70 エピローグ あるいは、未来に続く話
完結済作品。週2回更新中!
チリンと窓辺に吊るした風鈴が鳴った。
輝く月が出ていて、月の光を反射させた風鈴を窓辺に吊り下げたヤンにリァンは目をやった。
「風鈴?」
「そう、久しぶりに作ってみたから…」
この町で最近少し流行っている。
砂漠に吹く風に揺れ、音を鳴らす姿がどうも人々の情緒を掻き立てたらしい。
「色を入れて幾つか作れって言われて、その試作品」
そう言って、寝台に腰をかけた。
「きれいね…」
寝台の上でリァンが娘の寝る準備を整えて、風鈴の音に少し夢うつつあ様子をみせた。
リァンの隣で真似するように座った娘に柔らかい笑みを浮かべたヤンはふと思い出した。
「工房の見習いの時に、年に一回見習いが作ったものを屋台で売る時があって…」
ヤンは懐かしそうだ。
13才だったろうか、その時のヤンの世代のお題が風鈴だった。
毎年変わるお題に、見習いの時分はドキドキしながら発表を待っていた。
風鈴であれば、色も形も問われなかった。
造形が得意なものは趣向を凝らし、後から色付けしたのもいたし、ヤン自身は色ガラスを一部に取り入れた。
1人3個作って、1番出来のいいものを売ることになっていた。
1個は家用に母に渡したら玄関に吊り下げられていて、1個は嫁いだ姉にあげたらしばらくお店に吊るしてくれて、ちょっとだけ恥ずかしい思いをした。
他の見習いは同じように1個は家用に、もう一個は意中の相手に送っていたみたいだけど、ヤンにはそんな思いを持てる相手はその時はいなかった。
風鈴を売る当日は同期の見習いが揃って、店番をして、自分のが一番に売れるようにとドキドキしたものだ。
「売れたの?」
リァンが聞けば、ヤンは珍しくリァンの前で喉を鳴らして笑った。
思い出し笑いなんてしばらくしていなかったし、よほど面白い記憶なのだろう。
「午前中は誰のも売れなくて、お昼も過ぎてしまって、みんなで落ち込んでいたんだ」
しょぼんとした見習いたちに午前中のドキドキとワクワクはもうなかった。
そこに通りかかったのは犬を連れた1人の旅人だった。
「何で染めたかよくわからない鮮やかな橙色の鞄を斜めに掛けていた…誰も覚えていないっていうけど…」
ヤンの言葉を聞いてリァンの心臓がどくりと鳴った。
「犬が並んでいる風鈴の匂いを嗅ぎ始めて…」
クンクンと匂いを嗅いだ犬が動きを止めて、パクリと紐を加えたのがヤンの作った風鈴だった。
見習いたちがごくりと喉を鳴らして見ているうちに、犬が咥えたまま走り出してしまった。
慌てて旅人が犬を追いかけて走り出し、見習いたちは唖然とした。
市場中にチリンチリンと風鈴の音がやけに響いたのを覚えている。
はっと気づいてヤンと他の数人が犬を追いかけようとした時、市場に来ていた大人たちに屋台が取り囲まれてしまった。
大人たちがそれぞれの風鈴を手に取り、1個2個と売れ始めてあっという間に完売してしまった。
見習いたちはあまりのことに揃って唖然とした。
そして、完売した矢先、小さな女の子を連れた西からやってきた商人が商品を欲しいと言ってきた。
西の人は、この町で使われる東の言葉が使えないようで、女の子が通訳してくれた。
大きな西の人に圧倒され、わたわたとした他の見習いに小突かれ、ヤンが答えることのなったのだ。
女の子経由で商品はもう完売してしまったと伝えると、どういう種類のものがあったのか、工房に常においてあるものなのか、など細かいことを聞いてきた。
女の子も難しい話にわたわたとし始め、ヤンも小さな女の子の口から次はどんな質問が飛び出てくるのかと気にして、しどろもどろになってしまった。
2人で眉を困ったように下げた姿が互いにおかしかったのか、目が合ってくすりと笑いあってしまった。
西の人は少し厳しい表情をヤンに向け、ガラス工房の場所を尋ねてきた。
その後ヤンは女の子から、「女性の飾り物はないの?」と聞かれて、この女の子に贈るところを想像したら真っ赤になってしまって、何を話したか覚えていなかった。
他の見習いがヤンに対してニヤニヤしているのだけは、目の端でとらえていた。
西の人は礼を言うと女の子の肩を抱き市場の中に入っていった。
ニヤニヤしていた他の見習いはヤンをからかった。
「あの子のこと好きになっちゃった?」と。
いつもなら否定をするのに、あの女の子にだけは否定ができなくていると、他の見習いにからかうように小突かれたが、あの西の人が怖かった。
後日、西の商人は女の子を伴ってガラス工房に現れ、女の子が西の言葉を話して、西の商人の通訳をしてくれたと聞いた。
西の人が去った後、売り上げを数えたら犬が持っていったヤンの風鈴の分の売り上げも含まれていることがわかった。
何度数え直しても齟齬はなく、指導してくれた職人に声をかけられるまで揃って首をかしげていた。
「今思っても不思議な話だけど、あの犬が宣伝してくれたのかも?招き犬だったのかな、と」
「そうね…」
あの時、犬がリァンに取り出した風鈴はもしかして見習いのヤンが作ったその風鈴なのかも、と思ったけど、リァンはその風鈴の詳しい色形を覚えていなかった。
彼らは気づかないだけで日常に紛れていて、時々人の人生に多かれ少なかれ影響を与えていくのだろうか。
「そういえば…隊長さんが風鈴の音を聞いて、興味を持っていたかも…」
「…ん?」
「通訳したの、わたしよ…」
あの時にすでに2人は会っていた、ということだろう。
あの時は隊長さんはじめ西の人たちは商売に関わる至る所にリァンを連れまわし、西の言葉との通訳させていた。
通訳だけじゃない、売上や仕入れ、利益の計算から、相殺の仕方に効果的な交渉術などもだ。
もちろんリァンに通訳させるときは隊長さんたちはわからないふりをしてくれていたのだけど。
そんなことを話すとヤンの顔がみるみると赤くなった。
あのしどろもどろで何を言ったかわかっていない内容を西の人にも全部理解されていたのだと思えば、恥ずかしくてしかたなかった。
それに、多分だが、幼い自分がリァンを気になっているのを知っていて、あの隊長さんは牽制をかけてきたのだ。
「そんな恥ずかしがらなくても…」
「だって…かっこ悪い…」
ヤンが恥ずかしそうにぷいと横を向いてしまったのでリァンは困ってしまった。
「ねえ!きれいな音!」
そう言ったのはリァンの隣でちょこんと座った娘だった。
性別と体の大きさを除けばヤンにそっくりだ。
「そうね、きれいな音ね」
「しあわせの音!」
「幸せの音?」
ヤンの問い返しに娘は口の前に手を当ててクスクスと笑った。
「そうだよ、知らないの?父さん。ねえ母さん!弟たち明日生まれる?」
娘の問いかけにリァンとヤンは顔を見合わせた。
「明日はまだ生まれないわよ」
「妹かもしれないだろ?」
「弟なの!2人!」
断言する娘に驚きつつもリァンとヤンはクスクスと笑った。
娘はリァンのお腹にペタリとくっつくとコソコソ何かを言って笑った。
「どうしたの?」
「弟たちが早く会いたいっていうのに、もう少しお腹の中にもいたいんだって。しょうがない子たちねぇ」
娘の話し方は誰を真似したものなのだろうと思うくらい大人びていた。
娘を寝かせつけるのにヤンとリァンの間に挟んで話を聞いて、髪を撫でれば、娘は一つあくびをもらし、かくんと糸が切れるように眠ってしまった。
ガラスの風鈴の音に今の幸せを噛み締めてヤンとリァンは見つめあってキュッと指を絡めあった。
終わり
本投稿にて、「嫦娥は悪女を夢見るか」の本編を終了します。
長い間、お読みいただきありがとうございました。
この後は、番外編として、それぞれのキャラクターの話を随時あげていく予定です。
お楽しみいただけますと幸いです。
感想やこのキャラクターのこういう話を読みたいも募集します。
<今後の予定>
・ザイード隊長の恋バナ
・ファナ姉さん夫婦のなれそめ
・トラン兄さんのお見合い
・ちびっこ2人(リーフェと見習いの少年)の恋は進むのか
・レンカ姐さんの家族の話
など




