさ」
「あら、自分には簡単に落とせた、とでも言うの?」
「男を虜にする秘密を教えてやろうか?」
「それにしたって時間がかかりすぎだわ…」
「駆け引き上手って言っておくれ」
「可愛い妹分の婚礼式の最中に出来上がるなんてはしたないわよ」
ファナは口元を押さえて、ほほほと笑った。
「傷心の男ほど落としやすいものはないんだよ、善は急げっていうだろ」
ファナはキッとレンカを睨みつけ、レンカは涼しげにファナを見やった。
そして、2人で同時に口を開いた。
「そんなに自信があるなら毒婦や傾国を背負ったらいかが?レンカさん!」
「その物言いと態度、悪女はやっぱりあんたにぴったりだよ、ファナ姉さん!」
ファナは目を瞬いた。
レンカはニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべている自分を指さしている。
「悪女?」
「あんたが悪女を引き受けるなら、毒婦も傾国も引き受けてあげるよ」
「私が悪女?そんな器…」
「あんたじゃなきゃムリだよ、ファナ姉さん…」
レンカにキュッと手を握られた。
「あんたがもう立派な悪女さ」
レンカの微笑みに思わず頷きそうになったが、ファナは意識を取り戻した。
「思わず頷きそうになっちゃったわ…」
危ない危ないと呟くファナの手を離しレンカは苦笑した。
長椅子で綺麗に揃えていた脚を組むと、裾が翻り、レンカの脚がチラリと見え、再び裾に隠れた。
ファナはその一瞬にドキッとしたが、それすらもレンカには計算づくのことだろう。
「取引と行こう。私が毒婦と傾国を受け入れる。あんたは悪女のまんまいればいい」
「私が悪女…」
「はっきり言うけど、あんたの高笑いしている姿は悪女そのものだからね。それともなんだい?悪女を引き受ける意地も根性もないってか?はー、情けないねぇ…」
「あるわよ」
レンカのあからさまな挑発を受けて、ファナはキッとレンカを睨みつける。
「覚悟くらいあるわ!!そう言うレンカさんこそ、毒婦と傾国を途中で放り出したら許さないから」
「この町で私以上に似合う女がいたら譲ってあげてもいいけどねぇ…」
ふふふん、と鼻を鳴らすレンカのそぶりから考えるとそこまでふさわしい者がいてもレンカは譲る気もないのだろう。
「ねえ、レンカさん。嫦娥はどうする?」
「私ら2人とも月の女神なんて柄じゃないからリァンに残しておいてやりな」
「それもそうね。レンカさんには毒婦と傾国をお願いするわ。危険かもしれないけど」
そう言ったファナの目から覇気が消える。
「私はね、女に生まれて、生身のまま生きているんだ。毒婦と傾国で箔をつけて女として死ねれば本望さ」
「それがレンカさんの覚悟?」
「そうだよ。悪女のあんたの隣には毒婦と傾国の私が立ってあげるよ、嬉しいだろ?」
「ふん!私の隣に立てることを光栄に思いなさい」
ファナがツンとしていえば、レンカは怒った様子もなく、満足そうに頷いた。
「あんたが相棒なんて頼もしいよ」
レンカは覚悟を決めたようなファナにニヤッと笑う。
ファナは全ての挑発が受け流されて、逆にレンカの雰囲気に飲まれて顔を染めた。
そんな様子のファナをレンカは上から下まで眺めた。
上質な衣服に整った髪の毛や爪、清楚で落ち着いた化粧、大店の奥様に相応しい装いだ。
あの日は薄暗さと雰囲気に飲まれたが、この姿で悪女を背負うには物足りない。
この奥様ならいずれ内面からも滲み出ようが、今は外見を調整する必要がある。
「だったらさ、ファナ姉さん。化粧も服装も悪女風に変えようじゃないか」
そう言ってレンカはニヤニヤと笑った。
「今のままじゃ、商家の奥様だ。誰もあんたを噂の悪女なんて思いやしない…そうだな…化粧も変えて…」
ファナをジロジロと見やるレンカはをそのままに、ファナは卓に置いてある呼び鈴を鳴らした。
すぐに使用人の女性が部屋に入ってきた。
「私の化粧道具を一式持ってきてくれる?あと鏡も」
「かしこまりました」
そう言って部屋を出て行った使用人を見送った。
「レンカさん…」
ファナの目がかすかに揺らいだのを見てレンカはわざとファナを焚き付けるように見やった。
「あんまり殊勝なことを言うのはやめておくれよ。リァンを守るためなんだろ?」
「ええ。ザイードさんに怒られちゃうかしら?」
「怒らないよ」
そう言ってレンカはふふふと笑った。
「あの人は、毒婦な私を誰よりもお楽しみだからね」
レンカが科を作れば、その服の上からでもわかる滑らかな肉体に目が行った。
怪しげな笑みを浮かべ片目を瞑られて、レンカとザイードの情事が思い浮かび、ファナの頬が赤く染まった。
そこへ使用人が化粧道具と鏡を持って現れた。
「ファナ姉さん、いい道具使ってるね…腕がなるよ」
そう言ってレンカはファナの化粧道具を確認し、ファナに化粧を施し始めた。
眉毛は心持ち太めに、そして長くすることで視線を目の周りに集める。
たれ目がちな目の際にいつもより濃く太く線を入れ、目じりに鋭さを足した。
光と影をうまく足し、最後に唇は暗い橙色に染めた。
鏡で見ると見慣れないファナの姿がそこにあったが、高笑いの似合う悪女そのものだ。
「うん、悪女のあんたはこっちの方が似合う」
レンカがいえば、レンカの補助をしていた使用人たちもうんうんと頷く。
それから服装もちょっとだけ着方を変えた。
使用人の女性たちにもどう着たらいいのかを教えて実際に着させてみれば、ちょっとしたことにも関わらずそこにいたのは悪女そのものだった。
「うん…こんなもんかね」
レンカも満足そうだ。
ファナは目をぱちくりとさせた。
いつもの清楚な大店の奥様からはほんのちょっとの差だ。
そのほんのちょっとの差がまるで女王蜂のような雰囲気を作り上げた。
「あんたは土台が可愛らしいからね…あまりやりすぎると安っぽくなるからいい塩梅を覚えていくといい」
そう言うレンカはわざと安っぽく見せることもあるのだとファナも使用人の女性たちは知った。
塩梅を知っているからこそ、ちょっとのさじ加減で自分の思うままに人に魅せる女になれるのだと。
「レンカさんと一緒なら心強いわ」
「それは私も同じだよ、ファナ姉さん」
レンカはニコリと笑った。
思い返せば、あの日顔を突き合わせて睨み合った時には、2人はすでに戦友だった。
同じものを守りたくて救いたくて、手を取り合った。
レンカが屋敷に上がったから連絡は短いいくつかの言葉のみで長らく顔を合わさなかったけど、お互いの言いたいことも考えていることもわかった。
だって、2人はあれ以来ずっと戦友なのだから。
この先のことも覚悟を決めるだけでいい。
2人だからこの先も戦える。
誰もが悪女と言われればファナを思い浮かべ、毒婦や傾国と言われればレンカを思い浮かべるようになるのは、もう少し先の話だ。
内緒話はこれにて終了です