6.娘の過去 2
完結済作品。週2回更新中!
それから5年ほど経ち、リァンが13歳を迎えたころ、大粒の涙を流した隊長が盗賊に襲われて命を落としたという話が聞こえてきた。
隊商に加わっていた弟もどうやら命をおとしたようだ、とも。
そして、隊商たちは次第に足が遠のくようになった。
過酷な旅で命を落としてしまうもの、病気になるもの、入れ替わりが激しいのだ。
リァンたちの顔も知らない男たちは抱けもしない女の元には来なかった。
隊長と弟の訃報を聞いた母親は寝込むようになった。
リァンは町の宿屋に働きにでた。
朝早く、母親が寝ている間に家を出て、夕方から夜遅くに家に帰るようにした。
母親と二人だけの家は息が詰まるかと思ったのだ。
娼婦街でもそうだが、宿屋にいて一度旅立ってしまえばもう二度と顔を見ることのできない男たちが多かった。
隊商をやめてどこかの土地に居ついたのか、それとも過酷な旅で命をおとしたのかもわからなかった。
ただ違うのは宿屋に入れば、部屋に引っ張り込もうとする男たちが多かったことだ。
リァンはつとめて男たちの前に出ないことを決めた。
あの日、隊長は「色を売らなくていい」と言ったのだから、色を売ろうとも思わなかった。
母親のあの自嘲に満ちた笑みを自分がすることもないようにと思った。
寝込んだ母親はそこから2年ほど経って、亡くなった。
悪い病気だったようで、高価な薬も与えたが、ほとんど効き目がなかった。
そもそも母親は生きる気力がなかったのだ。
「ねえ、リァン」
カーテンの向こうから声をかけられたのは、最期の夜だった。
「まだ、寝てないの?」
「眠れないのよ・・・」
カーテンを開けるとやせ細った母親が、穏やかな笑みを浮かべていた。
「お母さま?」
昔のように娘に呼ばれた母親はふふふと声を立てた。
「お母さまなんて呼ばれるの久しぶりだわ。ねぇ、リァン。この家に住んでいてもいいけど、色を売ってはダメよ」
「この町の姐さんたちも隊長さんたちにもずっと言われているわ」
「そうね。だってあなたは私たちにとって本当に大切な子なのよ。だから約束して」
「約束するわ、母さん。隊長さんたちが色んな言葉や難しい計算を教えてくれたおかげで役に立っているのよ。色を売らずとも生きていけるわ」
母親は笑みを浮かべて無言でリァンに手を伸ばした。リァンはその手を両手で包み込む。
「ねえ、リァン。あなたには幸せになってほしいわ」
「幸せってなあに?母さん」
リァンが聞き返すと、母親は目を丸くしてはっと気づいたようにクスクス笑った。
「そうね、幸せって何かしら?きれいな着物?おいしいごはん?優しい家族?・・・ああ、これはダメね・・・どれも今あなたにはないもの・・・」
母親の目に涙がたまる。
「愛する人と添い遂げることかしら?これから先の人生、あなたが心から愛せる人に出会えるのを祈っているわ・・・」
母親の目から涙がこぼれる。
「愛する人が先に逝ってしまうのは辛くて悲しいわ。旦那様が殺された時もあの子や隊長さんが死んだと聞いた時も・・・辛くて悲しくて死んでしまうと思った・・・特に旦那様を騙して死に追いやったあの男はいくら呪っても足りないわ・・・」
「お父様は殺されたの?」
「あの男、色を売り始めた私を虐げながら何度も何度も旦那様を侮辱したわ・・・あげく幼いあなたにも手を出そうとして・・・」
「お母さま!その男ってまさか!!」
母親はうなずく。「私たちのあの家に住んでいるわ・・・」とつぶやいた。
リァンは体中の血液が沸騰するかのような思いを味わった。
その男は最初に母親を買った男。父親の商売敵だった男。
名前と顔だけはわかる。
隊長が大量のお金を置いていくまで、何度も母親を買ったのだから。
そして、何度となく母親のいない時にこの家に入り込もうとしたことだってあった。
でも、その男はあまりのアコギなやり方で隊商にも嫌われてしまい、商売は地に落ちたと聞いた。
リァンたちが住んでいた邸宅にかつて住んでいたようだが、今は持ち主が違うはずだ。
ただ、お父様と違い、今でも生きている・・・
リァンの中に大きな炎が逆巻いた。
リァンは目を閉じ、再び開けてから母親に言った。
「ねえ、お母さま。私は今幸せよ。お母さまは?」
母親は目をぱちくりさせた。
「もちろん、幸せよ。なんだか、今日は夢で旦那様にお会いできそうだわ」
「もう、寝て、母さん。お父様によろしく伝えてね」
「ええ、おやすみ、リァン」
「おやすみなさい」
母親が目を閉じたのを見て、リァンはカーテンの向こうに戻った。
思いがけずも怒りと悲しみを抱えることになった。
翌朝、母親は息をしていなかった。
ただ穏やかに笑みを浮かべていた。
こけた頬を指の腹でなでながらリァンはつぶやいた。
「お母さま、お父様には会えた?あのこにも隊長さんにも?」
リァンの目から大粒の涙が零れ落ちた。
次回更新は8月3日です!