36 護衛の男1
完結済作品。週2回更新中!
リァンは寝台で目を覚まし、地方官がずいぶん前に赤門の娼館に行ってしまったことに安堵した。
リァンは素肌に上質な絹の長上着を羽織り、腰元で幅広の上質な絹の帯をゆるく締め、素足のまま寝室が面している中庭にでた。
中庭にでてあたりを見回すと呆れたように息を吐いた。
まさか、ここに戻ってくるとは・・・
そう、かつてリァンが生まれて育った屋敷だった。
父も母も弟も誰もいない屋敷に戻り、愛した人もいない中、ただ一人とらわれている。
とはいっても人手に渡ったせいか、自分が子どもの頃の面影はこの屋敷にはほとんどない。
「眠れないのか?」
かけられた声に目をやるのでもなくリァンは冷たく答える。
「あの男に乱暴されてからちゃんと眠れた日はないわ」
「君にも彼にもすまないことをした・・・」
声をかけてきたのは地方官の使者としてリァンを迎えに来た護衛の男だ。
ちなみにヤンがリァンを取り戻しに踏み込んだあの日、ヤンを押さえつけ殴りつけた男でもある。
あの日、乗せられた東の都風の乗り物で、正面に座った彼はリァンに言った。
「彼は良い男だな。君を助けに来たり、俺を追い返したり、大切な君を守りたい、君への深い愛情を感じる」
リァンはこの男は何を言っているのかと目をすがめた。そう思うのなら、嫌がらせのように迎えに来る必要はないだろう、と。
「君もよくわきまえている。前回でも今回でも彼が俺を殴りでもしていたら、俺は彼を殺し、君を無理に連れてくるように命じられていた」
リァンのなかでかっと血が沸いた。
「でも、君は彼を押しとどめた。良い判断をした。そして、今も俺に強い目つきを見せているが、何もしないのは、俺が何者か、何をしたいのかわからないからだろう?」
その通りだ。この男の意図していることがわからない。
「先に言う。期待をするな。俺はこのまま君を凌辱した男のもとに連れていき、奴が満足するまで何日でも寝室に閉じ込める。君がどんなに泣き叫ぼうと助けることはない。君を逃がすことも彼のもとに帰すこともない。もし君が逃げるそぶりをすれば君をとらえ、君の目の前で彼も、彼の家族も殺す。彼の姉は商家に嫁いでいたな。彼の姉はもちろん、夫、子どももだ」
リァンはぎりぎりと奥歯をかみしめ、こぶしを握り締め、目の前の男をにらみつける。
にらみつけ、このまま座っているしかなかった。
「俺に君が女を使って篭絡することも無理だ。俺は男の機能を失っているからな」
男は静かに言い、言葉を切る。黙って強い怒りを見せるリァンに満足したようだった。
「君に頼みがある」
リァンは何も言わずただ男を見る。
「あの男を殺す手伝いをしてくれ。復讐をしたい」
男は言葉を切ったが、リァンはただ男を見つめた。一瞬リァンの目に光が揺らぎを見せたものの、リァンは言葉を一つ言うこともなかった。
「ここからはただの独り言だ。君に聞かれて構わない。俺には許嫁がいた。幼馴染として育った幼い恋を経験した相手だ。俺は身分を笠に大切な彼女を奪われても助けにも行かなかったし、『助けて』と泣き叫ぶ彼女に目もくれなかった。よくあることだと、彼女も理解していると自分に言い聞かせて彼女が自死してから後悔した」
リァンは何も言わずただ正面の男を見て、この男の話に耳を傾けた。リァンが何も言わないことをよいことに彼は続ける。
「地方官の家柄は央都でも有数だ。主上との血も近いし、覚えめでたい。つまり、古くから陰謀に加担し、生き残ってきた家柄だということだ。宮廷でもすり寄ろうとする男も女も多い。一方、我が家は弱小で何の因果か俺があの地方官と年が近かったために学も剣も共に学ぶことになった。そのため、我が家を取り立てられてな、父や兄だけでなく、親戚一同に至るまでだ。姉と妹は宮廷に、従姉妹もだ。俺は幼くして一族の行く末を背負う羽目になってしまった。文官の試験にはるかにできの良かった俺よりも奴が合格した。そして、あの悲劇が起きた。あいつが俺の許嫁に目を付けたのだ」
リァンはその後何が起こったか、想像がついた。
目をそらさず、目の前の男を見続ける。
「許嫁の家も俺が奴と共に学んでいたことをきっかけに取り立てられた。ひどい話だろ。俺は奴には絶対に逆らえなかった。奴が彼女を寝室に引きずり込もうとしたとき、俺は彼女と目が合っても助けなかった。おびえた目を忘れられない。おびえて助けを求める声が耳から離れない。君が同じ目にあった時、姐さんたちが必死で助けようとしていたな。彼女の場合は俺だけじゃない、彼女の親も家族も俺の家族も誰も助けようとしなかった」
リァンの目に涙がたまった。それを見て、男はかすかにほほ笑む。
「彼女が奴の寝所に引きずり込まれてしばらくして、奴の寝所に呼ばれた。奴は俺に彼女組み敷いて凌辱しているのを見せつけたのさ。俺の許嫁だと知っていたから。彼女は奴に凌辱されていても、1度目は俺を見つけると助けを求めていたよ。俺はそれを無視した。そのご寝室を追い出され、2度3度と呼ばれた。2度目は絶望を湛え、3度目には感情もなかったよ」
リァンは苦しそうに胸を押さえた。ヤンにそんな風に無視されたら、生きていけないと思った。涙が零れ落ちる。
「彼女の目から感情がなくなった時、奴は彼女に飽きたようだ。彼女は奴から解放された。彼女の家族も俺の家族も俺と彼女にねぎらいの言葉をかけたよ。『おかげで我が家は安泰だ』とね。俺もひどく動揺したが、似たような話は時々聞いたから、夫婦になった時に俺が彼女を慈しめばいいとそれで思った。ことがことだから、彼女は屋敷に閉じ込められていたよ。その後、俺は武官に合格してね、ようやく奴の腰ぎんちゃくでいなくて済むと思った。俺はあんなことがあったあとでも彼女を妻に迎えようと思ったよ。それが俺と彼女が受け入れるべきことだと思ったから。でも彼女は自死を選んだ。棺の中の彼女は指や歯がボロボロでね、かわいらしい顔も腫れあがるまでかきむしってあったよ。閉じ込められていた部屋もボロボロだった。はじめはおとなしく閉じこもっていたが、ある時から叫び暴れだしたのだそうだ。侍女が言うには『子ができていた』と・・・俺は抱いたことがなかったから、奴に凌辱されてできた子だ・・・彼女は俺を恨んで死んだんだとおもったよ。俺は贖罪のつもりで自ら男の機能を失った」
リァンはうつむき、声がもれないように口を手で押さえる。涙がとめどなく流れてくる。
もしヤンが自分を少しでも拒絶していたらと考えると、彼女の気持ちがわかるようだった。
「おれは彼女が死んだときも泣けなかった。今までもそうだが、今回の赴任も腐れ縁のように決まった。奴が俺を選んだのか、たまたまなのかわからなかったけど、このまま感情を殺して生きようと思っていたところに、君と彼を見て思ったよ。俺は彼のようにふるまうべきだったと。君のために泣き、君のために怒り、君に愛情を傾ける。俺は彼女のために何一つしなかった。彼女に『君を妻に迎える』『妻として慈しむ』なんて言ったこともなければ伝えたこともない。だから、俺が今できることをしようと思う・・・独り言は終わりだ」
次回更新は11/16です!