19 ザイードの帰還
完結済作品。週2回更新中!
ザイードは砂漠の最初で最後の町に戻ってきたのは、それから3か月がたったころだった。
いつもより足も速く、隊商の男たちも荷を運ぶラクダたちも根を上げる寸前だった。
定宿決めたリァンの勤める宿に行ったものの、姿がないと知りサッと青ざめた。
「リァンなら今日は休みだよ、ガラス工房に行ってごらん」
声をかけたのは年かさの女だ。荷物もほとんど持たずに飛び出していきそうな隊長を捕まえると、
「この前と同じ料金で男たちを相手していいかい?」
と聞いてきた。
年かさの女の懐からは前回立ち寄った時にリァンと交渉した金額が書かれた紙がでてきた。
「ああ、もちろんだ!金は前払いで男たちから個別に払わせる」
いうだけ言うと、ザイードはガラス工房に向かって宿を飛び出した。
「ほんと、リァンは悪い女だねぇ。あんないい男を夢中にさせてさ」
年かさの女は手を叩いて、女たちを呼び寄せた。
リァンがいなくてもこの隊長の名前の入った金額表見せるとどの隊商も文句を言わずに払った。
女たちが出てきたのを見て男たちも色めきたつ。多少高くてもこの宿の女は良い、往復の旅をしてそう思う。
自身たちが先に金を払い、問題を起こさないからだと気づくものはない。
ザイードはガラス工房にたどり着き、なかから赤ん坊の泣き声が聞こえてくるのをいぶかしく思ったが、はたと思い出した。
涼やかな女の声が聞こえ、赤子をあやしているようだ。
女の声に男の声も重なって聞こえる。
仲の良い若夫婦の声のようだ。
”嬢ちゃん、あかんぼうなんていくら何でも早すぎだろ!?”
工房の突然の訪問者に一斉に目が向けられる。何を言われたかわからないが、それに素早く反応する声がした。
”私の子どもじゃないわ!!”
ザイードはホッとし、つかつかつかと腕の中の赤ん坊をあやしているリァンのもとに寄った。
熱のこもった視線をもつザイードにその場に立ち尽くすリァンだったが、ザイードはリァンの足元に跪く。
”よかったよ、嬢ちゃん。無事でなんともないな?”
ザイードがなにに安心しているかわからず、リァンはザイードを覗き込む。
その視線が以前よりも明るく穏やかで落ち着いている様子にザイードはヤンやその家族との関係も良好だとわかった。
ザイードは赤ん坊を抱えるリァンの片手をとり、その指先に口づけた。
「俺の月の女神。遠い旅路に何度あなたを夢想したことか。赤子を抱いた貴方は西方に渡った聖母のように神々しい」
冗談とも本気とも取れない言葉にその場にいる全員が固まる。ザイードはちらっとその場に視線を走らせヤン、ヤンの姉、兄、見知らぬ男はヤンの姉の夫だと考えて、からかう調子の声音を出した。
「嬢ちゃんがそこの調子のいいだけの軽い兄ちゃんに虐げられてないかって気になっちゃってよ」
「虐げません!」
ヤンはリァンを抱き寄せ、ザイードの手をリァンから離す。
「浮気は?」
「しません!!」
「兄ちゃん、いくらなんでも赤ん坊は早すぎだぜ」
ザイードはわかっていながらヤンをからかうように言った。
「姉貴の子だよ!あんた、わかって言ってんだろ!」
ザイードは神妙な顔でヤンをみつめた。目つきに憐れみがこもっている。
ザイードの目つきに次に何を言われるか内心びくびくする。
「兄ちゃん、まさか、まだ嬢ちゃんを抱けてねえの?」
「もう何度もやっとるわ!!」
間髪入れず答えてしまった。
ヤンは生暖かい視線を兄、姉、姉の夫にザイードに向けられる。
腕の中のリァンはふるふると震えている。
「そんなに大声で言ったらすぐに職人街に広まっちゃうわ!!」
リァンは恥ずかしさで両目に涙を湛えている。
なんとなく知られているにしても自ら話すことではないと思うのに。
赤ん坊を落とすわけにいかないので、涙をぬぐえず、ぽろりと零れ落ちる。
初めての日のことだって、どこから漏れたか知らないが、「首尾よくいったんだって?」と職人街の女に声をかけられたときは穴があったら入りたいと思った。
娼婦街も職人街でも宿屋でも女の噂は早いし怖い。
ヤンはあたふたとリァンの涙をぬぐう。謝るもののリァンはツンと視線をヤンからそらす。
本気で怒っているのではなくただ拗ねて見せているだけだというのはヤンの指がリァンの眦にかかったままなのからわかる。
「まあ、なんだ。元気そうで、仲良さそうでよかったよ」
ザイードはホッとし、安堵を隠そうとニヤニヤし始めた。
「見事に尻に敷かれそうで、いいねぇ」
3人のやり取りを見ていたファナもにこにことザイードに声をかけた。
「ザイードさんも変わらないわねぇ。いつこちらにおつきに?」
「あ・・・ああ、先ほど」
「そう、先ほどこの町について、すぐリァンさんに会いに来るなんてずいぶん惚れこんでらっしゃること。それとも、なにか火急のようでも?」
ファナはザイードの様子にただならぬものを感じたようだ。
ザイードは取り繕うように笑顔を張り付ける。そして、気づく。
荷物はすべて宿屋にあり、こちらには身一つで慌ててやってきたことに。
「そうそう、こちらに卸す材料と・・・宿屋だ・・・」
「あらあら、ザイードさんらしくないわねぇ、ぜひともお話を詳しくうかがわなくちゃ・・・」
ファナにつめられてザイードは頭を抱える。
話題を変えるようにリァンに話を振る。
「嬢ちゃん、明日仕事は?」
「午前中少し工房に顔を出して、午後から宿屋に」
「じゃあ・・・午前中来るから仕事に合わせて一緒に宿に行くか?」
「いえ、明日の午後、リァンと一緒に商品をもって宿に伺いますよ。その時に材料も受け取るんで」
笑顔のヤンの言葉にザイードは気おされる。
こういうことを言う隊商は今までにも何人もいて、そのたびにヤンはリァンを男と二人になどしなかったのだろう。
それがたとえ、兄でも義兄でも、父親でもだ。
リァンを男と二人きりにしないためのものも言わさぬ雰囲気だけはヤンも身に着けたらしい。
そのためファナは父・弟・夫に「ヤンをいじめすぎだ」と苦言を呈され、小間使いの少年も激しく頷いていたのは言うまでもない。
「まったく、すっかり過保護になっちゃって・・・そのほうがありがたいけどな」
最後はボソッとしたつぶやきだが、ファナはその言葉を聞き逃さなかったらしい。
「まあ商談は明日にして、今日は旅の土産話をじーっくり聞きたいわ。いいわよね、ザイードさん?お座りになって?情報もしきたりも陰謀もすべて商品なんでしょ?商品の交換と行きましょう」
きらりと目を光らせたファナの有無を言わさぬ口調にザイードは観念したように椅子に腰を落ち着けた。
次回更新は9月17日です!