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嫦娥は悪女を夢見るか  作者: 皆見アリー
第1章
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2 砂漠の最初で最後の町の娘 2

リァンは天秤棒を担いで再び井戸に向かった。

本当であれば、こういった水汲みもほかの女たちとも分担するべきなのだが、ほかの女たちはできるだけ宿から出ようとしなかった。

隊商のような客が自分たちの不在に来ては、稼ぐ機会を失うと考えているからだ。

「色を売る、女を売る、そんなのいつまでも続くわけではないのに」とリァンは考える。

そもそもあそこは宿屋であって、娼館ではない。

しかし、娼館よりは安くてやることだけやるには手っ取り早いし、娼婦街にいる女たちよりは安心だと客が考えている節もある。

女たちが色を売れば、何割かが宿屋にも入るから女将もすっかり黙認してしているし、砂漠を渡る最初で最後の町となれば、どの宿屋でも事情はさほど変わらなかった。

どの宿屋でも事情が同じだから、隊長が言ったようなもめ事などは毎日どころか起こっていない時が稀で、そんなもめ事ばかり聞いて育てば、どうやって生きていったらいいかなんて少しでも考えたらわかる。

だからリァンはあらかじめ相場よりも高い料金を吹っかけておいて、姐さんたちが後で客ともめないようにしておいた。

先に金が入れば、姐さんたちも女将も気をよくしていたし、客も気をよくした女たちを乱暴に扱うこともなかった。

ただ、隊商の隊長格となれば、目ざとい輩も多いが、今日の隊長みたいに面白がってくれる人もいる。

ほぼ全員がリァンが彼らの言葉を理解することに満足し、料金面では何も言わなかった。

リァンに手間賃をくれる隊長格も多かった。

それだけ、寄る先々で問題が多くて、隊長格ともなればそのもめ事を収める立場にいるに違いないからだ。

とはいえ、「惚れた」なんて言われたのは初めてだが。


リァンは井戸につき、滑車に桶をかけるとするすると慣れた手つきで桶を下まで下した。

たっぷりと水を汲んだ桶は重く、力を入れて踏ん張る。

ようやく引き上げ、もう一つの桶に水を半分注ぎ、天秤棒にかけて担ごうとしたとき、背後で犬の鳴き声がした。

リァンはびっくりして天秤棒を肩から落とし、振り返るとそこには一匹の白地にところどころ茶色の毛の混ざった犬が座っていた。

リァンをみると嬉しそうにしっぽを振り、地面からもくもくと砂煙を立てている。

「びっくりした・・・」

リァンは気を取り直し、天秤を担ごうとしたとき、犬がリァンのスカートにかみついたのだ。

「ちょ・・・ちょっと!やめて!!」

犬はリァンのスカートを引っ張る。少しだけスカートの生地が破れる音がする。引っ張られたスカートを押さえているとふと井戸の陰に人の足のようなものが見えた。

「え!?」

リァンが人のほうに歩みを向けると、犬はスカートから口を離した。

リァンが見たのは井戸に寄りかかるように座っている一人の若者だ。

身に着けているのは洗いざらしのシャツ、黒いズボンに何で色を染めているのかわからない鮮やかなオレンジ色の薄っぺらい肩掛けカバンに黒っぽい靴だけだ。

砂漠に向かうのか超えてきたのかわからないが、日差しをよけるようなマントももっていない。

だからといって、身に着けているものから言って、この若者がこの町の住人でないことは明白だ。

「ちょっと!大丈夫ですか?」

リァンは思わず若者に駆け寄った。血の気のない表情をぺちぺちと軽く叩くと、若者はその目を開けた。

その目を開けて、リァンを認めるとニコリと笑みを浮かべた。なんだかぼんやりと遠いところを見ているようだ。

「女神様・・・」

若者の言葉にリァンは若者が錯乱しているのかと思った。

「ちょっと!水!水のみますか?」

リァンが声をかけると若者はこくんとうなずいた。リァンは何か入れ物がないか探していると、薄っぺらい肩掛けカバンから犬が茶碗を取り出した。

「ああ、ありがとう!」

犬から茶碗を受け取って先ほど汲んだ井戸の水を若者に渡した。

若者はゴクゴクと喉を鳴らし、水を1杯2杯と飲む。

3杯目を飲み終わった時に大きく息を吐き、改めてリァンの姿を認めると、土下座をする勢いでリァンに礼を言った。

「ありがとう!助かりました!!・・・あの、水が冷たくておいしくて、それで・・・その・・・」

最後は言いにくそうに言いよどむ。言いよどんだ後に若者の腹が盛大になるのが聞こえた。

「もしかして、おなかがすいている?」

若者は恥ずかしそうに大きくうなずいた。顔を真っ赤にしている。

リァンは若者の姿をもう一回見やると、大きくため息をついた。

「もし、お金があるならこの先の屋台で何かを買ってくるけど・・・」

若者は首を横に振る。

そんなことだろうとリァンは思った。お金があればこんなところでこんな軽装備で倒れてなどいないだろう。

だって、ここは砂漠の最初で最後の町、お金さえあれば知り合いがなくとも生きることも次の町に向けて旅立つことも可能だからだ。

リァンはどうしたもんかと思案する。

今日の仕事は夕方まで。この水を運んでもう1往復すればちょうど仕事が終わる時間だ。

リァンはスカートの隠しの銀貨を思い出した。今日の手間賃は姐さん2人が明日の昼まで奉仕する値段と同じで、ずいぶん奮発してくれたものだと思う。

「今日の仕事、もう少しで終わるの。それまで待っていられるなら、ご飯おごるわ」

リァンの言葉に若者は目を輝かせ、リァンの手を取った。

「ありがとう、ありがとう!君は見た目だけじゃなくて、心根も美しい人なんだね!?僕は君みたいな人に会えてうれしい!まるで本物の女神のようだ」

今まで聞いたことのない誉め言葉にリァンは顔を赤くする。

「な・・・なん・・・」

「惚れた」に「女神のようだ」と人生で何度も言われることはそうそうないだろうに、1日で違う男に言われるなんて、「なんて日だ」とリァンは思った。

リァンは若者の手を振りほどくと、真っ赤な顔のまま天秤棒を担いだ。

「終わったら来るから待っていてちょうだい!」

水の入った桶がぶら下がっている天秤棒の重さもなんのその、リァンはすたすたと宿屋のほうまで歩いて行った。

その姿を見て、若者は犬に語り掛ける。

「いい人を見つけたね?ツェン」

犬は嬉しそうにひとつ鳴き、しっぽで砂煙をあげている。

若者は犬の首筋に手をあて優しくなでる。

しばらくするとリァンが天秤棒を担いで戻ってきた。若者と犬の姿を見つけると、

「もうちょっと待っていなさいよ!」

といって井戸から水を汲み、再び宿屋に戻っていった。

若者は柔らかい笑みを浮かべてリァンを見つめる。

「ほんと、いい人だな・・・彼女、幸せになれるといいね」

意味深長な言葉を言い、若者はすうっと目を細める。

まるでリァンの未来をその目でとらえるかのように。




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