足高の制の歴史的意義
足高の制は江戸幕府八代将軍の徳川吉宗が享保の改革の一環として導入した制度で、高校日本史の教科書に太字で載っている。その足高の制の内容は、新しく幕府の役職に就任する人物に、家禄がその役職相当でない場合に、任期中に限り不足分を補うというものである。
まず、教科書には「人材登用と支出抑制の一石二鳥をはかった」(註1)とある。つまり教科書において足高の制は徳川吉宗が積極的に人材を登用することを目的に、また、その際に人件費を必要以上にかけないために導入されたと理解されている。
(註1):日本史B 新訂版 実況出版 令和三年発行 190項
しかし私はこの足高の制には教科書の記述以上の歴史的意義が存在すると考えている。そのことを理解するためにはまず前提として当時の官吏登用制度や官僚制度を理解していなければならない。江戸時代の官僚制は、一昔前の言葉を使うと「家産官僚制」と表現されている。この制度では幕府の役人は公務に必要な人手を基本的に自身の家臣団でまかなう。(但し与力は幕府から配属される)さらに、公務における支出は自費であった。したがってより高位の役職に就けばつくほど出費が多くなるので、経済的に余力の有る人物しか要職に就けない。経済的に余力の有る人物とはすなわち「家禄」を多くもらっている名門旗本家の当主のことである。当然ながら町奉行や大目付などの要職は名門旗本に独占され、人事が固定化していた。そこで有能な下級武士を抜擢し、要職に就け、その一門を高級旗本にすることはおこなわれた。しかし、そうすると「家禄」が高い高級旗本家が増えるので、幕府の財政は圧迫された。
そこでこの状況を改善するために導入されたのが足高の制である。そのことは上記の教科書の引用部の通りである。しかし長期的視点をもって考えたとき、足高の制は単なる幕府の人材、財政の政策にとどまらないことがわかる。「家産官僚制」では基本的に俸禄は「家禄」という言葉が示しているように「家」に与えられるものだった。しかし足高の制では役職任期中にのみ「家禄」を増額するとされている。これは「家」ではなく「役職」に主眼を置いた俸給制度である。
近代社会では給与は「役職」に応じて個人に与えられるものである。江戸期の「家産官僚制」の「家」に対する俸給制度から近代的な「役職」に応じた俸給制度へという過渡期の制度が足高の制なのである。さらに、近代国家の中枢をなす官僚機構の形成へとつながる有機的かつ流動的な人材登用の風潮も、この足高の制が嚆矢であると、私はそのように考える。
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