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嫦娥は悪女を夢見るか  作者: 皆見アリー
第1章
22/167

20 嫦娥は西に

完結済作品。週2回更新中!

ザイードがもたらしたのは東の都の話だ。

流行り物、噂話、時の皇帝の趣味や新しい妃の女官は西方の出身のようだと。

それから、

「最近では東の都、奴らは央都と呼んでいるが、嫦娥を探すのが流行りらしい」

と。

そうあの後、他にも嫦娥の話を聞くハメになった。

最近の男同士の挨拶に近いものらしい。

その多くはどこそこの娼館で目も覚めるような美姫がいたとか、ある官僚の娘が夢にも見たくなる美女だとか、はたまた、異国との境に本物の女神が降臨したとか…

あの時のやりとりを今思い出しても悔やまれる。あれでは「嫦娥を見つけた」と言っているものだ。

しかも西からやってくるザイードが言うなら「嫦娥は西にいる」と知られたに違いない。

「どれも流行りや噂の域を出ないものだが、政争のネタにされかねない」

「そう、嫦娥…月の女神だったかしら?」

ファナがつぶやくと一同の視線が話をしているザイードとファナからリァンへと移動する。

「え?私?」

「今のところ、月の女神と言われて思い浮かぶのはリァンさんだけね。言ってるのはザイードさんだけだけど」

ドギマギするリァンにファナは原因を作ったザイードに視線を移す。

「ザイードさんはリァンさんが政争に巻き込まれると?」

ザイードは肩をすくめる。

「央都を揺るがすようなことにはならないだろうが…」

いくらなんでも距離がありすぎる。

噂を確認するためにどこにいるかもわからない女神を探すだろうか?

しかし、

「嫦娥と噂の女を捉えるべく派兵をした例も過去にはある。嫦娥とされた女に子も夫もいたが、家族を殺され連れ去られたそうだ。その王朝は嫦娥と王とのあいだにできた子の代で滅んで『嫦娥の呪い』とも言われる。似たような話は東にも西にもある。夢に懸想した権力者ほどタチの悪いものはない」

ザイードはいう。

似たような話は古典にも神話にもある人の性だ。

「呪うのも当然よね。その嫦娥の話は今も広がっているのかしら?」

「今の央都も嫦娥の噂も熟れた果実みたいなもんだ、その甘さに惹きつけられる害虫も多い」

「そう、すでに食い荒らされて落ちるのを待つだけじゃないといいけど」

ファナの言葉にザイードは感心すると同時に嫦娥を口にした官僚が思い出される。

あれほど央都を食い荒らす良い例はないだろう、と。

「あんたと話すのはどうも緊張するな」

「あら!お褒めいただいて光栄ね。噂話は私たち女の得意とするところだもの」

ファナはニタリと微笑む。

「遠回しに真実も嘘も皮肉もこめるの。噂は女が生き抜くための立派な武器よ」

ふふふと笑うファナに男たちは背筋に冷たいものが走る。

女は怖い、噂を操る女を敵に回してはならぬと改めて思う。


リァンはふと娼婦街でも宿屋でも職人街でも女たちが常に噂話に盛り上がり軽口を叩き合っているのはそう言うことかと思う。

生き抜くため、自分自身と家族と大切な人を守るため、噂を流すのだ。

真実と嘘と皮肉を込めて。

自分の価値を上げもするし、誰かの価値も躊躇なく下げる。

価値を下げることでも誰かを守ることができると女たちは知っている。

ヤンとリァンのあれこれを女たちが知っているのは、横槍や横恋慕を予め防ぐ面もあるのだろう。

知っていてちょっかいを出すなら「野暮なやつ」と白い目で見られるのだ。

「あんたみたいな女を敵に回したら国すらも滅ぼされそうだ」

ザイードはぼやく。

「噂話だもの、1人では無理だけど、真実は嘘にも幻にもなるわ」

「女は怖いねぇ」

ザイードから本音が漏れ、男たちは激しく頷く。

「ところで、ザイードさんはなぜリァンさんを月の女神と?言っては悪いけど、リァンさんはどうにも素朴な方で」

全員の視線がリァンを向く。

多少整った顔をしてはいるが、このくらいの年代の娘では普通のことだし、化粧が得意ならもっと美しく魅惑的に見せることはいかようにでもできる。

表情も出会った頃より幾分も明るいが、他の娘と比べて華やかさが足りない。

どう贔屓目に見ても宿屋の下働きや工房の手伝いの娘にすぎない。

職人であるヤンに似あいの相手と言ってしまえばそれまでだ。

言葉に詰まったザイードを見てニヤリと笑みを浮かべ、弟に話を振る。

「貴方はどうなの?ヤン?」

「俺?」

「トランや旦那様に聞けるわけないでしょ!」

全員の生暖かい視線がヤンを向く。

ザイードは自分のことを棚に上げてニヤニヤしている。

「俺は好いた女を女神として崇め奉るよりも、生身の女として抱きたい」

ヤンはしれっと答える。

「言うねぇ、兄ちゃん」

「女神を理由に好いた女に触れられない腰抜けにはなりたくないんでね」

「言ってくれるじゃねえの」

ザイードはとってつけたような笑顔を貼り付け余裕ぶって見せる。が、その余裕はただの強がりだとわかってしまう。

ヤンは勝ち誇ったようにフフンと鼻を鳴らす。ヤンの姉は2人のやりとりをしょうのないように見て息を漏らす。

「正直、宿屋や娼婦街のお姐さんの方が艶っぽいし、嫦娥というくらいなら娼館の売れっ子がそれらしいのよねぇ」

「最近は東の都風の衣装が人気のようだと聞いたよ」

「西方の顔立ちの娘が着るとより神秘的だとか」

トランとファナの夫がこぼすと、ファナがはたと思い付いたように手を打つ。

夫が娼館に顔を出すのは商売もあれば、商談の場合もあることは十分に承知している。

なじみがいるという話を聞かないわけではない。実際に馴染みがいるにしても、この夫は日のあるうちは店にいて、夜はほぼ家にいるのだ。だから、馴染みというよりは商人と客程度の間柄でしかないのだろうと考える。娼館の馴染みの話が出てくるのは商談や商売で娼館に上がった後のことがほとんどだ。もっともその話を振るのはファナを傷つけようとするのが目的だと知っている。

その度にファナはしれっと「旦那様は素敵な方だもの、お姐さんたちが放っておけるわけないじゃない?」とのろけるのだ。相手がぎりぎり歯を鳴らすように顔をゆがめたら何気なく話題を変えるのだ。


次回更新は9月21日です!

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