第八話 仮面の剣士
燦々と輝く太陽の下、森の中の小屋の前に五人の人影があった。
ここ『酒造国』レウマにおいて、国家転覆の企てが進行していた。定例の会合の席に仮面の剣士が突如として乱入し、鉄でできた人形をけしかけて国家の重鎮を次々と殺害。辛うじて難を逃れたトゥーレグ伯爵家のフロンは、逃亡中に巡り合った三人組に助けられ、そして、ようやく師であるアルコの下へと辿り着いた。
フロンはトゥーレグ伯爵コレチェロの弟であり、兄が仮面の剣士に殺害されたため、暫定的に伯爵位を継承しており、この五人組の一応の総大将となっている。
その彼を助けるのが、老齢の魔術師アルコだ。その齢を証明するかのように、頭髪はすでに白一色であるが、背筋はまっすぐ伸び、快活な足運びで意外と若々しい雰囲気を出している。元は宮廷魔術師として方々からの相談役として活躍し、また私塾を開いて貴族の子弟から一般庶民まで分け隔たりなく学問を教えていたことから、高い名声を得ていた。老齢となって現役を引退して故郷の山村でのんびりと過ごしていたのだが、今回の騒動の件で弟子であるフロンの要請を受け、現役復帰となった。
この二人がレウマ国の国人となるが、他の三人は他国人、それどころか、別の大陸からの旅人であった。レウマ国のある西大陸から海を挟んだ所にある東大陸。両大陸はかつて存在した統一国家『魔導国』の崩壊と共に行き来が絶えていた。東大陸は長き戦乱の時代を迎えていたがそれがようやく収まり、そのあふれ出る活力を外に向けた。
東大陸の海運業に絶大な影響力を持つ白鳥と呼ばれる存在が、長らく途絶えていた東西大陸の航路開拓に乗り出した。そして、つい先年定期航路が就航し、人々が行き交うようになった。
三人組の一人フリエスは三十路を迎えた女性であるが、その容姿はかなり若い。幼いといってもいいほどだ。背も低めで肉付きも悪く瘦せ型で、どうにか贔屓目に見て十代半ばに届くかどうかという見た目だ。とはいえ、少々巻き癖のある金髪は旅のせいかボサボサしてはいるが、容姿自体はとても愛らしく、ちゃんとした装いならばさぞ美少女として映えるであろう。
また、自身と同名の雷神フリエスをその身に宿しており、《小さな雷神》の二つ名の通り電撃系の魔術を得意としていた。また剣術もそれなりに修めており、前衛もこなせる稀有な魔術師である。
三人組の一人フィーヨはフリエスとは打って変わって、出るとこがしっかり出ている大人の女性だ。真っすぐ伸びた長めの黒髪は一切の汚れもなく、整った顔立ちと相まって美女と言っても差し支えないであろう。なお、すでに齢は四十を超えており、また子供もいるのだが、美の衰えは一切感じさせていない。
佇まいに洗練された所作が見受けられ、非常に優雅であるが、それもそのはず。フィーヨは東大陸において皇帝として一国を統治していたこともあり、貴族の礼儀作法が身についているからだ。また、統治者として数々の功績を残しており、《慈愛帝》の二つ名で呼ばれるほどの善政を敷いていた。
首から下げられた聖印が示すように、フィーヨは軍神マルヴァンスに仕える神官でもあり、数々の奇跡を執り行うことができた。
三人組最後の一人セラは長身の男性だ。短めの灰色の髪に、線の細い顔立ちは優男といった感じで、不愛想な表情さえ改めればさぞ美男子としてもてはやされそうだ。なお、その正体は人族、人狼族、吸血鬼の三種族の混血児で、それぞれの特性をいいとこ取りした能力を持ち、《十三番目の魔王》を自称している。
鍛えぬいた身体能力で戦うのが得意な拳術士あるが、魔術にも造詣が深く、長い年月の中で蓄積された数々の知識もあり、文武両面に秀でていた。ただ、基本的に無口で、自分の気に入ったこと以外には極力関わろうとしない。
現在、五人はアルコが隠居していた山村から程近い山中の狩猟小屋にいた。山村が仮面の剣士が放った捕り手に先回りされ、アルコが屋敷からその身を小屋へ移し、そこへ他の四人が合流したという形だ。
そして、今まさにこの場へ仮面の剣士が狩猟小屋に向かって単独で馬を走らせており、それを待ち構えていた。敵方の大将が単独で突っ込んでくるという異常事態であり、どういうことかと多少動揺はしたが、相手を捕える好機でもあった。
「はてさて、何が出て来るやら」
小屋の前に陣取ったフリエスは装備を確認する。腰に帯びている曲刀はおそらく出番はない。相手は金属製のゴーレムを多用している。ならば、こんな刃物よりも、魔術での対処が中心になるだろう。
そうなると、活躍するのは首飾りの姿をしている《雷葬の鎌》だ。これは神の力が付与された神々の遺産であり、無尽蔵に電撃系術式を使えるようになる。大抵の相手は電撃を乱射しているだけで片が付く。
「単独で現れるということは、ゴーレム軍団でこちらに勝てると踏んだ、あるいは話し合いでもするのでしょうか・・・。とりあえずは警戒しつつ、生け捕りを狙いましょう」
フィーヨは袖口から外の様子をのぞき見する二匹の赤い蛇を両の手でそれぞれを撫でた。この蛇は《真祖の心臓》という神々の遺産で、血液を操る能力を付与する神々の遺産だ。これで相手の血管を破裂させたり、あるいは自身の血流に魔力を流し込んで身体強化したりと、色々と用途が広い。形状も変幻自在で、普段は蛇にして持ち運びしているが、剣にも弓にも変化する。
「兄の仇です。容赦はしません。すべてを吐かせて、起こした騒乱の罪に相応しい最期を与えてやるつもりです。こればかりは譲りませんよ」
フロンとしては、兄を始め、国の重臣の多くを殺した仮面の剣士を許してやるつもりは毛頭なかった。事の真相を全部吐かせ、その上で処刑するつもりでいた。そうでもしなければ、騒乱の犠牲になった遺族が納得しないだろうと考えていたからだ。
「我が弟子よ、急く事なかれじゃ。まずは相手を見極めよ。ほれ、そろそろ来るぞ」
アルコの脳裏には飛ばしておいた使い魔のカラスの視界の映像が浮かんでおり、もうすぐそこまで仮面の剣士が来ていることを皆に知らせた。
そして、程なくしてその姿が林道から現れた。栗毛の馬に跨り、装備は剣に金属板の鎧と外套と、籠手や足具はなく軽めの装いだ。攻撃を食らうつもりはない、という相当な自信がなければできない装いだ。
そして、仮面をかぶっており、その顔を確認できない。だが、仮面から覗かせる瞳の雰囲気があの時の物であり、漂わせている気配も同様だ。
「奴で間違いありません。あの時の下手人そのものです」
フロンが仮面の剣士を睨みつけ、今までの怒りを視線に乗せてぶつけた。
そんなフロンを気にもかけずに仮面の剣士は下馬し、ゆっくりと五人に歩み寄ってきた。そして、互いの空間が二十歩ほど距離まで近づくとおもむろに仮面を外した。
その正体を知るや、フロンは目を大きく見開いて驚いた。自分と割と似ているが、少し線が細く神経質っぽい雰囲気がある男だ。外ならぬ、自分の兄コレチェロだ。
「あ、兄上・・・」
「数日ぶりになるかな、我が弟よ」
「なぜ、どうして・・・」
仮面の剣士の正体が兄コレチェロだと知り、フロンはその場に膝をついて崩れてしまった。仮面の剣士への怒りが霧散し、代わりに言い表せない虚脱感や困惑がフロンの頭を制圧していった。
だが、同時に納得できる点もあった。自家の兵士長であるベルネが積極的に謀叛に加担し、しかも他の重臣らを次々と殺害しながら自分だけ生け捕りにしようとした。兄コレチェロが中心になって動いていたという確定情報を手にしたことにより、バラバラだった状況がようやく繋がりが見えてきた。
フロンは必死で混乱する頭を抑えつけ、立ち上がって兄と対峙した。考えがまとまっているわけではないが、とにかく感情的に、気の赴くままに叫びたい気分であった。
「兄上! ご自身が一体何をやってしまったのか、ご理解なさっておいでか!」
「無論だ、理解しておる。それでもやらねばならなかったのだ」
フロンにはコレチェロの心情などまるで理解できなかった。国家の重臣を皆殺しにしてでもやらねばならないことなど、到底思い当たらなったからだ。
そんなフロンなど気にせず、コレチェロは話を続ける。
「よいか、弟よ。あの場の混乱から逃げ延びたので知らぬであろうが、十二伯爵家の当主は全員死んだ。きっちり殺しておいた、私自身を含めてな」
「な、なんということを・・・」
「あの現場は無数の死体が転がっている。だが、判別ができないよう、ゴーレムの手で圧殺された死体も多数ある。死体の数は判別不能。誰も気づくまい、私が生きていることには」
恐ろしいことを淡々と説明するコレチェロに、フロンは体に震えを覚えた。つい数日前まではこんなことになるなど考えてもいなかったのだ。細かな点まで目が行き過ぎて少々神経質な兄ではあったが、ここまでの暴挙を平然とやる人柄ではなかったはずであった。
にも拘らず、現実にはどうであろうか。コレチェロは同輩である十二伯爵家を皆殺しにし、それに罪の意識すら感じさせないほど冷淡に語っている。本当に同一人物なのかというほどの変節ぶりだ。
「兄上、あの時殺されたのは・・・」
「無論、芝居だよ。こういう風にな」
そう言うと、コレチェロは懐から巻かれた紙切れを一枚取り出し、それを広げた。
「偽りの姿を真実のものへ」
そう唱え終わると、巻物は燃え尽き、コレチェロの姿が別人のそれへと変じた。
巻物は魔術文字、あるいは魔法陣と共に魔力が付与され、読み上げたり簡単な魔術による指示を出すだけで、書き込まれた術式を発動できる魔術の道具だ。高位の術式を書き込むのは容易でないが、魔術の心得のない者でも術が使えるので、かなり重宝されている。
「ワウン伯・・・」
コレチェロが変身した人物は、フロンには見覚えのある人物だった。十二伯爵家の一つワウン伯爵家の当主だ。あの日の会議ではコレチェロの隣に座っていたことも記憶の中にあった。ようやく頭の中で整理がついてきて、新しく入ってきた情報を元に、あの時、あの場で起こった出来事を再検討した。
そして、一つの結論に達した。
「つまり、あの時刺殺された兄上は、兄上の姿に化けさせられたワウン伯で、兄上を刺殺した仮面の剣士が兄上であった、ということですか」
「その通りだ。タネさえ知れしまえば、どうというほどのことではあるまい」
そう言うと、コレチェロの変身が解けて、元の姿に戻った。その余りの冷ややかな態度に、フロンもすっかり感情が冷やされてしまった。そうなると、普段の明晰な頭脳が蘇り、これまで起こってきたことを整理することができた。
「変身しての殺害は理解しました。ゴーレムを呼び出し、壁を破壊して粉塵を起こし、その隙にワウン伯に巻物を使って姿を変えさせ、自身は仮面を着けて軽く変装。殺害した現場だけを見せればいいだけですから、凝った変装よりも簡便に着替えれる物で対応。あとはゴーレムを暴れさせ、そこいらに転がっているぐちゃぐちゃの死体の横に身に着けていた装飾品でも転がしておけば、誰も兄上の死を疑わなくなる」
冷静になったフロンは自身が持っている記憶と状況からそう結論付けた。解説している自分自身に嫌気がさすほどの悪行だ。そこまでの恐ろしいことを、目の前の兄はやってしまったのだ。
フロンの知る兄コレチェロは少々神経質なくらい真面目な男だ。領民や家臣には厳しいくらいの細かい指導を行うが、慰労や報酬の手配は抜かりなく、それゆえに皆からは「口やかましい事もあるが、根は優しく、頭もきれる領主様」という評価を得ていた。
フロンはこの評価に異論はない。自分もそう思っているからだ。
故に、この豹変ぶりに驚きを禁じ得ない。
「今にして思えば、兄上が用意したあの腕章。あれも仕込みですか。トゥーレグ伯爵領の紋章が刺繍された腕章でしたが、警備や給仕の区別が分かりやすくするようにと、兄上が会議に連れ立った領内の面々に渡しましたね。兄上らしい細やかな配慮だと思っていましたが、あれはゴーレムに『この腕章を身に着けている者以外は殺せ』とでも命じたのでしょう」
「ほう、そこにも気付くか。さすがは我が弟だ。やはりお前には一切知らせておかなくて正解だったな。僅かな不審点から裏の事情を察してしまったかもな」
コレチェロは素直に感心したのか、フロンに対して拍手を送った。フロンにとっては何の賛辞にもならなかったが、コレチェロの表情は本心から弟を褒めているようであった。
「ゴーレムの欠点でな。複雑な命令を理解できない。かといって、皆殺しではあの現場を目撃した者まで殺しかねないからな。誰かは生き残ってもらう必要があった。ベルネのように」
「そう、それです。ベルネは私を生け捕りにしようとしていた。上の命令、すなわち兄上の命令だと。なぜです?」
「お前を王にするためだ」
不意に飛び出したコレチェロの言葉に、フロンは目を丸くして驚いた。余りにも予想外すぎる返答であったからだ。ベルネからの生け捕りの件で兄の存在を疑ったが、死亡しているものと思いその可能性を捨てた。だが、実際はコレチェロは生きており、さらには王位に就けとまで言ってのけた。これにはさすがのフロンも理解ができずに混乱した。
「私は王には向かん。だが、伯爵家当主として、いづれは輪番制故に王位は回ってくる。それを回避するには、自分が死ぬのが一番だ。そうすれば、お鉢はお前に回る。お前は私以上に頭がよく回るし、誰に対しても誠実だ。安心して爵位を譲れる」
「・・・兄上が死を装った件は分かりました。ですが、それでは兄上が一生仮面をつけた生活を強いられることになります。それすら甘受するほど王位を望まれませぬか!?」
死んだ人間が姿を現すわけにはいかない。何より民衆や他の伯爵家が事情を知ってしまえば、あの殺戮劇の件で罪に問われるのは必定である。つまり、マルチェロは今後、人前に出るときは絶対に素顔を晒すことができなくなってしまったのだ。
「まあ、そっちの方は別の思案がある。お前の気に掛けることではない。ともかく、お前は王位を継ぎ、混乱したこの国を建て直せばよい。混乱の大元たる私が言うのもあれだがな」
「お断りします!」
フロンは断固たる口調でコレチェロの誘いを断った。同輩を皆殺しにし、国内を混乱させ、この後にどれほどの損害が出てくるか分からないほどだ。その片棒を担げと言う兄に、おいそれと従うのは領民に対する裏切り以外の何物でもない。到底受け入れることなど、フロンにはできなかった。
「兄上! いかなる事情をもってかかる凶行に及んだかは存じませんが、そんなものに関わるつもりは一切ございません! むしろ、兄上を縛にして、裁判を行わねばなりません。どうか正気に戻ってください!」
フロンは必死に訴えた。フロンの知る兄は度過ぎるほどに真面目な人物だ。今目の前にいる人物はあまりにも自分が知る兄とはかけ離れていた。まるで別人に変わってしまったかのように、慈悲も容赦も感じられなかった。
「・・・どうやら、お前から同意を求めるのは難しいようだ。残念だが、弟よ、私はこのやり方を変えるつもりはない。国の在り様を根本から変えるためにな。どうせ悪名はこの仮面がすべて背負って消えゆくもの。お前があとは上手く収めてくれればいい。今は分からずとも、それが最良なのだ」
コレチェロは不敵な笑みを浮かべ、フロンとの会話はこれまでとばかりに、視線を師であるアルコに向けた。
「師よ、半年ぶりくらいになりますか。ご壮健でなにより」
「ぬかしおるわ、不肖の弟子よ。くだらん理由で騒動を起こしおって。果ては我が屋敷に兵を繰り出すなんぞ、隠居の老人を虐めるのがそんなによいのか?」
「ふむ、そこまで軽口を叩けるのでしたら、あと十年は大丈夫そうですな」
互いに睨み合い、軽い言葉のやり取りで相手を探った。アルコが優れた魔術師であることは嫌というほどコレチェロは理解しているのでまともに戦うつもりはない。
アルコもコレチェロの優秀さは知っている。頭の方は弟の方が優秀と思っているが、剣技や馬術等の武芸は兄の方が上と思っている。
「師よ、あなたと敵対するつもりはございません。私に協力していただくのが一番ですが、それが無理でしたらばさっさと村に戻ってこの騒動の件は忘れてください」
「喧嘩を売っておいてよく言うわい。ちと反省をしてもらわねばのう」
アルコは杖をしっかりと握り、コレチェロに向けた構えた。齢八十でどこまで動けるかは分からないが、それでもやれるだけのことはやるつもりでいた。
「魔術師が一人でも多く欲しかったのですが、まあいいでしょう。師だけが優秀な魔術師とは思わないでいただきたいですな」
これで終いとばかりに、コレチェロはアルコから視線を外し、次に他の三人組に視線を向けた。
コレチェロはこの三人を身なりからすぐに冒険者だと察した。冒険者は基本的に遺跡の探索や怪物討伐を生業とする。そのため人間同士の争いにいは極力介入しないよう、冒険者組合の規則にはあるが、守られない場合が割と多い。冒険者は腕利きの戦士であり魔術師だ。傭兵として雇い入れれば大きな戦力になるので、高額の報酬で契約する貴族や富豪もいる。
だが、コレチェロがよく探しても、目の前の三人には組合所属の証が見当たらない。となると、もぐりの冒険者だ。そして、それには三つの種類がある。実力を過信して組合所属を拒んだ勘違いの愚者、規律違反が酷くて資格取り消しを食らった違法者、そして、組合に所属する必要がない本物の実力者だ。
コレチェロは愚者、違法者、実力者の三者の中で、最後のであると判断した。漂う気配が並みならぬものを感じ取れるし、何よりフロンが護衛として側に置いている点だ。弟の目利きならば却って信用できるからだ。
「さて、冒険者とお見受けするが、お前達に聞きたいことは一つ。ベルネを殺したのはお前らだな?」
コレチェロの言葉にはむき出しの殺意が乗せられていた。弟や師と会話していたときの様々な感情がこもった言葉はない。完全な殺意のみだ。
もちろん、この程度のやり取りなど、すでに何度も繰り広げてきた歴戦の猛者である。フリエスは正面から受けて立つつもりであった。
「ええ、そうよ。正確には、私の電撃で黒焦げにしてやったわ。ああ、でも、勘違いしないでよね。私はちゃんと警告したし、それを無視して突っかかってきたのはあっちだからね。ようするに、ベルネとかいうやつの自業自得」
「ふん! 可愛い顔して、随分と過激な物言いよ・・・。少女の皮を被った悪魔か?」
「残念、はずれ。悪魔じゃなくて神よ、下賤なる人間」
フリエスは親指を立てた後、それをクイッと下に向けた。そして、思い切り舌を出し、相手をこれでもかと挑発した。フリエスとしてはコレチェロ個人に特に恨みもなかったが、なんとなく兄弟相争うのが気に食わなかったのだ。弟のことなどそっちのけで、我を通そうとする強引な態度がフリエスを苛立たせていた。
「神? 邪神の類縁か。ならば、二度と降りて来ぬようきっちり祓わねばならんな」
「あら、できるかしら?」
「無論だ」
コレチェロは懐に手を伸ばすと、そこから巻物を四つ取り出し、それを空中に放り投げた。巻物は広がると同時に燃え上がり、次にいきなり巨大な影が四つも現れた。
地響きと共に着地したそれは、フロンの口から散々聞かされてきた鉄のゴーレムだった。長身のセラよりさらに五割増しほどの大きな体躯で、その全身は鉄でできていた。姿は少し角ばった人間といった風貌で、その破城槌を思わせる四肢は人間をすんなり肉片にしてしまうであろう。人間の目に当たる部分が赤く光っているのもなんとも不気味だ。
「巻物を使った召喚か。まあ、これを使って城館での襲撃をやったんでしょうけど、結構豪儀よね。移送系の巻物はかなり高価なのに」
「優れた魔術師を抱えていれば数は揃えれるぞ。材料費はそれなりだが」
コレチェロの言う通り、巻物作りにはかなり費用が掛かる。土台となる用紙は獣皮紙を使用し、羊のようなありきたりな物から、竜のような希少素材まで千差万別である。そして、使用する皮の種類や品質によって付与できる術式に差があり、高度な術式を込める巻物ほど希少な素材を消費してしまう。
さらに、用紙に術式を込める魔術師の力量も重要になってくる。魔力を込めた特殊なインクで書き込み、魔力を定着させるのだが、定着させる際に魔術師の腕前が良ければ用紙の品質や種類をある程度だが無視できる。並の魔術師ならば低品質の用紙で高度な術式を付与させると、上手く定着させることができないが、熟練の魔術師ならばぶれる魔力の波長を上手く制御し、抑え込んで定着させられるからだ。
(こんだけバカスカ巻物使えるってことは、あいつの後ろには腕のいい魔術師がいるってことよね。はてさて、誰なのやら)
フリエスは少し後ろを振り向き、アルコを見つめた。
アルコが騒動に関わっている、という疑念が付きまとっている。セラはずっと疑っていたが、フリエスとフィーヨはまだ決定的な証拠がないので、結論は保留中だ。
状況的には、コレチェロの後ろには腕のいい魔術師がいるのは、まず間違いないだろう。それがアルコなのか、あるいは他所から引っ張って来た者かの、判断するにはまだ情報が不足している。
そうこうフリエスが思案していると、コレチェロは指を彼女に向けた。
「さて、考え事は終わったかね、お嬢さん。さあ、ゴーレム達よ、まずはその小うるさい邪神の眷属を潰し、以てベルネの慰霊とせよ!」
コレチェロの命にゴーレム達が反応し、フリエスに向かって歩き出した。動きは鈍いが、その巨躯から繰り出される鉄の剛腕は一撃でも食らえば肉片確実な威力がある。当然、それはフリエスも認識していた。
「私は二体引き受けるわ。フィーヨさん、一体お願い! セラはどうする?」
「見てる」
「ですよね~。なら、お爺ちゃん、一体お願いね!」
アルコに頼るのは危険ではあるが、頼れるのかどうかをここで判断するのも悪くはないか、という考えに至った結果の助勢の要請だ。
アルコは素直に頷き、杖の先をゴーレムに向けた。
「皆の者、ゴーレムの核は頭の中じゃ。頭を潰せ」
アルコは狩猟小屋を中心に陣を築き、探知系の術式を展開していた。そのため、この地に踏み込んだフリエスらの懐に潜ませていた神々の遺産の存在すら見抜いたのだ。目の前のゴーレムの中核部を探ることなど容易い事であった。
「はい、どうも。んじゃ、行きますかね!」
フリエスは向かってくるゴーレムに向かって真っ向から突っ込んだ。
当然、ゴーレムも下された命令通りに目の前の少女を倒すべく、拳を振り上げ、タイミングを計って振り下ろした。大地を揺るがし、土煙が巻き起こるが、そこにフリエスはいない。寸前の所で横に飛び、強烈な一撃をかわしたのだ。
フリエスは鎧を始め防具の類を一切装備していない。電撃系魔術を無尽蔵で使え、そして電撃系を吸収する特異体質を持っているので、どんな負傷も簡単に治すことができる。ならば、多少の負傷など無視できるし、負傷を恐れて防具を身に付けて身軽さを損なうのを嫌ったからだ。
そんな身軽なフリエスは次々と攻撃を繰り出すゴーレム達を軽くあしらい、その注意を引き付けた。
その光景を眺めながら、フィーヨが大きく深呼吸をした。それに呼応してか、両の袖口から赤い蛇がそれぞれ出てくる。
「やれやれ、こういう手合いは苦手なのですよね」
フィーヨの持つ神々の遺産《真祖の心臓》は血を操る力を付与する。しかし、目の前にいるのは血の通わないゴーレムだ。つまり、フィーヨにとっては苦手な相手であった。
「で、どうなさるので?」
フロンとしてはそこが気になるところであった。フィーヨの戦いぶりは見たことがあるが、心臓を破裂させたり、流れ出た血を鞭のように巻き付けたり、槍のように固めて打ち出したりと、どれも血を利用したやり方が主だ。
しかし、目の前のゴーレムは血が通っていないのでその技は使えない。
「当然、力任せに叩き潰すだけですわ。《限界突破・腕力増強》! ・・・戦槌に!」
フィーヨの叫びと共に、その腕には熱く滾る力が湧いてきた。さらに、二匹の蛇が渦を巻きながら融合し、巨大な戦槌に姿を変えた。
柄はフィーヨの身長よりも長く、頭部は片方が人の顔面よりも大きく平らで、もう一つは槍を思わせる程に尖っていた。見るからに重量武器で、フィーヨの細くしなやかな腕ではとても持ち上げれそうではなかったが、遺産によって腕力が大幅に増強されていたため、それすら軽々と持ち上げた。
そして、フィーヨは戦槌を握り、ゴーレム達に突っ込んだ。
ゴーレム達はフリエスを追いかけるのに必死で、フィーヨに対しては全くの無防備であった。単純な命令しか受け付けないゴーレムの欠点だ。
まず、フィーヨは四体のゴーレムの内、フリエスから最も離れた最後尾の一体に狙いを絞った。狙ったゴーレムの真横まで駆け寄り、そのまま踏ん張りながらその膝に向かって戦槌を振り回した。狙い違わずゴーレムの膝に命中し、体勢を崩して前のめりに倒れた。
そして、戦槌を持ち直し、今度は尖った側で倒れたゴーレムの後頭部へ一撃を叩きこんだ。
「手応えが軽い。もう一発よ!」
フィーヨは立て続けに同じ所をガツンと二回、三回と叩き続けた。すると、ゴーレムの頭部に大きく亀裂が走り、同時に白い煙が噴出した。核が損傷し、蓄積されていた魔力が噴き出したのだ。ゴーレムは手をブルブル震わせたがそれが最後の足掻きとなり、ついにはその動きを完全に止めた。
フィーヨはゴーレムの動きが止まったのを確認すると、フリエスの方へと注意を向けた。そして、フリエスに群がっていた三体のゴーレムの内、すでに一体が前のめりで倒れて動かなくなっており、そちらも仕留めているのが見て取れた。
「〈電撃〉!」
フリエスの指さしから電光が走り、ゴーレムの頭を貫く。ゴーレムがふらつくもなんとかこらえて再びフリエスを追いかけるが、再び電撃が頭を貫いた。
フリエスはゴーレムの攻撃をかわしながら、隙を見て電撃を打ち込むという作業を繰り返していた。核が頭にあることが分かったので、何度も電撃を浴びせ、電流の負荷で核を焼き切ろうとしたのだ。
なにしろ、目の前のゴーレムは金属製である。電流を止めることはできない。
「鉄で作ったのが徒になったわね!」
フリエスはしつこく何度も電撃を打ち込み、二体目のゴーレムも倒れてとうとう動かなくなった。
残りの一体に取り掛かろうとしたとき、なんとアルコが猛烈な勢いで飛んできた。そして、ゴーレムの真上まで来ると、急停止してそのまま頭の上に着地した。
どうやら、セラがアルコを掴んでゴーレムに向かって投げつけたようだ。そして、アルコは〈飛行〉の術で速度を制御し、着地したのだ。ちなみに、セラの横にいたフロンがあたふたしていることから、いきなりで止めることができなかったようだ。
「まったく、随分乱暴じゃのう。もうちっと老人を労わらんかい」
アルコはセラに文句を言ったが、セラはさっさとやれと言わんばかりに突き立てた親指を下に向けた。
「ほいほい。〈命令解除〉」
アルコが杖で軽く小突くと、頭の上に立っていたアルコを叩き落とそうとしたゴーレムの腕がピタリと止まった。ゴーレムは魔術的な指令によって動いており、その命令をなかったことにしてしまったのだ。魔術的な防護がなされておらず、大した抵抗もなくあっさり命令が解除され、ゴーレムは停止した。
「ま、命令がなければ動かんわな。このゴーレムはなかなかに強力ではあるが、作った奴ももうちっと工夫すべきじゃったな」
アルコはゴーレムから飛び降り、〈飛行〉で軽やかに着地した。
(てか、このお爺ちゃん、〈飛行〉も〈命令解除〉も詠唱破棄してたわよね。やっぱりとんでもない魔術師だわ)
フリエスはさり気なくやってのけたアルコの高等技術に驚いた。詠唱破棄は高難度の技術であり、相当研鑽を積んだ魔術師でもなければ習得できない。フリエス自身も電撃系の術式ならば詠唱破棄で発現できるが、それは雷神としての神力を降ろしているからこそできる芸当で、他系統の術で詠唱破棄できるものは少ない。
(父さんと同程度の魔力を保持してるんだし、かなりの力量の持ち主だとは思ってたけど、想定以上かもしれないわ。う~ん、味方ってことでいいのよね?)
まだ断定はできないが、ゴーレムへの対処は適切であったし、敵対的な行動は一切見えない。フリエスの中ではアルコの立ち位置はだいぶ白寄りになっていた。
なお、セラは先程の投擲もそうだが、アルコへの扱いは雑であり、完全に犯人扱いだ。フロンも厳重抗議しているが、セラは全く聞く耳を持っていない。
「さて、コレチェロよ、ご自慢のゴーレムは片付いたぞ。手品の種は品切れか?」
アルコが倒れて動かなくなったゴーレムを杖で小突き、コレチェロに向けて退屈そうな顔をあえて見せて挑発した。もっとないのか、とでも言わんばかりに。
コレチェロは大きく息を吐き、それからアルコを見つめ返した。
「師よ、邪魔しないでほしいですな。これ以上の妨害はせっかくの余生を台無しにしますぞ」
「もう十分台無しじゃわい。この国の混乱を収め、いい酒が飲めるまでどれくらいの時間を要するか知れたものでないわ。そんなことより、己の身を心配せい」
「心配には及びませんよ。少々早いですが、切り札を出させていただきましょう」
そう言うと、マルチェロは懐に手を伸ばし、なにやら宝石のようなものを取り出した。大きさはだいたい握り拳ほどで、魔力を帯びているのか淡く白い光を放っている。
「魔晶石・・・。お爺ちゃんは下がってて」
フリエスはコレチェロが取り出した石を見て、慌ててアルコの前に立ち、マルチェロとの間に割って入った。
魔晶石は魔力を術式によって結晶化した石で、これを握りながら術を使用すると石の方から魔力を供給され、石の容量分だけ自身の魔力を消費せずに術を行使できる。また、魔術文字を施すことによって、術を発動させることが可能で、魔力容量の点で巻物よりも強力な術式を仕込むことができた。ただし、魔晶石の生成には高度な技術に加え、長時間の儀式が必要となっていた。そのため値段は巻物と比べてかなりの高額となり、数を揃えるのは極めて困難であった。
(普通なら、小石くらいの大きさなのに、あれほどの大きさの魔晶石なら相当強力な術式を込めているはず。切り札ってのも大げさじゃなさそうよね)
フリエスは始めて見る大きさの魔晶石に素直に感心したが、それゆえに警戒心も今で以上に高くした。魔力を高め、どんな魔術が飛んできても抵抗できるように備えた。
また、フィーヨもすでにフリエスの隣に駆け寄っており、戦槌も蛇に戻していた。そして、こちらも強力な魔術が飛んでくることを予想してか、魔力を高めた。
なお、セラはアルコを投げ飛ばした件で文句を言っているフロンを後ろに下がらせ、コレチェロからフロンを隠す位置に立った。普段は無茶苦茶やっていても、こういうことはきっちりやるのがセラという男である。
そして、全員が身構えたのをわざわざ確認してから、もったいぶりながらコレチェロは魔晶石を天に向かって掲げた。
「さあ、我が前に出でよ、究極のゴーレムよ!」
コレチェロの叫びと同時に魔晶石が砕け散り、砕け散った石がキラキラと白く輝く渦となってコレチェロの周りを飛び交った。
そして、それは姿を現した。究極のゴーレムと称するものが。
~ 第九話に続く ~