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嫦娥は悪女を夢見るか  作者: 皆見アリー
第1章
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1. 砂漠の最初で最後の町の娘

その町は砂漠を超える交易路の手前にあった。

砂漠の前の最後の町、もしくは砂漠を超えてきたものにとっては最初の町。

最初と最後がまじりあうその町は様々な人が行きかい、言葉もカネも物も動物もあふれていた。

普段使いのものからとりわけ珍しいものも。

そして、もちろん、人の欲も。


「砂漠の向こうからお客様がおつきだよ!さっさと水を汲んでおいで!!」

町にある宿の一つ、砂漠を超えてきた隊商を愛想よく迎え入れた女将は、裏口に向かって怒鳴った。

怒鳴り声に押されるように飛び出してきたのは一人の少女とも女性ともつかぬ若い娘だ。

娘の足元には空の桶がころがった。

宿の裏手にある井戸から客用の水をくむことが娘の仕事の一つだった。

彼女は桶を天秤棒にかけると、宿の入り口から聞こえる機嫌のよさそうな女将の声と接客担当の女たちの声を聴いてうんざりした顔をした。

女将は砂漠を超えてきた隊商がこの宿でもこの町でも景気よく金を使ってもらえるように愛想がいいのだ。

接客担当の女たちは、要求があれば隊商の足を洗うし、茶や酒を注いだし、疲れた体をもみほぐすと言いながら色を売った。

女たちが色を売れば女たちに金は入るし、隊商は満足して帰る前にもこの町のこの宿に寄る。

そして、砂漠を超える前の英気を女たちで養うのだ。

色を売る女たちは華やかな格好をしていたし、物も人もカネも行きかうこの町には、成金も多かった。

一方で、様々な理由で落ちぶれたひとたちも。


娘はうんざりしながらも、女たちの華やかな格好と自分の質素な格好を比べて大きなため息をついた。

彼女は女たちよりも幾分若いが、色を売るつもりはなかった。

娘は井戸で水を汲み、宿屋に戻って、接客担当の女たちが使った水がめに水を足した。

あと何往復必要だろうか、と指を折りながら考えていると、声がかかった。


「ちょっと、リァン!こっちきて、なんて言っているか聞いておくれよ!!」

接客担当の女たちが彼女を呼ばわったのだ。

「どうしたの?姐さん」

リァンが行くと隊商の男たちは接客担当の女たちになにがしかを言っているのだが、その言葉を女たちがわからなかったのだ。

またか、とうんざりしながら隊商と女たちの横に立った。

隊商の男たちはリァンをちらりとみて、「貧相な小娘だな」という目つきをし、値踏みをするような視線を女たちに投げ、なにがしかをいった。

「姐さんたちを部屋に連れていきたいって言っているよ」

女たちの口角が持ち上がる。にんまりとした表情よりも一瞬にして広がった色香を感じて気をよくした隊商の男たちはどの女がいいかを相談し始めた。

「リァン!言っておくれよ。ただじゃないんだってね。時間での相手でいいのか、一晩相手すればいいのかで値段だって違うんだ!」

リァンは男たちに向かって女たちの言ったことを伝えた。

隊商の男たちはこの貧相な小娘が彼らの言葉を話すことにも驚いたが、なによりも驚いたのが彼女が女たちの値段を男たちがわかるように紙に書き始めたことだ。

”驚いた。嬢ちゃんは俺たちの言葉をわかるだけじゃなくて、読み書きもできるのかい?”

”姐さんたちを時間で部屋に連れていく場合と一晩連れていく場合の値段はこれ”

男の質問に答えずにリァンは値段のかかれた紙を突き出した。

男たちの言葉で話し、書いた文字を見せればそれで質問の答えになった。

不愛想な態度に男たちは肩をすくめたが、からかうような声が聞こえた。

”嬢ちゃん、俺はあの姐さんとそっちの若いのを連れていきたいんだけど、今の時間から明日の昼までだったらいくら払ったらいいんだい?”

男たちはリァンがしどろもどろになると思ったのだろう。

ゲラゲラと笑いながら、”嬢ちゃんをいじめるなよ”、”嬢ちゃんをからかっているだけだよ”と声をかける男たちもいる。

”姐さん2人を今から明日の昼までなら、今から夜が始まるまでと朝から昼までを時間計算だよ。二人分の一晩の料金を追加して、これだね”

リァンはそろばんをはじきながら、料金の計算をした紙を男に渡した。

男たちは紙を覗き込み、計算を合わせるように繰り返した。

”こいつは驚いた。嬢ちゃん、そろばんまでつかえるのかい?”

隊商の長と思しき男は感心したようにリァンを頭のてっぺんからつま先までを何度か視線を走らせた。

リァンはニコリともせず、そのまま隊長をみやった。

化粧っけのない顔に質素の衣服、顔の造作や体つきはまあまあだが、この町でよく見かける下働きの娘の一人だ。

他の下働きの娘は金を持っている男を見るとぎこちなくも愛想よく笑うが、この娘はニコリともしない。

ニコリともしないが、言葉は達者で読み書きそろばんが得意なようだし、しかも間違いもない。

下働きの娘だろうとこの宿屋の女たちだろうと言葉が多少わかれば、もっとすり寄ってくるだろうに、この娘はそんな様子も見せない。

隊長はリァンに銀貨を10枚握らせた。

”嬢ちゃん、すまないが、うちの連中に姐さんたちを見繕ってあげてくれ。料金は先払いで、それぞれが支払うし、延滞した分もあとからきちっと清算させる。これは嬢ちゃんの手間賃だ。よろしくたのむよ”

隊長は初めにリァンが書いた女たちの料金表に自分の名前を書き、リァンに渡した。

”この値段でこっちは承知した”

男たちは自腹の話もあり、文句を言ったが、隊長のひとにらみでだまった。女たちはダルそうな様子でリァンと男たちのやり取りを見ていたが、

「姐さんたち、こちらのお客さんが今から選びたいってさ。延長もあるかもね」

というリァンの言葉を聞いて花がほころぶような笑みを浮かべたのだ。

一人ひとりと話をし、料金を受け取って、ひとりずつ部屋に消えていく女たちを見送った。

残された女たちは残念そうにそれぞれの仕事へと戻っていった。

宿の文として受け取った金を数えて帳簿に書き写していたリァンに隊長が声をかけた。

”嬢ちゃん、やるなぁ。男だったら隊商に連れていきたいくらいだ”

リァンはちらりと隊長に目をやるが、すぐに帳簿に目を戻し、そろばんをはじきながらするすると記入していった。

”しかも姐さんたちが野郎どもと交渉せずとも先に割増料金まで払わせるたあ、やり手だね、嬢ちゃん”

リァンは隊長の指摘に手を止め、ごくりと喉を鳴らした。

その様子に隊長はニヤニヤと笑いながら、

”別に責める気はねえよ、旅してるとそんなもめ事ばっかでな、あらかじめ起こらないようにしてくれてるとありがたいもんだ。ところで、どこで言葉に読み書き計算を覚えたんだ?”

”ここは砂漠の最初で最後の町だから”

隊長が責める気がないとわかってホッとしたら、おもわず質問に答えてしまった。

”姐さんたちを見てたら理由にならねえな”

”姐さんたちは覚えようとしないの、それだけ”

”まあ、姐さんたちが話せないでいてくれたほうが、嬢ちゃんも小遣い稼ぎできるよな?俺みたいに手間賃くれる奴も多いだろ?しかも姐さんたちの値段と同じかそれ以上のな?色を売らないいい方法だな”

リァンは隊長の指摘に答えるかわりにその口の端にかすかな笑みを浮かべる。隊長はその笑みの美しさに喉を鳴らした。

その場を一変する涼やかな笑みだった。

まるで、東の国につたわる月の女神が戯れに下界におりて、男たちを惑わすような、それでいて非常に神聖な気持ちにさせられた。

”嬢ちゃん。嬢ちゃんはこの町の出かい?絶対に色を売るなよ。絶対にだ。嬢ちゃんが望むなら、俺は嬢ちゃんを世界中どこでも連れていくし、この町にもない世界中の珍しいものを嬢ちゃんに持ってきてやる”

リァンは突然に隊長からの申し出に目を瞬かせた。

帳簿から顔をあげると隊長の真剣な顔が目に入った。

”なんで?”

”俺は嬢ちゃんにすっかり惚れちまったよ、だからさ”

リァンの顔がみるみる上気する。

耳まで真っ赤になったリァンの顔を見て、隊長は豪快に笑った。

”いいね、いいね。そんな初心な顔されたらますます惚れこんじまうよ。次来るときは嬢ちゃんに珍しい土産を持ってくるよ。さて、俺も部屋で休むとするかね”

隊長は荷物を担いで、部屋へといってしまった。さきほどあぶれた女たちが隊長に粉をかけようとするが、隊長は女たちを追い払うように手を振ると部屋に入っていってしまった。

リァンは女将に女たちがそれぞれの男たちの部屋に入ったことと料金の話をすると、女将は満足そうにうなずいた。

「そうかい、あんたもやるじゃないか」

そう褒めてはくれたが、リァンは軽く笑みを浮かべただけで、「水汲みが途中なので」といった。






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